1話 片目の調査官
本作は、琥珀様主催の「春の異世恋推理’26」参加作品です。
崩れかけた神殿の床に、男が横たわっている。顔の左半分が黒く濡れているようだ。
床の朱は、薄く差し込んだ夕陽が染めているのか、それとも……。
半壊した神殿の女神像の背後から、立ち昇る気配がする。
圧倒的な力と重量感。
男は人生の終焉を覚悟した。
気配から声がした。
――我、この先を見置かむ
◇◇◇
港町ウエンビーは、昼は帆と叫び声、夜は灯りと噂でできている。
潮の匂いと何がしかの香辛料、そして金の響きが混ざり合う。
王国の流通を担う、活況たる街。
人、物、金が動けば、闇もまた蠢く。
朝の市場が解散した頃、一人の若い女性が、街の通りを歩いていた。
地味な服装をしているが、石畳を踏む靴は高級品。
おそらくは貴族の子女であろう。
この港町には、似合わない風体だ。
女性は従者と一緒に、大通りの一角にある街のギルドに入る。
居合わせた連中は、下品な口笛を吹く。
ぽってりとした唇の受付嬢は、気怠そうに、女性の問いに答えた。
「そんなら、『片目のオーグリー』に聞いてみな」
その名が出たとたん、ギルド内は静かになった。
女性は軽くお辞儀をして、受付嬢が示した場所へ向かう。
ウエンビーの中心部、石造りの古い建物の三階に、保険組合の調査調停室がある。
三階の窓際に立つ男は、港を見下ろしていた。
男の身長は百八十を越え、肩幅は広く胸板も厚い。年齢は三十代半ばだろうか。無精髭があっても、端正な顔立ちを隠しきれてはいない。長く伸ばした銀髪と服装を整えれば、荒くれ者が多い港町よりも、王都の夜会が似合いそうな雰囲気を持っている。
ただ一つ。
男の生業を象徴するかのような、持ち味がある。
左眼にある黒革のアイパッチがそれだ。
『片目のオーグリー』
それがウエンビー保険組合調査調停室室長、オーグリー・カイラスの通り名である。
オーグリーの机には、調停記録や契約書などが積み重なっている。
そして焼け焦げた木片が、一つ置かれていた。
倉庫の不審火の現場から、持ち帰ったものだ。
「……普通の火事じゃないな」
オーグリーは低く呟いた。
木片には油の匂いがない。
火薬でもない。
そして、焦げた木片を小さく削り、口に含む。
あの味はない。
小さく息を吐く。
だが、焼け方が妙だった。内側から弾けるように燃えている。
——魔術火か?
それも、かなり古い形式のものだ。
扉がノックされた。
「入るぜ」
若いというより女性、というより少女が顔を出した。
自称『第一秘書』のジェンナだ。
男子みたいな髪型と体型のジェンナは、いつの頃からか、この調査調停室に住み着いている。
「おっさん。依頼人だってよ」
「おっさんはヤメロ」
「へえへえ」
「返事は『はい』だ」
「はあい。通すぜ、いいよな」
オーグリーは椅子に腰を下ろした。
「お茶をお出ししろ」
数秒後、地味なドレスの女性が入ってきた。
年の頃は二十代後半。高齢の痩せた男を伴っている。
二人とも、貴族らしい気品がある。
「はじめまして。保険組合の調査調停員、オーグリーです」
女性と従者に椅子を勧め、オーグリーは挨拶をした。
女性は優雅に礼を執る。その姿に、オーグリーはふと、既視感を覚える。
「セラフィーナ・アルベリオと申します」
家名を聞いた瞬間、オーグリーの眉がわずかに動いた。
アルベリオ家。
王都でも名の知られた古い貴族だ。
更に言えば、些かオーグリーに因縁のある家でもある。
「わたくしは現在、屋敷や資産等の管理を任されている者です」
確か数年前に、アルベリオ侯爵家の当主は没したはずだ。
セラフィーナ嬢は次女だったはず。
婿はいなかったろうか。
オーグリーの僅かな表情の変化を捉えたのか、従者の男が「恐れながら」と口を開く。
「侯爵家の内情は、他言無用と……」
「心得ております」
乱暴にドアが開く。
「お茶持ってきたぜ」
両手でお盆を抱えたジェンナが入って来た。ドアは足で蹴ったのだろう。
「ご相談の内容をお伺いしましょう」
セラフィーナは視線を逸らすことなく語る。
「ご存じの通り、我がアルベリオ家、海産物の輸出が事業の一つです」
確かに、海産物と言えば「アルベリオ」と言われていた。
そう、嘗ては……。
「はい、存じております。このウエンビーにも倉庫があると」
「ええ。港の南区に。古いものですが……このところ火事が多いでしょう」
「……そうですね」
「心配なのです」
セラフィーナは小さく息をついた。
「もしこの港の倉庫が火事になれば、家の財政は終わりです」
オーグリーは机の上の書類を捲る。
「倉庫の場所は?」
「南区十七番倉庫」
オーグリーの手が止まる。
そこは、数日前に燃えた倉庫の隣だった。
「……なるほど」
彼は立ち上がった。
「現地を見に行きましょう」
「今から?」
「火事は夕方以降に起きることが多い」
オーグリーは剣帯を腰に締めた。
手入れの行き届いた長剣だ。
「今夜が一番怪しい」
セラフィーナは少し驚いたようだったが、すぐに頷いた。
「わかりました」
「少し出て来る」
オーグリーはジェンナに言う。
「オレも行きたい」
「ダメだ。お前はこちらのお相手をしてろ。すぐ戻る」
ジェンナはぶうぶう言いながらも、セラフィーナの従者にお菓子を出していた。
二人が組合を出た頃、港は午後の光を受けていた。
穏やかな波が船を揺らしている。
倉庫街は静かだった。
今の時間、歩く人も少ない。
南区十七番倉庫は、年季の入った建物だった。
オーグリーは壁を指でなぞる。
「最近修理しました?」
「いえ」
「……妙な感じだ」
彼は倉庫の扉を開けた。
中は暗く、干し魚や香辛料の箱が積まれている。
オーグリーの足が止まった。
床に、薄く刻まれた紋様。
魔術陣だ。
オーグリーの顔から表情が消えた。
「どうしました?」
セラフィーナが近づく。
オーグリーは静かに告げる。
「この倉庫……燃える予定ですよ」
お読みくださいましてありがとうございます!!
そのうち恋愛出てきます。
なんとなく推理あります(多分




