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後宮。
それは国中の美女が集められ、皇帝の寵愛を得ようと競い合う場所。
豪奢な宮殿で、きらびやかな服をまとい、艷やかな化粧を施した才女たちが互いに切磋琢磨するというのが通説となっている。
それはこの槐帝国でも変わらない。
むしろ、天の子であるとされる皇帝、その妃となることはこの上ない誉れとされている。
初代皇帝は不思議な力を持ち、青龍、白虎、朱雀、玄武の四神を従え、槐の木の下で建国を誓ったとの逸話がある。
その血を受け継ぐ現皇帝はまさに天上人。
そんな皇帝の隣に立つに相応しいよう、妃候補は血筋確かな選りすぐりの美姫が、幼い頃から然るべき教育を施されるのが常である。
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「そんな後宮に行けと?この私が?」
甄翠花は訝しげに父である甄立峰に問いただした。
そして、自分の体を見直して思案する。
16歳の少女としては身長体型は極めて平均的で、特に目立ったところはない。
群衆の中で一際目立つような背丈はなく、歩いているだけで視線を集めるような豊満な胸や尻もない。
強いて言えば、右目を覆い隠すように茶色の髪を垂らし、後ろ髪を縛っている髪型が特徴的なくらいだ。
容姿もせいぜい中の上として扱われることが多く、無下にはされないが男たちが群がるほどの魅力もない。
身だしなみはきちんと整えていて清潔感はあるため、飾り気のない服に化粧が控え目なことも勘案すれば、「田舎名士の野暮ったい娘」という評価が妥当だ。
自分のことなので少し悲しくなるが、どう考えても妃として後宮に入れるはずがなかった。
「いや、妃としてではない。後宮の甘味役としての招聘だ」
父は手を振って私の言葉を否定する。
御年50歳の老人だけあって、私の言動に慌てる素振りもなく淡々としている。
髪は私と同じ茶色だが、白髪がかなり混じっていた。
妃としては不合格な点について父が否定してくれないことに対し、八つ当たり気味に若干の怒りを覚える。
自分では客観的に評価できたとしても、それを他人に指摘されると腹が立つ。
女心は複雑なのだ。
せめてやんわりと否定しろ。
「甘味役って...お菓子を作って出すわけ?後宮や偉い妃様なら専属の料理人がいるでしょ?」
一旦怒りを横において、父に向き直った。
「お前の疑問も最もだな。先方が言うには、甘味役は特定の妃のためではなく、後宮全体の催し物や皇帝陛下のために、茶や茶菓子を捧げる役職らしい。もちろん日々の細かい仕事もあるだろう。先任者が職を辞したため候補を募っているとのことだ」
「ふむ...。基本はお茶会とかに出す茶菓子の準備、それ以外は妃たちの要望に応じてお菓子を提供するってことね」
なるほど、そういうことであれば話は分かると頷く。
求められるのは菓子作りの技術や知識に、貴族の前に出しても問題がない程度の礼法と身だしなみ。
容姿は必要ない。
繰り返すが、容姿は必要ない。
「私に声をかけてきたのは、我が家が菓子屋を営んでいるから?」
「それだけでは不十分だ。後宮御用達を欲しがる店は多いし、知名度の高い店は帝国全土を見渡せばいくらでもある。どちらかと言えば性別や礼儀作法の方が問題だな」
「じゃあ、なんでよ?」
「分からんか?お前が作る菓子、西方の国々の料理を取り込んだものが物珍しいとされたのだ。もちろん他にも候補はいるだろうから、応募しても必ず採用されるとは限らん」
父は視線を逸らさずこともなげに言うが、その言葉を聞いて私はなんともいえない表情を浮かべた。
本来チェン家は帝国に仕える官僚一族であり、菓子屋は副業というか、2代前の当主が趣味で始めたものである。
元々は菓子職人などを雇って伝統的な菓子や点心を作っていたが、20年ほど前に父が西方人を保護したことを切っ掛けに話が変わった。
西の大砂漠を超えた先にある国々は行商を各地に派遣しているが、その一員が仲間とはぐれて頼る先もなく流れ着いたのだ。
西方人といっても人種はバラバラだが、どちらにせよこの国では西方人はあまり良い扱いを受けていない。
一時期は密偵の摘発が相次いだこともある。
交易はするものの互いに腹の探りあいは欠かさず、隙あらば食らいつこうという関係だ。
それ故、道を歩いていて石を投げられるほどではないが、物珍しさから奇異の目を向けられることは日常茶飯事であり、要職に就いたり店を構えることは極めて難しい。
私はその西方人から料理を学び、趣味で帝国式と西方式を混ぜ合わせた菓子を作っていたが、それを見た父が良かれと思って店へと並べ始めた。
当初は奇異の目で見られもしたが、「これはこれで」と好事家たちから人気を得ている。
とはいえ、帝国で十指に入るなどと評されるほどではないことは、自分自身がよく分かっている。
西方の料理が広まっていないが故の、物珍しさが菓子の価値を嵩上げしているだけだ。
今では父は当主の座を息子に譲っており、店は私に任せている。
私は私で、もっぱら菓子作りと金勘定ばかりにのめり込み、店の管理や客あしらいは他の者に頼っていた。
店の特色を評価されたとあれば、後宮に送り込めるのは私しか選択肢がなく、その間は父が店の面倒を見てくれるだろう。
官僚一族出身なので礼儀作法は教えられており、女性の料理人だから宦官にする必要もない。
腕前を見れば最善とまで言わないが、現実的に引き抜ける相手としては悪くないと自分でも納得できた。
(偉い人たちが集まる場所で、しかも直接お目にかかる機会が多い仕事。立身出世の場としてはこれ以上ないわね)
菓子屋で働いているせいか、商売人気質で金勘定にうるさい私は頭の中で算盤を弾く。
貴族の機嫌を損ねれば一大事だ。
しかし、まともに働いては得られない報酬に手が届く絶好の機会でもある。
幸運の女神は前髪だけしかないと誰かが言っていたが、根こそぎ毟り取るなら今しかない。
「やるわ。やってやるわよ!」
気合いを入れながら机をドンと叩く。
その振動で机に乗っていた茶碗がカチャカチャと音を立てた。
私には金が必要だった。
贅沢がしたいとか、借金がどうこうという話ではない。
父と弟のために多額の金が必要なのだ。
父は子供の頃から地理に関する話が大好きで、その延長線上から国土地理に関する国の要職についていた。
地質学者としては優秀だったが官吏としてはいまいちで、人柄が良く敵が少ないのが唯一の取り柄だった。
しかし、先帝の頃の政変に巻き込まれて官職を追われた。
中には一族丸ごと処罰された家もあるので、現当主である兄が未だ官吏として残っていることを勘案すれば、随分とマシな方ではある。
今は菓子屋の手伝いをする傍ら、自前で研究を続けているがやはり資料などに限界がある。
以前の職に戻りたいだろうに、もう無理だからと諦めているのを私は歯がゆい思いで見ていた。
そして、弟の智輝の方もなんとかしなければならない。
部屋の隅に視線を向ければ、そこには長椅子で昼寝をしている弟の姿がある。
弟は12歳にしては小柄な背丈を子猫のように丸めて寝ており、窓から差し込む陽光に茶色の髪に混じった金髪がキラキラと輝いていた。
将来は父と同じく官吏になりたいと言っているが、父が官職を追われたことでその道も難しいのではないかと言われている。
仮に官吏の採用試験を突破しても、わざわざ厄介事を抱え込みたがる者はいないという話だ。
弟は紅顔にして白皙の美少年なので、年上年下問わず女性たちから人気があり、これでもかというくらい可愛がられているし、たびたび差し入れや土産を貰ってくる。
この調子なら自力でなんとかするかもしれないが、女性関係で性格がねじ曲がっても困るし、他の男たちから逆恨みでもされれば一大事。
美しいのは良いことだが、名家の女性と不倫などされては親族が困る。
せめて相手から刺されないよう配慮することを、既婚者には手を出さず未亡人だけに留めることを、これから厳しく教えて聞かせねばならないと私は固く誓っていた。
父リーフォンの復職と、弟ジーフイの任官の口利き。
この2つのためには多額の金子と、叶うなら権力者の伝手が必要である。
チェン家は長年官僚として禄を食んできたため、それなりに裕福である。
私と弟が住んでいる屋敷も別宅であり、父や下男下女が移り住んでも余裕があるくらいの広さをしている。
ただ、当主の許し無しに資産を使うわけにはいかない。
腹違いの兄とは円満な関係を築いているので頼み込めばなんとかなるかもしれないが、これで兄が権力者から睨まれ、主家に飛び火しようものなら死んで詫びる必要がある。
兄は30歳を超え、妻も子供もいる身なのだ。
それゆえ自力でなんとかせねばならなかった。
「......本当にいいのか?」
父は白いものが混じったヒゲを撫でながら問いかけてくる。
顔には出さなかったが、当人もどうしたものかと悩んでいたのだろう。
そんな父の迷いを断ち切るかのように力強く答える。
「成果を上げれば御用達として店が繁盛する。金と伝手はいくらあっても困ることはない。やるしかないでしょ」
権力者と繋がりを持てれば、父の復職や弟の将来をどうにかできるかもしれない。
それに自分自身、自分の菓子が貴族に評価されたことを内心で喜んでいた。
そして、もっと評価を得られるかもしれないという、仄暗い期待に抗うことができなかった。
目的と報酬と期待。
この3つが揃った時点で、目の前に垂らされた餌から顔を背けられるはずがなかった。
そんな私を見て父はため息をついた。
「採用されねば話にならんとはいえ、仕事振りが上手くいかなければ追い出され、気に入られれば数年は後宮に縛り付けられる。...どちらにせよ婚期が遅れてしまうな」
どうやら私の貰い手に頭を悩ませていたようだ。
16歳だからそろそろ嫁入りの準備をしてもおかしくはない。
親からすれば、「大切な時期に仕事を優先するとは」と良い顔をできないのも当然だ。
だが私は、「なんだそんなことで悩んでいたのか」と呆れ果てた。
「ふん、余計なお世話よ。どうせ名家に嫁になんていけないでしょ。後宮関係の役人に手頃な相手を紹介して貰えるよう期待する方がマシよ」
吐き捨てるように言って茶碗を持ち上げてあおり、残っていた茶をグビリと飲み干した。
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後宮。
それは国中の美女が集められ、皇帝の寵愛を得ようと競い合う場所。
閉鎖的な宮殿で、取り繕った笑顔で腹を探り合い、出し抜く者を許すまいと互いに足を引っ張り合う。
それはこの槐帝国でも変わらない。
後宮とはまさしく蠱毒の壺である。
そのことを私は十分に理解していない。
だから、自らが殺人の疑いで拘束されるとは露にも想像していなかった。




