復讐の対価
指定された廃教会は、打ち捨てられて久しい瓦礫の山だった。
天井の穴から降り注ぐ雨が、崩れかけた祭壇を濡らしている。その前で、エレーネは待っていた。傍らには、先ほどの少女ココが、退屈そうに瓦礫を積み上げて遊んでいる。
「……よく来てくれたわね、バルツ」
エレーネの声には、別邸で見せた冷徹な覇気はなく、どこか疲れ切った色が滲んでいた。
「罠にハメたこと、まずは謝罪するわ。そして、あの少年――『器』を目覚めさせてくれたことには感謝を」
「そんなお膳立てはどうでもいい」
バルツは雨に濡れた髪をかき上げ、単刀直入に切り込んだ。
「俺が知りたいのはアレが何かってことだ」
「多分貴方が想像している通りの存在よ。『始祖の錬金術師』そのクローン体ではあるけど」
エレーネは自嘲気味に笑い、続けた。
「貴方は、この国の皇帝がどういうものかご存知?」
エレーネは冷ややかな瞳で、崩れかけた教会の聖母像を見上げながら言った。
「支配者? 象徴? ……いいえ。あれはただの『生きた柩』よ」
「……生きた柩?」
「ええ。三百年前、帝國を築き上げた始祖の錬金術師。そのあまりに強大すぎる『魂』と『知識』は、肉体の死ごときでは消滅しなかった。……ただ、それはある意味好都合だった。この国を裏から支配し続けるためにね」
エレーネはまるで忌々しい汚物を語るように言葉を紡ぐ。
「だから、歴代の皇帝は代々、その身に始祖の魂を宿し、封印するための『器』として利用されてきた。あの『絶対結界』も、外敵から皇帝を守るための盾じゃない。中の怪物が食い破って出てこないようにするための、頑丈な『檻』だったの」
「……なるほど。だが、器にも耐用年数がある」
バルツは瞬時に理解した。あの寝室で見た老皇帝の、枯れ木のような肉体。そして、病的なまでに張り巡らされた生命維持の術式。
「その通りよ。今の皇帝の肉体は、もう限界だった。魂の腐敗に耐えきれず、器が壊れかけていたの。だから新しい、若くて強靭な『スペア』が必要だった」
「それが、君の屋敷にいたあの少年――クローン体か」
「そう。空っぽの器を用意し、古い器から中身を移し替える。……でも、そのためには一度、古びた檻の鍵をこじ開けなきゃならない。それも、中の『中身』を傷つけずにね」
エレーネはバルツを指差した。
「なるほどね。……だが、買い被りすぎじゃないか? 皇室お抱えの術師なら、僕以上の手練れも一人くらいいるだろう」
バルツは肩をすくめてみせた。
「わざわざ市井の、それも裏稼業の僕を使う必要はない。……それに、代々そうやって『中身』を継承してきたのなら、内部に専任の執刀医がいるはずだ」
「『一人くらい』……? 謙遜しているようで、とてつもなく傲慢な言い草ね」
エレーネは鼻で笑い、冷たく言い放った。
「理由は知らないわ。私が受けたオーダーは一つ。『バルツという記憶外科医を使え』。……ただのクライアントからの指名よ」
「……なるほどね。僕は知らず知らずのうちに、始祖の移植手術を完遂させられたわけか」
バルツは口の端を歪め、冷たい嘲笑を浮かべた。
「そんで、無事に錠前が開いたから、僕は用済みとして削り捨てるってわけだ。随分と合理的な経営判断だね、エレーネさん」
「ええ、とても合理的よ。……私の感情以外はね」
「……感情?」
「あなたは、私が何を求めていたかなど興味もないでしょうね」
エレーネの合図と共に、教会の影から武装した傭兵たちが現れ、退路を断つようにバルツを取り囲んだ。
「私が求めていたのは、あなたの破滅だけよ」
「……一つ聞かせろ。僕を憎んでいるなら、なぜ別邸に呼んだ時点で殺さなかった? わざわざ皇帝暗殺の濡れ衣を着せるような、回りくどい真似をしたんだ」
「殺したかったわよ。今すぐにでも喉笛を食いちぎりたいくらいにね!」
エレーネはギリギリと歯を鳴らし、バルツを睨みつけた。
「でも、あの強固な『檻』を傷つけずに解剖できるのは、この国であなただけだった。だから私は耐えたのよ。あなたが涼しい顔で私の屋敷に入り込み、偉そうに能書きを垂れるのを、笑顔でね……! 全ては、あの怪物を解放するため。そして――」
彼女は一歩踏み出し、バルツの胸倉を掴もうと手を伸ばし、止めた。
「覚えていないでしょうね。三年前、ある錬金術師の男が、あなたの店で『家族の記憶』を売った。男は成功し、巨万の富を得たわ。……でも、彼は私のことを忘れた。私の手料理の味も、出会った日のことも、愛していたという感情さえも!」
バルツの脳裏に、これまで買い叩いてきた無数の「愛」の記憶――彼にとっては銀貨数枚の価値しかない「ゴミ」のようなシャードの山が過ぎった。
その中の一つが、目の前の彼女の幸せだったのだ。
「彼は成功者になったけれど、私たちの家庭は壊れたわ。私は幸せを奪われたのよ、あなたのその『メス』によって! ……さあ、死んで詫びなさい。地獄で、私の夫の記憶を探してきなさいよ!」
エレーネの冷たい命令が響く。傭兵たちが一斉に引き金を引こうとした。
(……やれやれ、これだから遺族への説明は苦手なんだ)
バルツは死の宣告を聞きながらも、コートのポケットの中で、ある一つの結晶を強く握りしめていた。
それは高密度の「精神汚染」を封じ込めた黒いシャードだ。
これをここで砕けば、強力な精神波が周囲の脳を焼き切り、全員が発狂する。
自分も含めて影響を受けるが、防護術式を施せば免れる。
バルツは、隙を見てエレーネの記憶を覗くつもりだった。
(まだ知りたいことがいくつかあるけど、残りは『直接』聞くことにするか)
バルツが覚悟を決め、シャードを握りつぶそうとした――その時。
ドォォォン!!
教会の壁が爆音と共に吹き飛び、土煙の中から巨大な影が飛び込んできた。
「オラァ! 借りがあるままだと寝覚めが悪いんでな!!」
魔導重火器をぶっ放しながら現れたのは、去ったはずのシドだった。
彼は瞬く間に傭兵二人を銃床で殴り飛ばし、バルツの前に立ちはだかって防壁を展開する。
「シ、シド!? どうして……」
バルツは握りしめていたシャードをポケットの奥に戻し、目を見開いた。
この乱入だけは、彼の計算にも、エレーネの脚本にもないイレギュラーだ。
「勘違いすんなよ! エレーネさん、てめぇがあんまりにクソ女だから戻ってきただけだ! 逆恨みもいいとこだぜ!」
「いや真っ当な恨みだと思うよ……僕じゃなぬて取引をした主人に向けるべきだけどね」
「減らず口叩いてねぇで走れ!」
シドは閃光弾を炸裂させ、混乱に乗じてバルツの襟首を掴んだ。
二人は瓦礫の山を駆け抜け、暴風雨の夜闇へと姿を消した。
追っ手を撒き、スラム街の奥深くに隠されたセーフハウスへと逃げ延びた二人。
カビと錆の匂いが充満する狭い部屋で、シドは肩で息をしながら、コンクリートの壁に背を預けて座り込んだ。
「……はぁ、マジで死ぬかと思ったぞ。もう二度と助けに行かねぇからな」
「……ああ。助かったよ」
「なんだ? なんかやるつもりだったのか?」
「一応ね」
バルツはシドに、奥の手のシェードを見せた。
「こいつを破裂させて、自爆するつもりだった。混乱してるところで、記憶ものぞかせてもらおうかとも思ってたんだけどね」
「そりゃあ過激だな」
「頭の中覗くつもりだったが、まぁいいや」
バルツは膝の震えを抑えながら、割れた窓ガラスの向こう、雨に煙る夜景を見つめていた。
その横顔には、疲労の色と共に、冷静な思考の光が戻りつつあった。
「しかし、とんでもねぇ女だったな。復讐のために皇帝暗殺の濡れ衣を着せ、始祖まで復活させるとは。狂ってやがる」
「……どっから突っ込めばいいのか」
バルツは懐からハンカチを取り出し、顔についた泥を拭いながら静かに言った。
「ずいぶんと恨みを買ってみてぇだな」
「少なくとも2人の人間に嫌われてるみたいだね」
言いながら、バルツは事のあらましの頭の中で整理した。
指名手配にして、バルツらを社会的に抹殺する。その上で、逃走先で殺して死体を隠す。そうすれば、公式発表は『皇帝暗殺犯は逃走中』となり、死体が上がらなければ事件は永遠に迷宮入りだ。
狙いはそんなところかと予想したが、しかし疑問がいくつもある、そもそもどうして皇帝暗殺なんて手順を踏むのか、だ。
今までも記憶を継承してきたというのなら、こんなだいそれたことをする必要もない。
そして自分を抹殺したいのなら、皇帝の暗殺というクッションを挟まずとも、闇討ちでも何でもしてすぐに殺してしまえばいい。
(あるいは、もっと何か別の狙いがあるか……)
その狙いは、現状まだわからない。
今はするべきことをする時だ。
仮にそれが、黒幕の筋書き通りだとしても。
「……エレーネは感情的になりすぎたかな。本来なら、僕が教会に来た瞬間に狙撃すれば済んだ話だ。それをわざわざ姿を現し、過去の因縁を語り、僕が絶望する顔を見ようとした。……その『私情』によるタイムラグが、君が駆けつける隙を生んだんだ」
バルツはシドの方を振り返った。
「黒幕は合理的な『完全犯罪』を求めたが、実行犯のエレーネは『ドロドロした復讐劇』を求めた。この温度差だ。黒幕にとって、感情で動くエレーネは既に制御しきれない『不確定要素』になっているはずだ」
「……つまり、そこの連携がガタついてる今なら、付け入る隙があるってか?」
「その通りだ。彼女は今、失敗して焦っているはずだ。黒幕への言い訳、逃した僕への恐怖……精神的に追い詰められている今なら、その記憶の防壁も脆くなっている」
バルツの瞳に、獲物を狙う外科医の冷徹な光が宿った。
「僕は、直接聞けばいい。彼女と黒幕の繋がり、そして始祖の錬金術師について。……その答えは、彼女の頭の中にあるのだから」
「ささっとトンズラするって手もあるぞ」
「いや、前にも言ったけど、僕にはどうしても知りたいことがある。それを逃す手はない」
バルツは拳を握りしめた。
シドは呆れたように天を仰ぎ、頭を乱暴に掻きむしった。
シドは、バルツが『始祖の錬金術師』に並々ならぬ執着を持っていることは知っている。
理由は知らない。
聞く必要もないと考えている。
自分にもそうした執着の一つや二つ、ないわけではないから。
「……仕方ねぇな。乗りかかった船だ。その代わり、報酬は高くつくぞ」
「出世払いで頼むよ。……さて、方法は一つだ。エレーネの寝室に忍び込む。だが、正面からじゃ蜂の巣だし、俺たちの手口はもうバレてる。どうやって忍び込むかだが……」
「おじさん達、ほんっと無能だねぇ♡」
不意に、部屋の隅にある古びた木箱の上から声がした。
二人がギョッとして振り返ると、そこには窓枠から侵入したらしい少女――ココが、ペロペロキャンディを舐めながら足をぶらつかせていた。
「お前、何してやがる。つーか、どこから入った!」
「お前、じゃなくて、ココちゃん♡ って呼んでね。あ、ハートもつけるの忘れずにね。エレーネの屋敷に入りたいんでしょ? 私が裏口、教えてあげよっか?」




