054 夜の教会に遥香はいた
夜の教会に遥香はいた。
前から二列目の椅子に腰掛けて目の前の十字架を見つめている。
見つめていた。
目を閉じず、祈りもせずに十字架を見つめるのはいつぶりだろうか。遥香はそう思いながら自分をシスターとして育ててくれた真理子の事を考えた。
育ての親。
教会の上司。
学園の師。
そして、
自分が一番尊敬している人だった。
そんな真理子をいま裏切ろうとしている。いままで信じ敬っていた神にも背こうとしている。だからもう、十字架に向かって祈ることはできない。
自分は裏切り者。闇に落ちるのだ。
見た目はボーとしている様子で、頭の中で自分を追い込んでいる遥香は扉の開く気配を感じて振り返った。
真理子だった。
こちらを見てひどく驚いた表情を浮かべると、こまった顔になる。立ち止まったまま少し思案してからこちらに歩き近づいてきた。
「どうしたの? ワタル君とエッチなことして懺悔しにきたの?」
「センセ、違います。というかなんて事を言うのですか。あ、あたしがそんなことする筈がないじゃないですか」
遥香は真っ赤になって否定する。
「照れなくてもいいのよ。どう? 気持ちよかった?」
真理子はニヤニヤ微笑んでいた。
遥香は怒って真っ赤になったのに、真理子はそう受け取らなかったらしい。
「き、気持よかったとか、なに馬鹿なこといってるんですか。こ、ここは神聖な場所なんですよ。へんなこと言わないで下さい」
「ふーん、まだやってないんだ。んじゃ、どうしたの? もしかして喧嘩したの?」
「なんでいつもいつもセンセはそんな下品なんですか。もう少し良識をもった淑女にはなれないんですか?」
ひとが真剣に悩んでいたのに。
「私の事はいいから、ワタル君と何があったのか白状しなさいよ。そうだ、向こうの部屋で悔悛の秘跡してあげるから、いこう」
腕を掴んで引き寄せられそうになり、慌てて振りほどく。
「なぜ懺悔室でワタル君のことを話さないといけないんですか」
「いーじゃない。これでもあなたの事を心配しているのよ?」
とぼけた顔の真理子は信用できない。心配はしてくれているかも知れないけれど、興味本位でも聞きたがっている。
「ねえ、じゃあ私の話を聞いてくれないかしら」
急に声のトーンを落としてまじめな表情になった真理子はそのまま懺悔室に入って行った。
懺悔する側に。
「センセ?」
突然の行動に遥香は付いていけなかった。真理子に懺悔しなければいけないのは自分のほうだった。
なのに………。
遥香はしかたなく懺悔室にはいった。
薄い板と少し開けられた引き戸式の窓の向こうに椅子に座った真理子がいた。
「ゴホン」
しばらく無言だった真理子は喉に詰まった一物を咳で払ってから小さな声で、
「あなたを捨て石にしようとしたことを私は知らされていなかったの」
そう告げた。
「そもそもそんな事があったことすら、さっきまで知らなかったのよ」
本当なら遥香が屋上で魔族に襲われる事になっていた事を言っているのだ。確かにあのとき屋上に遅れていかなければ自分だけ魔族に襲われていたところだった。
………そうか、センセは知らなかったんだ。
理屈では納得していた事だけれど、やはりどこかにシコリを残していたので真理子にそう言われてちょっと気がらくになった。
「ワタル君が教えてくれたのよ」
「ワタル君が?」
驚いた。
「ええ。凄い剣幕だったわ。そのとき私はふたりは付き合っていると確信したの。ねえ、ワタル君がなんていったか分かる?」
「エロいこと」
それしかないと思ったから即答した。
残なんそうな声が返ってきた。
「違うわよ。ワタル君は私に対してたんか切ったのよ」
「ど、どんなことをいったの?」
遥香はとても興味があったので思わず壁に手を当てて大きな音を立ててしまった。
「えっとね、遥香はオレのものだ。だからこれからはオレがまもる。教会の好きなようにはさせない。
って感じかな」
「ワタル君がそんな事を………」
ぼわっと何故か頬が緩んで微笑んでしまった。
………なに、へんな顔してるのよ。
何で微笑むのかわからず、自分の頬を両手で叩いた。
「このう、幸せもの」
冷やかされてもあまり頭に入らない。
………オレのものだ。
………オレが守る。
もうダメだ。遥香は真っ赤になった。
「センセ。私はゲートを封鎖したい。最大の魔石場を教えてください」
ワタルの気持はよく分からないが、もしも自分に特別な感情をもってくれているなら、自分がいなくなったとしても四方をきっと大切にしてくれるはずだ。
遥香は確信する事ができた。
だから、これで本当に何の懸念もなくなった。
なぜゲートを封鎖したいのか話しが見えない真理子に何とか魔石発掘場の場所を教えてもらうのにそれから三十分程かかった。