064 背後から睡蓮の叫び声がした
背後から睡蓮の叫び声がした。叫び声には苦痛が混じっていた。
木広は振り向いて睡蓮を見た。
自分と睡蓮の間に男がいた。男の体に隠れて睡蓮の姿は見えない。
男はこちらをむいている。木広と同じくらいの年格好で中性的な顔付きをしていた。その表情はやさしく微笑んでいる。
男は木広のことをじっと見つめている。
知らない男だった。
一見優男風にしか見えない。けれど何故かどこかに違和感を覚えてしまう。何となく雰囲気が悪い。
男はすっと脇を上げながら体をひねる。脇を締めると、脇の下に剣が現れた。魔石で作られた水の剣だと分かった。
「睡蓮は相変わらず甘いですね。それじゃ手応えを感じません」
水の剣が四散した。男は何もしておらず自ら剣の形を解いたようだった。
それを見て木広は眉をひそめた。
触れるだけで魔石の力をキャンセルできるのは死神くらいしか心当たりはない。だが目の前にいるのは男性だ。女性ではないから死神にはなれない。
「お前、何者だ?」
「僕の事を知らないなんて、ちょっとショックです」
男は悲しそうな表情を浮かべた。
「桜ヶ丘薫といいます。以後お見知り置きを」
「………」
「木広、早く遥香を止めるの!」
ハッとした。慌てて遥香を見るとすでにすさまじい風切りの音を立てながらゲートに近づいている。
「遥香、ちょっと待ちなさいよ」
しかし遥香は無視した。
体を大車輪のように回転させながらゲートにどんどん近づいていく。
ゲートを遥香に浄化されてしまうと、将来の魔石発掘場を失う事になるので木広は遥香を止めようと駈け寄った。
………双葉重工が倒産したら関係無いけどね。
「!」
嫌な予感に、とっさに前のめりになりながら前方に転がる。振り返ると木広の胸があったところに、薫の右足があった。
自分との距離はかなりあったはずなのに一瞬で背後に近づかれて、しかもほとんど気付く事が出来なかった。たまたまカンで避けられたが偶然でしかない。
「………よく避けられましたね」
薫の方が驚いている。
「僕の攻撃を避けたのは木広さんが初めてです。さすがです」
言い終わるのを待たずに木広はゆっくりと薫の腕に手を伸ばした。薫は「ほう」と一言つぶやいてそのまま腕を取らすにまかせる。
両手で薫の腕を掴んだ。
「ふーん」
「何か分かりました?」
興味深げに尋ねてくる。
「ああ、死神と同じ屍肉の感触と腐った匂いがするわ」
「ひどい言われようですね」
木広は遥香を止めることを諦めた。薫は片手間で相手ができるレベルではない。
「聖石を使える男なんて聞いた事ないけれど相手になってあげるわ」
「木広、そいつは幻術を使うの。気を付けてなの」
薫の背中越しにこちらを見つめている睡蓮に軽く手を上げて「大丈夫」と告げる。ゆっくりと数歩後退りながら薫の反応をうかがう。
薫はその場から動かない。
瞬きをしたその瞬間、目の前から薫の姿が消えた。そして真下から顎に向かって掌底が迫ってくる。顎を上げながら反り返ってかろうじて避けつつ、薫の腹部に折り曲げた膝でえぐる。
薫の体が一瞬宙に浮いて固まる。
木広は右拳を左から右に振り切り裏拳を薫の頬に叩き付けた。
と思った瞬間、目の前から薫の姿が消えた。
………なるほど、これが幻術か。
「だが、私にはきかないな」
木広は右足を後ろに伸ばして蹴りつけた。再び薫の姿が消える。そのまま続けて右を見ながら、左に腕を伸ばして薫の喉を鷲づかみにする。
「な、僕の姿を見ることができるんですか?」
木広は無言で薫の顔を殴りつけた。
左手をそのままで膝を縮めて思い切り蹴りつける。薫が数メートル吹っ飛んだ。
「さすが双葉重工のトップだけの事はある」
立ち上がった薫はそう言って微笑んできた。
「何を言っている。お前、本気出してないでしょう?」
「ふふ、そんな事はありません。木広さんは僕に比べてとても強いです」
そういう割にあれだけ殴って蹴ったのにダメージをほとんど与えられていない。相変わらず綺麗な顔で微笑んでいる。
薫の底が見えない。
「でも、何とか当初の目的は達せそうです。遥香さん、今です」
再び薫の姿が消えた。
遥香の方を見ると、ゲートに大鎌を叩き付けようとする瞬間だった。
ガッ。
大鎌がゲートをえぐる。
ビシッ。
もう一本の大鎌がゲートに突き刺さる。
僅かの間。
そしてゲートが崩壊した。
すさまじい魔力が大鎌に吸い取られていく。
遥香の隣に姿を現した薫は遥香を支えながら大鎌を片手二本持って「ではまた」とつぶやいてその場から消え去った。
「ちっ」
木広は睡蓮に駈け寄ると、そのまま腕に抱え上げてその場から駆けだした。
その後、魔族同士が共食いを三日三晩行い、大岳神社近くから魔族は根絶された。
そろそろワタルが復活すると思います。鬼姫はまだ引きこもり中です。