エピローグ
嵐が去った帝都の空は、憎らしいほどに晴れ渡っていた。
崩壊した時計塔の最上階。
朝日が瓦礫の山を照らし、濡れた床を黄金色に染めている。
宰相ヴォルガードは気絶し、駆けつけた近衛兵たちによって拘束された。
彼の「革命」は、夜明けと共に夢と消えたのだ。
「……バルツ」
瓦礫の傍らで、エレーネが力なく呟いた。憑き物が落ちたような顔だったが、その瞳は腫れ上がっている。
「私……なんてことを……」
「反省会は後だ。とりあえず、旦那のところへ帰んな」
バルツは懐から、一粒の小さなシャードを取り出し、彼女へ投げ渡した。
それは、以前彼女の夫から買い取った記憶――『妻への愛』の結晶だ。
「返品だ。誰か適当な医者に頼みな」
「……え?」
「だからそいつを旦那に戻してやれ。腕のいいやつなら、元通りにできるだろ。……まあ、時間は戻せないが、新しい時間を積み上げることはできるはずだ」
エレーネはシャードを胸に抱きしめ、涙を流しながら何度も頷いた。
失った過去は戻らない。だが、未来を作ることは許されているのだ。
*
そして、バルツの腕の中には、気を失っていた少年が目を覚ましていた。
少年はキョロキョロと周囲を見渡し、怯えたように自身の両手を見つめた。
「こ、ここは?」
「僕の家だ。ひとまず記憶を整理した」
バルツは少年の頭を乱暴に、しかし優しく撫でた。
シドが近づいてきて、怪訝そうな顔をする。
「おいバルツ。こいつの中身……あの『始祖の怪物』はどうなったんだ? お前が消したのか?」
「消したというか……そもそも、最初から『いなかった』んだよ」
バルツは眼鏡を拭きながら、皮肉な笑みを浮かべた。
「オペをして分かった。こいつの中に移植されていたのは、始祖の魂なんかじゃない。歴史書や断片的な記録から再構築された、継ぎ接ぎだらけの『贋作』だったのさ」
「はぁ? 贋作だぁ?」
「ああ。本物の始祖の魂なんて、三百年も前にとっくに消滅していたんだろう。歴代の皇帝たちは、その『残りカス』を必死に守り、ヴォルガードのような狂信者たちは、それを神だと崇めていただけだ」
バルツは空っぽになった時計塔の台座を見上げた。
「あの宰相は、世界を変えるために命がけで『偽物の神』を呼び降ろそうとしていたわけだ。……滑稽な話だろ?」
少年――かつて器とされた子供は、もはや何の運命も背負っていない、ただの迷子だった。
その瞳には、怪物の影など微塵もなく、ただ朝日の眩しさだけが映っていた。
*
数日後。スラム街の診療所。
いつものように薄暗い部屋で、バルツはコーヒーを啜っていた。向かいのソファでは、シドがふんぞり返っている。
「結局、報酬はなしかよ。指名手配は解けたが、国を救った英雄にしちゃあ扱いが悪すぎねえか?」
「歴史の裏側なんてそんなもんだ。それに、宰相の隠し財産から少し『経費』はいただいたろ?」
「はっ、あんなはした金で命張ったと思うと泣けてくらぁ」
シドが悪態をついていると、窓辺にひょっこりと人影が現れた。
ペロペロキャンディを咥えた少女、ココだ。
「やっほーおじさん達、元気してたー?♡」
「げ、疫病神……」
「ひどーい。せっかくアフターケアに来てあげたのに。……少年なら、孤児院で元気にやってるよ。『シドおじさんかっこよかった』だってさ」
「……フン、見る目のあるガキだ」
シドが満更でもなさそうに鼻を鳴らす。
バルツは静かにココを見据えた。
「で、君の『監督』は満足したのかい? 今回の結末に」
「んー、まあまあかな? 『贋作騒ぎで膿が出せたのは良かった』って言ってたよ。国もしばらくは大人しくなるだろうしね」
ココはニヤリと笑い、窓枠から身を乗り出した。
「でも、気をつけてねバルツっち。本物の『始祖の真理』に近づこうとするなら、次は私のボスが敵になるかもしれないから」
「……肝に銘じておくよ」
「じゃあね! 次の脚本ができるまで、ごきげんよう!」
少女は嵐のように現れ、そして風のように去っていった。
後に残されたのは、二人の男と、静かな日常。
バルツは懐からロケットペンダントを取り出し、開いた。
そこには、幼い妹の笑顔がある。
それはバルツの唯一の家族。
もう一度会いたい相手。
死者の復活など、所詮は夢幻なのかもしれない。
だが、それでも。
記憶という確かな痕跡がある限り、彼はメスを置くつもりはなかった。
「さて、店を開けるか。今日はどんな『記憶』が持ち込まれるやら」
「へいへい。用心棒代、ツケとくからな」
路地裏の診療所に、明かりが灯る。
記憶外科医バルツと相棒シド。
二人の奇妙な旅路は、まだ終わらない。




