072 ワタルだけがその場で動くことができた。
ワタルだけがその場で動くことができた。
サラがその場でよろめいて石化したゲートに体を倒すと、ゲートが震えた。ワタルは必死でサラの手を掴んで引っ張る。
ピキッ。
ゲートに亀裂が走る。ワタルの嫌な予感はもはや確信に近いほどのものとなる。これから何が発生するのか本能が怯えているのだ。
その感情はこの世界に来てからはじめて感じた。
恐怖。
ワタルはサラ毎ゲートの正面から転がるように移動した。次の瞬間、ゲートが崩壊する。
否。
石化したゲートはその表面だけを剥がし、本来の機能を復活した。
一気にゲートから流れ込んでくる魔力を含んだ風に体が浮きそうになる。サラを片手で抱えながらもう一方の手で近くの岩を掴んでその場に何とか立ち止まるのがやっとだった。遥香は風で飛ばされている。この場合、ゲートからなるべく離れた方が安全だからここで
踏ん張らない方がいいのかもしれない。
しかし、
その場に平然と立っている薫が気になってその場から逃げる事ができなかった。なにしろ全ての魔力が”汚れた英雄”に吸い込まれている。まさに魔力を喰らっているようだ。
この時ばかりは魔力を感知出来ないことに感謝した。
サラも遥香も魔力酔いになってすでに意識を失っている。
「ワタル君は平気なようですね」
薫は”汚れた英雄”を手に持ちながら遥香の方に近寄っていく。
平気ではない。サラを抱きかかえたままなのでその場から動くことができない。薫の事も気になったがゲートから聞こえてくる音と声が気になる。ゲートが復活したのならすぐにでも魔族がやってくる。
薫が遥香の胸に”汚れた英雄”を当てようとする。
「おい、殺す気か!」
聖者が触ったら発火してしまうのだ。ワタルはサラを抱えたまま薫に向かって走った。
薫はかまわずっと押し込んでいく。
発火は起きなかった。
「安心して下さい。遥香さんはワタル君に教会という聖域で戦って負けたのです。神の聖域で負けたと言う事は神の祝福を与えられなかったということ。
つまり遥香は神の庇護を得られなかった。だから聖者では無くなったということです」
「なんだよそれ」
「神は絶対です。だから神の聖域で祝福された聖者は負けることはないのです。もし負けたのであればそれはその聖者が神からの祝福を拒否されたからです。
神から拒否された者が神力を使えるわけがないでしょう?
だから遥香さんは”汚れた英雄”に触れても平気なんです」
遥香の胸の中に”汚れた英雄”が押し込まれていく。痛みはないのか苦痛の表情は浮かべていない。
ワタルが近づくと薫は遥香を抱きかかえて距離を取る。
「サラさんのおかげでゲートを復活する事ができました。あぁ、別にサラさんがゲートの魔族になったり、魔族が来たりはしませんから安心して下さい」
ジリジリと薫がゲートに向かっていく。ワタルは遥香を救うべく飛び掛かろうとした。
「それと、ひとつ忠告です。これ以上ここにサラさんがいると魔力酔いで死んでしまいますよ」
………。
「苦しそうでしょう? ワタルくんは魔力を浴びても平気みたいですが普通の人はこれだけの魔力を浴びたら危険でしょうね」
「なぜお前は平気なんだ?」
「近くの魔力を”汚れた英雄”が全部持って行ってくれるから魔力を浴びていないだけです」
サラを見ると確かに辛そうだ。それに体が冷たくてまるで死人のようだった。
「大丈夫だ」
ワタルはそう言ってサラにキスした。
今体力を消費するのは避けないといけないと分かっているがそうも言っていられない。
「やさしいですね」
薫が動いたらすぐに対応できるように、サラとキスしながら視線を薫に向けたまま睨む。それに遥香が気になる。あんなものを胸に埋め込まれて何ともないわけがないはずだ。
少しすると遥香が意識を取り戻す。
「………これが………四方のためです」
薫が遥香に何かを呟いている。
遥香がぼんやりした顔をこっちに向けてきた。
「遥香!」
ワタルは叫んだ。
「ワタル君、やっぱりサラが好きなんだ………」
戸惑っている表情。自分がサラとキスをしていたのを見た遥香はさびしそうな悲しそうにしている。
「そうさ、ワタル君はなんだかんだ言ってもサラさんが一番なのさ。だから四方を救うのは遥香さんしかいない」
薫が余計なことを言う。
「どうしました? わたしの言っている事が間違っているなら否定してかまいませんよ」
「………遥香、四方の事は約束しただろう? おれが何とかする」
「ふっ、いまの遥香さんに決意を述べたところで無駄ですよ」
薫が微笑む。
「さあ、遥香さん、今のあなたなら四方さんを助ける事ができます。もし本当に四方さんのことを助けたいのなら今がその時です。行動してください」
遥香がゆっくり歩き始める。すぐに駈け足になる。ワタルはサラをその場に寝せて遥香を追った。
しかし思った以上に距離がある。
サラの回復に思った以上の力を使ってしまった。
両手の負傷の痛みもあった。
全て言い訳だ。
ワタルは全てを無視してただ遥香に追いつくことだけを考えて走った。それが今ワタルができることだった。
あとは手を伸ばせば遥香の腕を取ることが出来そうだった。
「残念です」
横から薫の声がした。
次の瞬間、ワタルが伸ばした手は薫の持っていた死神の大鎌で断ち切られた。