潜行
ココはニヤリと笑い、バルツたちを指差した。
「私には私の都合があってね。エレーネさんのせいで狂っちゃったから、修正しにきたの♡」
シドは警戒を解かずに銃口を向けたまま凄んだ。
「その前に吐きな。お前はエレーネの手下じゃねえのか? なんで俺たちに塩を送る真似をする」
「手下? あのヒステリックおばさんと一緒にしないでよ」
ココは心底嫌そうに舌を出した。
「私はただの観客……と言いたいところだけど、強いて言えば『舞台監督』のパシリかな。あんた達みたいな役者が、こんな舞台袖でウジウジしてたら、シナリオが進まなくて困るんだよねぇ」
「シナリオ……?」
バルツが眉をひそめると、ココはペロペロキャンディをかじりながら、意味深に微笑んだ。
「そう。私のボスが描いた最高に面白い脚本。それを最後まで演じきってもらわないと、私がお仕置きされちゃうの。もうちょっと頭がいいと思ってたエレーネさんが私情に走るし、もっと薄情だと思ってたおじさんが意外と友達思い出すったり。べぇっ」
ココがシドに対して舌を出してみせた。
「だから、これは慈善事業じゃなくて、私の保身のためのガイドってわけ。ひとまずあんたらは、エレーネさんに殺される必要があるのね」
「……それを聞いて、素直に従うことやつがいるかよ」
至極当然なシドの返答に、ココは肯定も否定もせず、ただケラケラと笑った。
「まぁ、Bプランもあるから、アドリブはご自由に♡ でも大筋では、バルツっちとエレーネさんはバトルって貰う必要があるのね。どっちが勝っても、『監督』的にはどちらでもいいらしいんだけど、私的にバルツっちに生きてほしいからこちらに肩入れしてるわけ。で、行くの行かないの? 今なら特別に、セキュリティホールの位置までサービスしてあげるけど。断るなら私、エレーネさんの方に行っちゃうよ? 選択肢ないと思うけどなぁ」
「……チッ。食えねえガキだ。バルツ、どうする。こいつ殺すか?」
「穏やかじゃないなシド。駆け引きなんて不要だよ。コイツの言ってることが信じられるかどうかなんて、簡単に確かめられるだろ。僕を誰だと思ってる?」
バルツは、言い終わるより早いか、道具を取り出し、術式を開始した。
ココの記憶を開いて、真実を聞き出す算段だった。
「どうする? 大人しくしてくれれば、手荒なことはしないけど?」
「ぷーくすくすっ! 武力で私に勝ると思ってるんだね! 聞いてた通り傲慢だねぇ。でも別にいいよ。大人しく記憶を見せたげるっ!その方がスムーズだもんね!」
ココは軽やかに跳ねると、部屋の中央にある埃まみれの木箱の上に、仰向けになって寝転がった。
まるでピクニックのシートにでも寝そべるような気軽さだ。
だが、その瞳だけは違った。
ペロペロキャンディを口から離し、ニヤリと唇を吊り上げる。
その瞬間、少女の小さな体から、部屋の空気を凍りつかせるほどの濃密なプレッシャーが膨れ上がった。
「さあ、どうぞヤブ医者さん。私の頭の中、ぐちゃぐちゃにしていいよ?」
無防備に晒された喉元。だが、シドが思わず引き金にかけた指に力を込めるほど、その姿は「猛獣」のそれだった。
食えるものなら食ってみろと言わんばかりの、圧倒的な自信と狂気。
「……遠慮なく失礼するよ」
バルツは冷や汗が背筋を伝うのを感じながらも、外科医としての冷静さを保ち、彼女の額に手をかざした。
――潜行開始。
侵入したココの精神世界は、バルツの予想を裏切るものだった。
そこには、人間の記憶特有の「曖昧さ」や「感情のゆらぎ」が一切なかった。
あるのは、無機質に整理された膨大な情報の羅列。
まるで高度な魔導演算機の回路の中に迷い込んだようだ。
(これは……記憶じゃない。まるでログ(記録)だ。事実だけをなんの感情もなく記録している。こんな人間が存在するのか)
バルツはその表層にある「直近のタスク」へとアクセスした。
そこには嘘偽りのない情報があった。
『エレーネの暴走によりシナリオにエラー発生』
『修正のため、バルツ・シュライバーを誘導せよ』
『Bプラン:両者の衝突による事態の収束』
彼女が語った言葉は、すべて彼女の任務における「事実」だった。
(……なるほど。彼女は本当に、狂った舞台を整えに来ただけか)
彼女の目的が、少なくとも今の自分たちにとって「即座に敵対するものではない」ことは確認できた。
だが、バルツの探究心がそこで止まることはなかった。
この異質な精神構造。
そして、彼女に指令を与えている「舞台監督」の正体。
バルツの意識は、情報の奔流を遡り、その深層――「管理者権限」の領域へと手を伸ばした。
(この奥に、黒幕がいる)
深淵の扉に触れようとした、その瞬間。
『――アクセス権限がありません』
無機質な警告音と共に、漆黒の防壁がバルツの意識を襲った。
それはただの拒絶ではない。
触れた者の精神を焼き切るような、圧倒的な高出力の魔力障壁。
「がぁっ……!?」
凄まじい衝撃波が脳内を駆け巡り、バルツは物理的に殴り飛ばされたかのように、強制的に現実世界へと弾き出された。
「はっ、ぐぅ……!」
バルツは膝をつき、激しく咳き込んだ。視界がチカチカと明滅し、鼻からツーと鮮血が垂れる。
「おいバルツ! 大丈夫か!」
シドが慌てて駆け寄る。バルツは荒い息を整えながら、目の前の少女を見上げた。
ココは既に体を起こし、何事もなかったかのようにキャンディを舐め直していた。
その表情は、悪戯が見つかった子供のように楽しげだ。
「プライドが傷つくね。短期間で2人も、僕の選考を阻止するやつに出会うとは」
「あーあ。女の子の秘密を深掘りしようなんて、マナー違反だよ先生♡ 私の『パパ』は過保護なんだから」
「……はぁ、はぁ。……とんだ箱入り娘だ」
バルツは口元の血を拭い、シドに向かって頷いてみせた。
「……彼女の言っていることに、ひとまず嘘はない。少なくとも、エレーネの屋敷に案内するという点に関しては、信じてもいい」
「マジかよ。中身を見たのか?」
「ああ。……もっとも、一番奥にある『本性』には触らせてもらえなかったがね」
バルツは忌々しげに、しかしどこか感心したようにココを見た。
「ま、とりあえず審査は合格ってことでいい?」
ココは木箱から飛び降り、スカートをひらりと翻した。
「じゃ、行こっか。エレーネさんの待つ、クライマックスの舞台へ!」
*
ココが案内したのは、屋敷の警備システムが死角となっている地下の古井戸だった。
カビ臭い縦穴を降り、かつてワインの搬入に使われていた狭いダクトを抜けると、そこはもう「要塞」の内側だった。
「あの厳重な魔導センサーが、地下には張り巡らされていないとはな」
シドが蜘蛛の巣を払いながら呆れたように呟く。
「エレーネさんもここを知らないからねぇ。誰かさんが旦那さんの頭をいじったせいで、隠し通路がわかんなくなくなっちゃったんだよねぇ。とんだヤブ医者がいたもんだねぇ」
ココはいたずらっぽく、バルツに視線を送った。
「つまり僕らは、巡り巡ってそのヤブ医者に助けられたわけだ。感謝しないとな」
「そのヤブ医者のせいで命狙われてるんだけどな」
「……うるせぇ」
バルツは懐中時計を確認した。深夜二時。屋敷は静寂に包まれている。
先導するココは、まるで自宅の庭を歩くように軽快な足取りで、複雑な回廊を進んでいく。
「ほいほい。この壁の向こう側がエレーネさんの寝室だよ♡ ほら、これが隠し扉。悪漢
に襲われた時のために作ったものだけど、まさか悪漢を招き入れちゃうとわね♡」
「……お前、ほんとに何者なんだ?」
「乙女の秘密ーっ! じゃ、私はここで見張り番してるから、さっさと済ませてきてね」
ココは廊下の彫像の陰に座り込み、また別の飴を取り出した。
バルツとシドは顔を見合わせ、頷き合うと、音もなく寝室へ続く隠し扉を開けた。
中に入った瞬間、ツンと鼻を刺す異臭に、バルツは眉をひそめた。
高級な香油の香りが消え失せ、代わりに安酒のアルコール臭と、澱んだ空気が充満している。
「……なんだこりゃ。ゴミ溜めかよ」
シドが声を殺して驚くのも無理はなかった。
昼間見た応接室の完璧な清潔さは見る影もない。
床には空になったワインボトルが転がり、ドレスや書類が散乱している。
高価な調度品は八つ当たりで砕かれ、見るも無惨な有様だった。
だが、部屋の一角だけが異質だった。
壁暖炉の上。
そこだけは埃ひとつなく磨き上げられ、一枚の写真立てが飾られている。
写っているのは、若き日のエレーネと、優しげな一人の男。幸せそうに微笑む夫婦の姿だ。
「……使用人を雇ったほうがいいね。心の掃除もできるタイプの」
バルツは皮肉交じりに呟き、ベッドへ歩み寄った。
そこには、酒に溺れ、泥のように眠るエレーネの姿があった。
化粧は崩れ、涙の跡が乾いて張り付いている。かつての気品ある貴婦人の姿は、どこにもない。
「シド、入り口を頼む。……彼女の脳は今、無防備だ。すぐに終わらせられそうだ」
バルツはエレーネの額に手をかざし、慣れた手つきで意識を同調させた。
視界が歪み、現実の部屋が溶け落ちていく。
――潜行開始。
バルツが降り立ったのは、モノクロームの記憶の回廊だった。
そこには、二つの色が混在していた。
一つは、暖炉の火のように暖かい、黄金色の記憶。
夫と共に過ごした日々の断片だ。
もう一つは、氷のように冷たく鋭い、青色の記憶。
夫が自分を忘れ、家庭が崩壊していく絶望の記録だ。
バルツはその境界線を歩き、最も色が濃い「始祖」に関連する記憶を探った。
やがて、一際暗い影を落とす記憶の扉を見つけた。
日付は数ヶ月前。場所は、この屋敷の書斎。
(……ここか)
バルツが意識を潜り込ませると、そこには机に突っ伏して泣くエレーネの姿があった。
そして、その背後に立つ、仮面をつけた長身の男。
『……お嘆きですね、夫人』
男の声は、溶けた蜜のように甘く、そして毒を含んでいた。
『夫は成功と引き換えに、あなたとの時間を失った。……悔しいでしょう。憎いでしょう。その元凶となった記憶外科医が』
『ええ……! 殺してやりたい……あいつさえいなければ……!』
『ならば、契約をしましょう。我々に協力してくだされば、その願いを叶えましょう』
仮面の男は、エレーネの耳元で、決定的な言葉を囁いた。
『始祖の錬金術ならば、「時間を巻き戻す」ことができます。夫が記憶を失う前の、あの幸せだった日々まで』
(……は?)
記憶を覗いていたバルツは、思わず絶句した。
錬金術の基本原則。
等価交換。
時間を戻すなど、神の御業。
始祖といえど、そんなことが可能なはずがない。
『本当……なの? あの頃に、戻れるの?』
『ええ。そのためには、始祖の封印を解かねばなりません。そして、その鍵を開けることができるのは、帝都でただ一人……バルツという男だけだ』
男はエレーネに小瓶を渡した。
『彼を罠に嵌め、利用しなさい。そして彼が指名手配され、逃亡生活で絶望し、魂が熟した頃合いを見て、彼を生贄として捧げるのです。それが、時間逆行の儀式に必要な対価となります』
エレーネは震える手で小瓶を受け取り、そして狂ったように笑い出した。
その顔は、希望と殺意でぐちゃぐちゃに歪んでいた。
記憶の映像が途切れる。
バルツは意識を現実へと引き戻した。
「……っ、ふぅ!」
大きく息を吐き、バルツは目を開けた。
シドが心配そうに覗き込んでいる。
「おい、どうだった? 何か出たか?」
「……ああ。僕を嫌いな奴が、もう一人いることがわかったよ」
バルツは額の汗を拭い、眠り続けるエレーネを憐れむように見下ろした。
「彼女は騙されている。『時間を戻せる』なんていう、甘い嘘にね」
「時間だぁ? そりゃまた大きく出たな」
「あり得ない話だ。だが、溺れる者はなんとやらだ。……黒幕の正体、そして目的も、たぶん分かった」
バルツは立ち上がり、コートの襟を正した。
「『時計塔』だ。そこで、その仮面野郎が報酬を受け取る手はずになっている」
「報酬って、お前の首か?」
「いや、もっと質が悪いものさ。……行こう、シド。三文芝居の脚本家へ、ダメ出しをしにな」
バルツの瞳には、怒りと、そして外科医としての冷徹な使命感が燃えていた。




