2
「やるとは言ったけど、まさか本当に採用されるとは…」
私は後宮へと向かう馬車の中で頭を抱えていた。
勢いで後宮の甘味役に応募したのはいいが、よくよく考えてみればかなり軽率だったのではと不安が勝ってきたのだ。
私のような小娘が年上だらけの後宮でやっていけるのか?
菓子屋で庶民に接しながら育ったため、興奮すると口が汚くなる悪癖が私にはある。
貴族に対して下品な言葉を発したらどうしよう。
そんな考えがジワジワと湧き上がってきて、受かってほしいような、受からないでほしいような複雑な日々を過ごしてきたのだった。
「採用されたのはいいけど、上手くやれるかどうかは別の話よね…」
私が応募を決めてから、父リーフォンは後宮について色々と教えてくれた。
先方からも参考までにと丁寧な説明も受けた。
何かあると不味いため必死に覚えたが、今一度復習しようと口に出して復習する。
どうせ馬車に乗り合わせている者もいないのだから遠慮もいらない。
「えー、まず後宮の女性は4種類。妃と身の回りの世話をする側仕え、役職を与えられた官女、そして雑務全般を担う下女。妃の中でも特に寵愛を得ている皇后候補が三夫人。それぞれ、貴妃、徳妃、賢妃の名を贈られている」
漏れがないよう指を折り数えていく。
妃の上級、中級、下級と合わせれば、後宮にいる全ての女性はこのいずれかに属する。
後宮は完全な階級社会なため、このあたりの話を取り違えると笑い話では済まない。
刑罰として棒で打たれた者もいるので、まさに生死を分かつ知識である。
「女性たちの出自は4種類。名家から招いた礼聘、選抜の上で採用された採選、有権者が捧げた献上、奴隷や贖罪として送り込まれた没官」
これらは先に挙げられた者ほど地位が高く扱われる。
私を例にすれば、甘味役を任された官女であり、選抜を受けた採選となる。
つまりそこそこ偉いが、上には上がいるため下手に偉ぶることもできない。
側仕えもほとんどが名士の娘なので地元では結構偉く、油断して馬鹿にするわけにはいかなかった。
「まあ、仕事をこなすだけだからいいんだけど。相手は基本的に上級妃らしいから、油断する余裕もないしね…」
下級妃であっても街で1番見た目が良い水準なので、顔の出来ではどう足掻いても勝てない。
それに名家出身ともなれば知識経験は豊富で何かしらの秀でたところがあり、加えて怒らせれば親類縁者から恨まれかねないから要注意である。
庶民でも女社会は階級制かつ派閥制で成り立っているが、後宮は更にそれが顕著だ。
官女であっても完全な中立は難しいことくらい、貴族社会から縁遠い私も理解していた。
どの妃が有力だとかの話も一応聞いたが、権力争いには極力関わりたくないので、とにかく誰からも睨まれないことが第一である。
妃はそれぞれが派閥を構成し、戦国の時代さながらに同盟や敵対、合従連衡、調略、騙し討ちが横行していると聞いた。
妃たちは皇帝に選ばれるために手塩にかけて育てられ、自分以外の誰かが皇后になることを許そうとしない。
古今東西、貴族や名家に連なる者たちにとって欠かせない仕事がある。
それは自らの立場を誇示することである。
いかなる手段を用いてでも自らが相手よりも優位だと示すこの行為は、権力を握る者にとって決して避けられないものだ。
権力は非常に曖昧なもので、相手を縛る見えない鎖だが、相手がそのことをきちんと理解していないと全く効果を発揮しない。
加えて、権力はふとしたはずみで失われることがある。
それまで王の如く振る舞い何をしても許されていた者が、不祥事1つで周囲から人が離れ袋叩きにされることがある。
それ故に、権力を守るためなら圧をかけるなり、罵声を浴びせるなり、暴力を行使するなり、甘い言葉を囁いて良い気分にさせるなり、ありとあらゆる手段が正当化される。
特に女性の世界においては立場の違いは絶対的なものである。
上の者は下の者がしゃしゃり出ることを許さず、出る釘は地の底まで叩き埋められる。
後宮という女社会の極地ともなれば、何が起きるかは言うまでもない。
畢竟、いつの時代も女の敵は女である。
まさしく彼女たちは後宮で戦争をしているのだ。
「いくらなんでも血なまぐさ過ぎるわ…。ほどほどに、そう、お金と伝手が得られるくらいに頑張りましょう」
褒美を得るためには成果を上げなければならない。
成果を上げて役に立つと分かれば、必然的に妃たちとも関係を深めることになるだろう。
だが、特定の妃に肩入れし過ぎれば、対立する妃たちから邪魔者扱いされてしまう。
目的を果たして後宮を出るためには、細い木の棒を渡るように、常に平衡を保つことが求められる。
現実から目を逸らすように、馬車の窓から流れる風景を眺める。
私のように金銭に目が眩んで後宮に入った者も多いと思いつつ、どれだけの人間が無事に目的を達成できたのか怖くなって考えるのを止めた。
**********
念入りな身体検査と荷物検査の後、問題なく後宮に入ることができた。
そして、最終面接だと言われて連れて行かれた、飾り気は無いが品の良い執務室。
そこに顔が良い男がいた。
顔が良いという言葉では足りない。
冗談抜きに城や国を傾けられそうなほどだ。
男の隣に立っている老女は存在感が消し飛ばされている。
思わず拱手礼、左手の拳に右手を被せた礼の姿勢のまま唖然とした。
その20歳前後に見える男は椅子に座ってこちらを眺めているが、背丈が高いことは一目瞭然。
彼と並べば私の顔は胸の辺りまでしか届かないだろう。
太りもせず痩せもせずといった体型だが肩周りはしっかりしていて、胸板の筋肉が厚みのある上等な服を押し上げているのが分かる。
そして何よりも目を引くのは顔と髪と纏う雰囲気。
眉目秀麗かつ剣眉星目、ええい、風流倜儻もおまけに付けてもよい。
肩甲骨の中程まで伸ばした艷やかで真っ直ぐな黒髪を後頭部で縛り、それが体の動きに合わせてサラリと揺れる。
目鼻立ちや眉が整っていて凛々しく端正、かつ目は宝石を埋め込んだのかと言わんばかりにキラキラと輝いている。
そして纏う雰囲気。
美しい庭園の精か何かと見間違わんばかりの溢れる気品があり、威風堂々としていながらも色気を撒き散らしていた。
何気ない所作も洗練され、動きを止めれば石像か何かのように堂に入っている。
あるはずのない後光が見える気がした。
伝説や詩に出てくる人物をそのまま取り出したかのような、これ以上ないほどの美丈夫である。
(この見た目なら、中身が空っぽでも立って微笑んでいるだけで金が取れる。中身も詰まっていれば価千金どころか城と引き換えにできる)
頭の中で算盤が凄まじい勢いで弾かれ、欲にまみれた目がギラギラと輝いた。
こんな美丈夫を女だらけの後宮に置くと決めた馬鹿な管理者はどこのどいつだ?
男日照りの女たちからすれば、乾きを癒す慈雨どころか麻薬のような存在である。
何とかして持ち帰り、店で働かせられないものか。
父や弟のための金を稼ぐどころか、余った分で屋敷の蔵が増えるに違いない。
舌舐めずりしながらそんな事を考えていると、ふと疑問が湧いて冷静になった。
(はて、どう見ても男だけど、後宮にいるってことは宦官?)
後宮は妃たちが集められる場所であると同時に、皇帝が住む生活の場でもある。
そこに入ることが許される男性は基本的に宦官、つまり男性機能を取り除かれた者たちだけ。
しかし、宦官にしては体が立派すぎる。
宦官は女性のように線が細くなると言われているが、それと目の前の男性は全く一致しなかった。
「呆けているところ申し訳ないが。自己紹介をさせて貰うぞ。私は槐耀。後宮の管理官であり、お前の上司となる者だ。私のことはヤオと呼ぶように」
男性がゴホンと軽く咳払いして告げる。
少し低めの声も美しい。
だが、その言葉を聞いて体と思考が停止した。
手足が震え、膝がガクガクと揺れ始める。
「.........今、槐とおっしゃいましたか?」
なんとか絞り出した声は引きつり甲高く、哀れなほど震えていた。
「そうだ」
鷹揚に頷く男性を前に顔をしかめる。
この帝国で槐の家名を持つ一族は1つしかない。
皇帝とその親族である。
そして、今出てきた名前が該当する者は1人しかいない。
男性でありながら後宮の門をくぐれる例外中の例外、つまり現皇帝の兄である。
不敬どころの話ではなかった。
考えていたことを口に出していたら一族郎党が磔にされただろう。
(管理者が馬鹿なのではなく、ご本人が管理者でしたか)
そりゃ誰も止められんわと心の中で頷く。
いくら目の毒だとはいえ逆らえる相手ではないし、皇帝の兄に懸想する馬鹿が後宮にいるはずがないと主張されれば何も言えない。
「私のことは知っているか?」
「ご尊名は当然...。光と雷を操る能力をお持ちだとか」
お前の名前を知らない人間がいるわけがないだろうと胸の中で絶叫するが、口に出せるはずがないので押し殺す。
「証明代わりに1つ見せてやろう」
そう言うや否や、ヤオ様は指を1つ立てて見せた。
そして僅かな時を置いて、指先が白く灯り、パチパチと音を立て始める。
顔の良い男を背景に、白い光の中で小さな紫電が舞う姿は幻想的だった。




