036 ワタル君、行くわよ
「ワタル君、行くわよ」
「ん?」
ワタルが気を失っている最中に服を着た遥香に起こされた。
後頭部よりも頭突きをされた鼻が痛い。息苦しいので触って確かめてみると、テッシュが詰められている。鼻を触った手に僅かに血がついたので、鼻血をだしていたらしい。
後頭部を打って脳しんとうを起こしていたのに、鼻を塞いでいいのか疑問だったが、ワタルは「ありがとう」と礼をいった。しかし、そもそも遥香にやられたのだから必要なかったかもしれない。
遥香は病院で支給された寝間着ではなくシスターの姿をしていた。そう言えば学園でシスターの姿をしている学生や教師を結構見かけたことを思い出す。
「教会関係者はこの姿で学園内にいる事が許されているのよ。そんなこといままでしらなかったのですか? よっぽど私達に感心なかったんですね」
「いや、かわいいなとは思ってたよ。ただ理由を聞かなかっただけだよ」
ぐらっと遥香がよろめくので、とっさにワタルは遥香を支えた。
「だいじょうぶ?」
「あ、当たり前です。こんな程度でど、ど、動揺するわけないです」
遥香はそう言っててをふりほどき、
「さあ、行きましょう」と言って、その場にバタンと倒れた。
「・・・・・・・・・」
ちょっと涙目でこちらを見上げてくる。
「あ、ひょっとしてまだ体がちゃんと動かないの」
遥香が顔をそむける。
「・・・・・・・・・手を貸しなさい」
「え?」
「いいから、手を貸しなさいです。この私がワタル君の手を借りてあげようと言うのだから、つべこべ言わずに手を出して私を起こすです」
要するに、独りで起きれないからじっと見つめていたらしい。少し笑いながら体を起こしてあげる。
どうも独りで歩くこともつらそうだった。
廊下を歩こうとしている様子だが全然進んでいない。
「よっと」
ワタルは遥香を横抱きした。
「ちょ、ちょっと何をするんですか、この腐れ外道。いいから私を下ろしなさい。うわぁ、何、お尻、触っているんですか。いい加減にしてください」
腕の中で暴れるが、ホントに力が入らないようで抵抗が弱い。
「お尻を触っているんじゃなくて、支えているだけだよ。だって遥香は歩けないんだろう。だったらどこに行くのか行ってくれればこのまま抱っこして連れて行ってあげるよ」
「なんで私がエロエロのワタル君に抱っこされながら病院の廊下を歩かないといけないんですが。屈辱です。人に見られたら妊娠させられたと思われます。その噂が広まって、私はもうお嫁にいけなくなってしまいます。あっ! ここは監視カメラが、いろいろな所に設置しているからこの姿はもう録画されてしまっています。
もうダメ。です。あたしは汚れてしまいました。父上、母上、私はもう生きていく希望を失ってしまいました。もう死ぬしかありません。どうか先立つ不孝をお許しください」
ワタルは笑ってしまう。
「人が真剣に人生を絶望しているのに、笑うなんて最低です。私が死ぬ前にワタル君を地獄に送ってやりたいです。いえ、今決めました。ワタル君を殺してから私は死にます。それが世界の為です。
だから、ワタルさん。死んでください」
「おまえ、おもしろいな。割と好きかもしれない」
「へ?」
腕の中で動きを止めた遥香の体がボッと火がついたように熱くなった。顔をそむけようとするが、それが無理だと分かると、ワタルの胸に額を当てて顔をかくす。
「・・・・・・・・・ワタル君に関わるなと言う女の子の間でささやかれていた噂以上だわ」
遥香が両手の指をくんだりほどいたりしながら、モジモジしている。
「そんな噂が流れていたの」
なんか嫌な噂だ。
「いえ、噂以上だわ。ワタル君おそるべし」
遥香が首に腕を回してきた。
「そうした方が安定するでしょう。もうあきらめましたから、このまま連れて行ってください」
「まかしといて」
ワタルは遥香を少し上に投げてしっかりと抱っこし直してから、廊下を進み始めた。
「この先のエレベータを使って、いったん病棟の外にでて」