証明しましょう、運命の番はいないことを
「は?」
思わず淑女にあるまじき低い声を出してしまい、扇子で口元を隠す。
……今この人なんて言ったの?
「はぁ。もう一度だけ言う。運命の番が現れるかもしれない以上、君とは婚姻を結びたくない」
目の前の婚約者様は至極真面目な顔と口調でそう仰いました。
……運命の番。それは生まれた時から世界に定められている不思議な関係。全員が全員その存在に出会うことはない、が会えば必ず恋に落ち愛を育み幸せになれる。例え恋人がいても、結婚していても。なんて、伝説のようなお話。
本来ならば、ここで泣き崩れたり浮気を疑ったりするのでしょう。
しかし、私は、非常に腹が立ちました。ここまで腹が立ったのは初めてかもしれません。
「わかりました、では五年……いえ三年間待ってくださいます?」
腹が立ったらどうするか。これが浮気なら頬を一、二発ぶって差し上げたでしょう。しかし、これは無知ゆえのこと。ならば完膚なきまでに、
「証明して差し上げますわ。運命の番なんていない、と」
スペンサー伯爵が娘、私ヴァイオレット十八歳。学園の卒業式の翌日のことでございました。
*
そもそも、私と婚約者様……ライリー・ホランド次期侯爵様は例に漏れず家同士の結婚でして。八歳なんてデビュタントも済ませていない子供の頃、会ったその日にお互いの親がサインしたのです。
つまり、婚約破棄を申し出られてもお互いの“親の“同意がなければ成立しません。
状況が理解できていないライリー様を置いて帰り、使用人にいくつかの書類を持ってくるように伝えて、私はお父様の執務室をノックしました。
「お仕事中失礼します。ヴァイオレットでございます」
「入れ」
「お父様、時間が惜しいので単刀直入に申し上げます。本日ライリー様から婚約を破棄したいとの旨の申し出を受けましたが、私は不当に感じております。三年で片をつけますから、何を言われても同意しないでくださいまし」
お父様は整えられた顎髭をさすりながら少し考えた後、私を見つめました。冷たく鋭い、見極める視線。
我が家に生まれた者の矜持にかけて、必ずやり遂げましょう。三年後には必ずギャフンと言わせてみせます。
「……いいだろう。だが、成果はこまめに見せるように」
「有り難く存じます。つきましては王立魔法研究所への推薦書を書いていただきたいのですが」
今までの学業の成績をまとめたものをお見せし、推薦書を差し出せばお父様はすぐに書いてくださいました。
ライリー様はお忘れのようですが、我がスペンサー家は王立研究所の設立者の一人を先祖に持つ、名門なのでございます。
私はホランド家にすぐ嫁ぐ予定でしたから、所長からの推薦を受けるわけにはいかなかっただけで。私が主体になって研究をしていないとはいえ、手伝いをしたり助言をしたり、第二の実家ともいえるべき場所でした。
「では、失礼いたします」
現時点の算段では、うまくいって二年、いいデータが集まらなければ三年。なかなか厳しい戦いになりそうだわ。
「上等ですわ……」
書類をもらってそのまま直に出しに行き、研究員の証明証を持って王立図書館の禁書室でデータを漁り続け、翌日には研究を始めたのでした。
*
一日
二日
七日
一ヶ月
半年
三年……気がつけばもう約束の月日が近づいておりました。
二年の時点で終わっていたというのに、調べれば調べるほど興味深い問題が出てきてしまって、それを追い求めていたらもう一年余計に研究してしまって。
元々学者という生き物は熱中すると他を全て後回しにしてしまう人が多いけれど、まさか私もだったとは。
ひとまず家に帰ることにした。帰宅時間まで惜しんで研究所で寝泊まりしていたのは流石にやりすぎたかもしれない。
「ライリー様からの手紙で部屋が埋まってしまいそうなんです、どうか一通だけでもお返事を……!」
帰宅早々、私の部屋の掃除担当のメイドから泣きつかれ、久々に実家に帰ると私の部屋は無くなっていた。
……これは手紙用の倉庫か何かかしら。
「ヴァイオレットが帰ってきたと聞いたんだが……」
「お父様、お久しぶりです」
「まずは磨かれてこい、話はそれからだ」
書面以外では三年ぶりにお会いしたお父様は、呆れた顔でそう仰いました。
浴場の鏡を見れば、そこには飾り気一つない金髪紫眼の女性が。髪は左右で長さが違い、指はささくれている。
数秒経ってから自分であることに気づきました。髪は無意識に邪魔だと切ってしまったせいだし、指はケアを一切してなかったからだわ。
「このままではライリー様にお会いできないわね。整えてくださる?」
「もちろんでございます!」
濃紺の髪と黄水晶のような瞳、スッとした鼻筋や男性らしい輪郭を持った美しいライリー様と並ぶのが、こんな身だしなみのなってない女性ではいけないわ。
証明して差し上げるのだから、美しい姿でいなくては。
*
「ヴァ、ヴァイオレット、俺は……」
三年前婚約破棄をされそうになったのと同じ場所に、ライリー様を呼び出す。少しやつれた姿はなんだか色気があって胸がときめいてしまった。
ダメよ、ヴァイオレット。私にはやるべきことがあるのだから。
「ライリー、様。言いたいことがあるのは理解できますが、先に私の話を聞いてくださいまし」
使用人に椅子を用意させ、ライリー様を座らせ、手元には資料とお茶を。私の前には簡易式教卓を。
「今回の背景はご存じでしょうから割愛させていただきますわ」
さあ、とくとご覧あそばせ。
「まず目的としましては、運命の番のメカニズムを明らかにし、無くすことです。これが貴方の不安の原因であり、問題ですからね。いっそ無くしてしまえばいいのです」
「そこで私が取った方法は、運命の番を見つけた方の身体データを魔法で取り出し、分析し、マウスで似たような状況を作るものでした」
「実験動物の身体データを少しずつ変えてマッチングさせるような地道な方法もありましたが、これでは三年には確実に間に合わないので選びませんでした」
「こちらが結果です。データからわかるように、血統と魔力、どちらも唯一無二なほど相性が良い場合のみということがわかると思います」
「私の考察としましては、一種の魅了状態に勝手になってしまうのではないかと」
「そして血統は変えられずとも、魔力は人工的に変えられます。人工的に変えた魔力は少々型が異なりますから、運命の番は現れません」
「今貴方が飲んでいるのは、魔力変化をもたらす作用のある薬をすでに入れたものです」
ギョッとした顔でティーカップを見るライリー様。無味無臭の薬ですから、気づかなかったのも無理はありませんわ。
「結論として、貴方の運命の番はおりません」
今後についても必要ないので割愛。そもそもこれは数世紀に一組いるかいないかというほどに極めて珍しいことですし、データとして残しておけばよいでしょう。研究費は私のポケットマネーから出したのですから。
「それで、まだ運命の番だなんだと仰いますか?」
「い、いや……その、すまなかった」
頭を下げた姿を見て、やり遂げたことを実感しました。
「見直しましたか?」
「ああ、君の言うとおりにしよう。何が目的なんだ?」
顔を上げて、私を見上げるライリー様。やはり綺麗な瞳。何年でも見てられるわ。
というか何を今更仰っているのかしら。
「もちろん貴方様との婚姻ですが」
「え?」
「長い喧嘩でしたわね。初めてでこれとは、結婚してからはどうなることやら」
まあでもしばらくは私の愛を疑うことはないでしょうし、結婚生活の中でもわからせていけば良いだけの話だわ。
「お、俺が嫌いになったんじゃないのか?」
「はい?」
嫌い? 誰が? 私が? 誰を? ライリー様を?
「そんなわけないでしょう。脳が筋肉で出来ていらっしゃるのもいい加減にしてくださいまし」
いくら軍でも頭を使わない部隊にいたとしても、これは流石に酷いわ。まあそこも可愛らしいけれど。
「どうせライリー様のことですから、なにかまた一人で考え込んだ結果、変な方向に突っ走ってしまったのは予想しておりました。実際そうでしたし」
滅多にないはずのデータがすぐに見つかったこと。それが同盟国の軍隊長の妹君であったこと。点と点はすぐにつながりました。
「大方、発狂した婚約者様の話を聞いて同じ思いを私にさせたくないと思ったのでしょう?」
眉間に皺が寄り、口をキュッと結んで、目を逸らすライリー様。図星な時の顔が昔から変わりませんね。
「私の愛をみくびらないでくださいまし。十三年分ですわよ?」
そんな発狂なぞする前に貴方を地下牢にでも閉じ込めます。他の女の元になんて物理的に行かせません。番を解消させる方法を意地でも探し出します。
「運命の番? 馬鹿馬鹿しい。私に愛された時点で、貴方は私から逃げられませんから。運命なんてねじ伏せてご覧にいれますわ」
ねぇ、ライリー様。私の愛は理解できましたか?
「ああ、ヴァイオレット。俺も、君と婚約破棄するなんて無理だったんだ。手紙の返信がこなかった三年間、どれだけ寂しさと罪悪感で死にたくなったか」
「ごめんなさい、研究に夢中で家に帰ってすらいませんでしたの」
「俺に愛想をつかさないでいてくれてありがとう」
まあ、そんな日は一生訪れませんのに。
さ、新婚生活を取り返しましょう。懸念をなくなったことですし。
ああでもその前に、ライリー様からの手紙を全て読んでお返ししなければ。
────そして二人は幸せ(?)に暮らしましたとさ。
「どうしてお嬢様は自分が異常であることに気づかないのかしら……いやスペンサー家の方々全員そうなのだけれど」
「まあでも旦那様(?)も少しおかしいしお似合いってやつなんじゃないかしら」
「早く寿退職したいわ……」
読んで下さりありがとうございました。
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追記 誤字報告ありがとうございます。