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魔導都市の記憶外科医  作者: 紅茶


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4/10

帝国の心臓


 地下水道の湿った冷気と、数百年分蓄積された汚泥の腐臭がバルツの頬を撫でる。


 エレーネが事前に手配した「警備の空白」は、あくまで人間の衛兵たちに限られたものだ。


 帝都の深部に張り巡らされた魔導センサーや、主を持たぬ自動防衛機巧ゴーレムたちは、依然として侵入者の「魂の波長」を逃さぬよう目を光らせている。


 しかしこれにも穴がある。


 魂の波長を乱す道具を使えば彼らに気づかれず行動することも可能。


 バルツとシドは、黒いフードつきの外套に身をつつみ、自動防衛機巧の目を欺いた。




「……最悪だ。新品のブーツが台無しだよ、シド」




 バルツは膝まで泥に浸かりながら、眉間に深い皺を寄せた。


 片手で高価なコートの裾をまくり上げ、もう片方の手でランタン代わりの微光シャードを掲げる。




「後でエレーネにクリーニング代を請求しとけ」




 背後で重火器を担ぐシドは、泥まみれの環境など意に介さない様子で、手元の魔導地図と暗視ゴーグルを交互に確認している。


 彼の動きは澱みなく、まるで闇そのものが歩いているかのように音を立てない。


 二人は垂直に切り立った排気ダクトを登り、宮廷の壁の内側に設けられた「秘密の回廊」へと滑り込んだ。そこはかつて暗殺や密談のために作られた、地図にない通路だ。




「……ようやく『裏地』に辿り着いたか」




 そこは、豪華絢爛な宮殿の「皮」一枚裏側に位置する、湿った闇の空間だった。



 右側には、丹念に磨かれた大理石の壁の裏側である、剥き出しの荒い石材が迫っている。

 


 左側には、表の廊下を飾る巨大なタペストリーの裏地が垂れ下がり、その隙間から漏れる微かな光が、埃の舞う細い通路を辛うじて照らし出していた。



 一歩踏み出すたびに、足下の古い木材が軋み、その音が表側に漏れはしないかと神経を逆撫でする。



 壁に設けられた覗き穴からは、煌びやかな衣装を纏った貴族たちが、すぐ数センチ先を優雅に歩いているのが見える。



 華やかな社交界の喧騒と、自分たちが潜む死の静寂——そのあまりの対比に、バルツは皮肉な高揚感すら覚えていた。




「ここまで来れば、まぁ安心だな」




 シドは大きな体を器用に折り曲げながら、巨大な魔導重火器が壁に当たらないよう細心の注意を払って進んでいる。



 時折、巡回する衛兵の鎧の擦れる音が、壁の向こう側でリズミカルに響いては遠ざかっていく。




「……ったく、こんな狭いところを這いずり回るのは、大男の仕事じゃないぜ」




 シドが声を殺してぼやく。




「ここを抜ければ、皇帝のプライベート・スイートの真裏だ。歴史の裏側を歩いている実感を楽しみなよ、助手」




 バルツは手袋の汚れを払いながら、狭い通路の先を睨んだ。



 皇帝の寝室は、物理的な城壁よりも強固な、幾重もの魔導結界に守られた完全なる要塞だ。



 正面の扉から入ろうとすれば、たとえネズミ一匹であっても、瞬時に迎撃術式の業火に焼かれることになる。




「エレーネの情報通りだな。宮廷の警備を司る術式の『心臓』は、寝室の扉ではなく、その外殻である壁の裏に隠されている」



「正面突破が無理なら、裏から鍵を壊す。泥棒の基本だな」




 シドは重火器が壁に当たらないよう注意しながら、低い声で応じた。



 彼らがこの埃っぽい隙間を這いずり回っているのは、寝室に足を踏み入れる前に、結界の供給源を直接叩いて無力化するためだった。



 この回廊は、城の防衛システムの「神経系」が剥き出しになっている、唯一の急所なのだ。



 一歩踏み出すたびに、足下の古い木材が軋む。



 二人はやっとの思いで、通路の突き当たりにある重厚な金属の基盤——結界の「心臓部」が露出した場所へと辿り着いた。



 目の前を塞ぐのは、壁の裏側に埋め込まれた巨大な円盤状の魔導装置だ。



 それは深海のように暗い色をした特殊な合金でできており、表面には数千、数万もの微細な術式が、まるで生き物の血管のように複雑に、かつ緻密に刻まれている。



 装置の中央には、拳ほどの大きさの「賢者の石」と呼ばれる魔道具が嵌め込まれており、それがこの心臓を動かすエネルギー源となっている。



 その脈動のたびに、空気中に極細の魔力糸が放射され、幾何学的な模様を描きながら寝室全体を包む「絶対結界」を形成していた。




「……なるほど。単なる術式の壁じゃない。帝国の歴史そのものを動力源にしているような重みだ」




 バルツは吐息を白く染めながら、その「心臓」を食い入るように見つめた。



 その瞳には、恐怖ではなく、極上の解剖対象を前にした外科医の情熱が宿っている。




「これほど強固な『自尊心』で固められた鍵は、力任せに壊そうとすれば、中にいる主ごと爆発するだろうね。……でも、僕のメスなら話は別だ」



「そういうのいいから早くしろ」




 しびれを切らしたシドが茶々を入れる。


 しかしそれを無視して、バルツは続ける。




「……ここから先は、僕の『魂の穿孔針ソウル・ドラフト』の出番だ。この針には、始祖の論理が組み込まれている。現代の魔術師が築いたこの『壁』も、僕にとっては存在しないも同然さ」




 バルツは芝居がかった手つきで、空中に浮遊する魔力の「結び目」へ正確に針を突き立てた。『ソウル・ドラフト』が対象の魔力波長を解析し、ナノ単位で形状を変化させて結界の隙間に食い込んでいく。



 キィィ、と耳鳴りのような高音が響き、強固な防壁が音もなく霧散した。




「……あー、今の針を刺す角度、68点。ちょっと指先の震えてて緊張が見えた。鏡の前で練習してたのにな」



「……ちょっと黙っててくれよシド。めちゃちゃ神経使うんだから。君が重火器で結界をぶち抜く番にならないよう、祈っててくれよ」




 バルツは震える手で『魂の穿孔針ソウル・ドラフト』を「心臓」から引き抜いた。



 装置の中央に嵌め込まれた紅い石の脈動が止まり、張り巡らされていた無数の魔力糸が、まるで断ち切られた蜘蛛の巣のように力なく霧散していく。



 結界が吸い上げていた周囲の熱が戻り始め、刺すような冷気は消えたが、代わりに重苦しい沈黙が二人を包み込んだ。




「……術式のバイパス、成功だ。これで、僕らを焼き殺す守護兵ガーディアンは眠りについたよ」




 バルツが芝居がかった手つきで額の汗を拭う。その横で、重火器を点検していたシドが、我慢しきれないといった様子で吹き出した。




「……ぷっ、 なあバルツ、『眠りについた』ってなんだよ。ただのセキュリティ・プログラムを強制終了させただけだろ」



 シドは肩を震わせ、面白そうにバルツの横顔を覗き込む。



 バルツはわずかに耳の端を赤くし、苦々しい表情でシドを睨みつけた。




「……比喩だよ。高度な術式干渉は、時として生命活動の停止に酷似するんだ。専門的な知見がないなら黙っていろ」



「比喩ねぇ。お前、そういうセリフ考えてんのか、 『守護兵は眠りについた』って、どんな生活してりゃ思いつくんだよ」



「……うるさい。さっさと中にはいるぞ、この口の減らない助手め」




 狭苦しい壁裏の闇から解放された先。


 辿り着いた皇帝の寝室は、外の喧騒を完全に遮断した、豪華で静謐な棺のような空間だった。



 そこには濃厚な「死」の予感と、それ以上に重苦しい魔力の停滞が漂っていた。



 天蓋付きのベッドに、老皇帝が横たわっている。


 かつて一国を統治した英雄の面影は、今や枯れ木のように痩せさらばえた肉体に僅かに残るのみだ。




「……シド、見張りは頼んだ。これからの作業は、僕にとっても未知の領域だ」



「はいはい、了解。大先生が『溺れる』前に、尻尾を掴んで引きずり出してやるよ」




 シドが入り口で獲物を狙う獣のような鋭い視線を闇に走らせる中、バルツは皇帝の枕元に膝をついた。



 震える指先で、皇帝の額に『ソウル・ドラフト』を刺し込む。



 次の瞬間、バルツの意識は爆発的な衝撃と共に、皇帝の精神世界へとダイブした。



 ――視界を埋め尽くしたのは、泥沼のような情報の濁流だった。



 数代にわたる国家機密、血塗られた処刑の記録、民衆の歓喜、そして支配者としての傲慢な自負。



 それらが腐敗した毒となって、バルツの意識に襲いかかる。



 並の外科医なら、この一撃で精神を砕かれ、廃人と化していただろう。



(だが僕からすりゃへでもねぇ)



 バルツは「自我のアンカー」を打ち込み、意識の散逸を必死に防ぐ。



 彼は濁流をかき分け、エレーネが望んだ「統治権の象徴」となる記憶の核を探した。



 だが、その濁流を抜けた先、魂の最深部に辿り着いたバルツは、驚愕に目を見開いた。



 そこにあったのは、激しい感情の渦でも、冷徹な統治の記憶でもなかった。



 そこにあったのは、あの別邸の少年と同じ「純白の真空」だったのだ。




(とういうことだ?)




 混乱するバルツの意識の前に、その真空の中から、一人の男が姿を現した。



 それは老いた皇帝の姿ではない。



 若き日の、しかし瞳には「始祖の錬金術師」と似た深い叡智を感じさせる男――。



 男は、戸惑うバルツに向けて、優雅に、そして滑稽なほど芝居がかった仕草で一礼した。




『ようこそ、後継者フォロワー諸君。……君たちが来るのを、もう三百年ほど待っていたよ』



「なっ……」




 問い返す暇はなかった。その声が響いた瞬間、精神世界の白がひび割れ、強烈な拒絶の波動がバルツを襲う。



 同時に、皇帝に潜行旨ている自分の身体が、指先からパラパラと灰になって崩れ始めた。




「バルツ! 戻れ、危ない!」





 シドの怒鳴り声が聞こえた瞬間、バルツは内側から弾き出されるように強制浮上した。



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