056 サラは遥香を追って湖の中を泳いでいく
サラは遥香を追って湖の中を泳いでいく。
小さなゴミが目の中に入りそうになる度に顔をそむけたり、目を閉じたりするのでなかなか前を見通せない。とても素潜りする水質でない。
それに裸になるわけにいかなかったので服を着たままなので泳ぎにくい。何度か服を脱ぎたくなるのをその度に我慢する。
そんなに泳ぎは得意ではないのだ。
湖の底近くで、やっと遥香の姿をとらえた。
気配に気付いたのかこちらの方を振り向く。濁っているので遥香の表情は分からない。
水中に漂ってこちらを見ていた遥香はしばらく動かずにいた。まるで睨んでいるようだった。
十メートルくらい近づくと、不意に洞窟の中に入っていった。
………死神は息継ぎしなくても平気なのか?
サラは念のため持ってきた簡易式の酸素ボンベを口に装着している。こぶし大の大きさで周りの水から酸素を作り出すことができる優れものでこのサイズで数時間水中にいることが可能だった。
しかし似たような装備を遥香はしていなかった。普通の人間だったらここまで来る間に息がつずかない。さすが死神というところか。
サラも洞窟の中に入っていく。
ゲートの魔族は封印されているので魔力放出はほぼ押さえられていた。周りの魔力はそれないりに強いが耐えられる。
このくらいなら魔力酔いの心配はしなくても良さそうだ。
しばらく奥に進んでいくと、やがて湖水が途切れる。
「ふぅー」
ずぶ濡れの体を摩って体のついた水滴をはらい落とす。服の端を軽く絞る。
あまり意味はなかったが、びしょ濡れで気持ち悪いから無意識にそんあ事を繰り返した。
初夏で良かった。冬だったら風邪をひいてしまう。
落ち着くと、ゆっくりと息を吸い込んでみる。
空気が悪い。腐っているような匂いがするし、いくら呼吸しても息苦しい。おそらく酸素が足りていない。
仕方ないのでボンベをつけたまま先に進むことにする。
水に濡れた靴の履き心地は最悪だった。ぐちゃぐちゃして歩く度に気持ち悪くなる。
しかし、遥香は平気なのだろうか、先ほど見た限りではサラが持っていたような装備をしているようには見えなかった。なのに遥香の気配はない。すでにかなり先に進んでいるみたいだ。
死神を心配してもしかたないので、とにかく追いつくべく先を急いだ。危険だったが少し走る。
予想よりも湖水の侵入あ少なかったようで、しばらく一本道を下り続けた。
十分くらいして、サラは広場にでた。
バスケットボールのコート程の広さがあった。
遥香はその奥の方にいた。
「ここで何しようとしてるの? ここは死神の管轄外でしょう? ちゃんと神宮庁の許可とってるの?」
神宮庁が押さえた魔石発掘場は教会の封印対象から外れるのだ。
もしそれを破ったら外務省は立場をなくす。外務省の後ろ盾を利用している教会はそれを望まないので、封印するゲートは神宮庁管轄になっていない場所に限定されていた。
「あなただって関係無いでしょう? ここはたしか魔石川商事の発掘場ですよ。それともあなたもここにある魔石を奪いにきたの? なら残念だけれど無理よ。ここにある魔石は全て私のもの。私が回収してしまうから、あなたの分は無いわ」
「あなた本気なの?」
遥香の言っている事は無茶苦茶だ。おかしい。
ひとりでそんな事をできる訳がない。
教会は聖石を集めているから魔石はいらない。百八十度性質の異なる魔石を集めても意味がない。というか聖石が魔石に汚染されてしまうから、教会にとって魔石は邪魔な存在でしかない。だから教会は今まで魔石を破壊してきたのだ。
決して死神は魔石を集める事などする理由はなかった。
「どういうつもり?」
遥香は答えない。
サラを完全に無視する。そのままゲート正面に立ち、対峙する。
手には大鎌。
あれでゲートを切られたら、ここが封印されてしまう。それにサラは気づいた。
「なに無茶するかな」
遥香に走っていく。
フッ、と遥香の体が横にずれる。避けられた。と思った途端、大鎌が襲ってくる。
まずい。
このままだとゲートごと胴を切られる。
「遥香!」
そう叫びながら、サラは横に飛び退いた。
大鎌をギリギリで躱す。大鎌が体の上を通過して、ゲートに突き刺さるのを歯ぎしりしそうになりながら見つめる。
横からゲートを裂いた勢いを止めずに、遥香は体を一回転させて、途中で巧みに大鎌を上方に持ち上げる。そして上方からゲートの中心に向けて切っ先を振り下ろした。
根本まで大鎌がめり込む。
遥香の動きが止まる。見ると意味が分からない微笑を浮かべている。
サラはその表情を見て怖気を感じた。その微笑から狂気を感じた。
微震。
洞窟の崩壊する前兆の微震だった。
「遥香、あんた覚えてなさいよ。ぜったい正式に抗議するからね」
巻き込まれたくないのでサラは阿後退する。
遥香はその場に落ちた魔石を手に取り、
「こんなんじゃ、ダメだわ」
とつぶやいている。
「あんたも早く脱出しなさい。ここは持たないわよ」
そう叫ぶと、サラは上に向かって走った。遥香の事は放っておく。助かりたければ自分で何とかするだろう。死神に情けなどいらない。
死神を心配するほどサラは傲慢ではない。
必死で洞穴から脱出して湖畔にたどり着くと、狭山湖の水面は先ほどよりも一メートル以上下がっている。
そして今もゆっくりと下がっていた。
「ここはダメかも」
サラは途方に暮れる。これで双葉重工の再建目処がまた立たなくなった。どうすればいいのだ?
その原因である遥香が三十メートルくらい離れた場所に現れた。
一応無事らしい。
さすが死神。
サラは問い詰めるべく遥香のところに瞬息で向かった。
「なんて事するのよ」
むかついていたから、思い切り殴りつけた。
遥香は思いきり吹っ飛ばされる、はずだった。
しかし、かわりにサラがその場に膝をついた。
遥香の拳が腹部にのめり込んでいる。
その拳を遥香が引き、今度は顎を下から殴りあげられた。
サラの体が宙に浮き、後方に殴り飛ばされる。
一瞬でサラは意識を失った。
「魔石など邪道なものに頼ってるモノに、私は負けないです」
………・
「でも、あたしも結局は魔石に頼ってしまっているから同じですね。私は最低です」
遥香はそうつぶやいて自虐的に笑う。
意識を失ったサラには遥香の乾いた笑いは届かなかった。