執刀開始
「――ギ、ガァァァァァッ!!」
少年――始祖の器から放たれる漆黒の波動が、時計塔の機械室を蹂躙する。
巨大な歯車が飴細工のようにねじ切れ、暴風雨が吹き込む中、バルツはその嵐の中心へと一歩を踏み出した。
「シド、援護は期待しない。自分の客だけ相手にしてろ!」
「へいへい、そっちこそ死ぬなよ、小3並みの大先生!」
シドは口角を上げると、重火器のトリガーを引き絞り、高笑いする宰相ヴォルガードへと躍りかかった。
バルツの目の前には、泥のような翼を広げた異形の少年。
その瞳に理性はなく、ただ破壊への渇望だけが渦巻いている。
少年が右手を振り上げると、空間そのものが圧縮され、見えない巨大な爪となってバルツに襲いかかった。
「……粗いな」
バルツは眼鏡の位置を直しながら、その場から動かなかった。
爪がバルツの体を切り裂く――直前、その攻撃は霧散した。
「な、なに……!?」
ヴォルガードが驚愕の声を上げる。
バルツの手には、『魂の穿孔針』が握られており、その切っ先には青白い光の糸が絡みついている。
「攻撃の『意志』が見え見えなんだよ。君の脳波から、攻撃命令が出力される0.5秒前に、その回路を遮断させてもらった」
バルツはまるで庭木の剪定でもするかのように、空中の見えない糸を断ち切っていく。
「記憶外科医を舐めるな。僕にとって、君の攻撃魔法は『患部』だ。切除対象に過ぎない」
「ガ……アァッ!!」
少年は苛立ち、更なる魔力を放出する。今度は全方位からの無差別爆撃だ。
さすがに全ては遮断しきれない。バルツは爆風に煽られ、床を転がった。
「ぐっ……! さすがに出力が桁違いか……!」
バルツは膝をつきながら、背後でうずくまるエレーネを一瞥した。
彼女の体からは、未だに黒い霧――「絶望」が溢れ出し、少年に魔力を供給し続けている。
この供給源を断たない限り、少年は無尽蔵に再生し、暴れ続けるだろう。
「エレーネ! いつまで被害者面して座ってるんだ!」
バルツは怒鳴りつけた。
「君の絶望が、この怪物のガソリンだ! 君が泣けば泣くほど、こいつは世界を壊す!」
「……で、でも……もう……」
エレーネは虚ろな瞳で首を振る。
「夫は戻らない……私の人生は……もう……」
「戻らないなら、新しく作ればいいだろ!」
バルツは瓦礫を避けながら叫んだ。
「過去に執着して、今あるものを壊すな! 君の夫が忘れたのなら、君が覚えさせ直せばいい! 新しい思い出を、上書き保存すればいいだろ!」
「……っ!」
その言葉は、外科医のメスのように鋭く、彼女の硬直した心臓を突き刺した。
黒い霧の噴出が一瞬、弱まる。
「今だ……!」
その隙を、バルツは見逃さなかった。
彼は全速力で少年へと突進し、その懐へと飛び込んだ。
「緊急手術だ。――開頭!」
バルツは『魂の穿孔針』を少年の額に突き立てた。
物理的な肉体ではなく、その奥にある精神の中枢へ。
――強制ダイブ。
バルツの意識は、少年の精神世界へと侵入した。
そこは荒れ狂う嵐の海だった。黒い泥の波間に、本来の少年の自我――あの「別邸の少年」が溺れかけている。
『……助けて……』
少年の弱々しい声が聞こえる。
その体には、無数の黒い鎖が巻き付き、彼を海の底へと引きずり込んでいた。
その鎖の先は、現実世界のヴォルガードへと繋がっている。
「見つけたぞ、こりゃあ悪性の腫瘍だな」
バルツは精神の海を蹴り、少年へと泳ぎ寄った。
手にした穿孔針が、眩い光を放つ。
「君は王様になりたいのか? それとも、ただの人間として生きたいのか!」
『……僕は……僕はただ……』
少年が涙を流して手を伸ばす。
『外の世界を……見てみたかっただけだ……!』
「なら、その鎖を断ち切れ! 僕が執刀してやる!」
バルツは全身全霊の魔力を込め、少年に巻き付く黒い鎖――ヴォルガードの支配プログラムを一閃した。
パァァァァン!!
鎖が砕け散り、精神世界に光が戻る。
現実世界。
少年の背中の翼が崩れ落ち、彼を覆っていた黒いオーラが霧散した。
少年は糸が切れたように崩れ落ち、バルツがそれを抱き止める。
「……手術、成功だ」
バルツは荒い息を吐きながら、勝利を確信した。
一方、その背後では。
「な、何をした!? 始祖とのリンクが……!」
ヴォルガードが狼狽する隙を、シドの重火器が捉えていた。
さらに、足元にはいつの間にか転がっていたペロペロキャンディ。
ヴォルガードがそれを踏みつけ、無様に体勢を崩す。
「おっと、足元がお留守だぜ宰相閣下ァ!」
ズドォォォォン!!
シドの放った超至近距離の一撃が、ヴォルガードの仮面ごと彼を吹き飛ばし、壁に縫い付けた。
静寂が戻る。
嵐は止み、雲の切れ間から月光が差し込んでいた。




