準備
魔導都市の裏通りにひっそりと佇む「記憶外科」は、深夜になると一層その怪しさを増す。
院内の奥にある工房では、青白い魔力の火花が散り、金属が擦れる不快な音が響いていた。
バルツは拡大鏡を覗き込み、極細のメスで未知の術式が刻まれた銀の針を調整している。
「……よし、これでいい。皇帝の防護結界を内側から食い破る『魂の穿孔針』の最終調整は完了だ」
バルツは満足げに呟き、手袋を脱いで汗を拭った。
机に置かれたその針は、淡い燐光を放ちながら生き物のように不規則に脈動している。
通常の記憶外科で使用される「穿刺針」が、単に記憶を出し入れするだけの受動的な「ストロー」に過ぎないのだとしたら、この『ソウル・ドラフト』は「ドリル」と「鍵開け(ピッキング)ツール」を兼ね備えた精密兵器だ。
この針には、対象者の魔力波長を瞬時に解析し、その「隙間」に合わせて自身の形状をナノ単位で変形させながら食い込む「自己適応型」の侵食術式が組み込まれている。
さらに、バルツが密かに収集していた「始祖の錬金術師」の遺失記憶の断片も組み込まれている。
現代の魔術理論とは根本から異なる「始祖の論理」で構成されているため、最新の防護結界であっても、この針にとっては「存在しない壁」も同然だった。つまり、最新ではサポートできない、原理のわからない未知のコードで動くプログラミングなのだ。
つまるところ、何でもできる針。
人間の記憶の潜行、抽出のみならず、対象はものや魔術そのものにも作用できる。
そして何より重要なのは、魂の「安定化」を促す機能だった。
あのエレーネの別邸で触れた、少年の「白亜の虚無」のような強烈な負圧に対しても、この針はバルツの自我を繋ぎ止める「自我の楔」としても機能し、意識の散逸を防いでくれる。いわば、命綱としての機能。
それを自立的に行ってくれる。
「おい、バルツ。また変な名前つけてんじゃねえだろうな」
部屋の隅で、巨大な魔導重火器のメンテナンスをしていたシドが、顔を上げずに声を投げてきた。
彼は手慣れた動作で銃身を磨き上げ、弾倉のロックを確認している。
「……『魂の穿孔針』だ。機能と本質を端的に表した、完璧な命名だと思わないかな?」
「思わねえよ。長ったらしい。ただの『針』とか、見た目からしてドリルとかでいいだろ。どうせ現場じゃ『あれ出せ』で済ますんだからよ」
「おいおい、あんたには美学というものがないのかよ? 記憶を扱うってのはな、その持ち主の人生に敬意を払うことと同義なんだ。道具の名称一つ取っても――」
「はいはい、敬意敬意。その敬意とやらのせいで、作業が予定より二時間も押してるんだ。アホか。お前も金になるからやってるだけだろ。皇帝の容体は待ってくれないぜ? 死んじまったら大好きなお金も、お前が喉から手が出る「始祖の記憶」とやらも手にはいらない。エレーネの女狐だって、痺れを切らして、別の外科医を差し向けても知らねえぞ」
シドは重い重火器を軽々と肩に担ぎ、バルツの机に無造作に腰掛けた。
その瞳は冗談を言っているようでも、仕事に対する冷徹な計算は失われていない。
「……分かっているよ。潜入ルートの確認はどうなっている?」
「問題ない。皇帝の寝室へ続く地下水道の警備は、エレーネから聞いた通り夜中の時間に一瞬空きがある」
「大丈夫か? お前の銃頼りとかじゃないよな?」
「ああ、平和的に俺たちが潜り込む隙間は十分にある。が……問題は、寝室の結界だ。あれは俺の銃じゃどうにもならん。お前のその『キラキラ針』の出番だな」
「キラキラ針じゃねーよ。『魂の穿孔針』だ。……大丈夫、この針には僕が追い求めていた『真理』の一部が溶け込んでいる」
バルツは窓の外、遠くにそびえ立つ帝都の城影を見つめた。
その瞳には、野望を越えた「執着」が宿っている。
「……始祖の記憶。その片鱗に触れるためなら、僕は国家さえも解剖してみせるさ」
バルツが再び、窓を背に芝居がかった仕草でコートを羽織ろうとした、その時。
「……今の『国家さえも解剖』ってやつ。まぁ景気よく、85点くらいにしておくか」
「…………採点すんじゃねぇ。行くぞ、助手」
バルツは顔を赤くしながらも、仕事道具を鞄に詰め込み、足早に店を出た。
シドは小さく笑いながら、重火器の安全装置を解除し、その後に続いた。
路地裏の小さなメスと、それを見守る無骨な重火器が、巨大な帝国の闇へと消えていく。




