1話
「おいオヤジ! まだできねぇのかよ! 」
「やかましい! 今混んでんだからちょいとぐらい我慢しやがれ! 」
横柄な態度の客に、こちらもおよそ客を相手にする口調とは言えないような乱雑な口調で店主が返す。
「はぁ? タダでさえ砂っぺぇ酒と料理出すってのにその上待たせるだと?
冗談言ってんじゃねぇぞおい」
「フン、いつもの減らず口かよハナタレ小僧。
時間だの砂だの気にしてっからてめぇはそんなにやせ細ってやがんだよ。
大体お前如きの懐事情じゃどこいっても毒混じりの料理食わされて腹でも下すのがオチだ」
店のテーブルのあちらこちらから笑い声が上がった。
「そいつぁまったく違ぇねぇや」
客もまた苦笑いして先に注文していた泥水混じりの薄い葡萄酒を煽る。
ここは酒場…それも冠言葉を付けるならば『場末の』と付けるのが相応しいような、質の悪い酒場である。
この店で最も高い酒でも飲めば口の中に少し砂利のような感触が残り、料理の方はと言えば野菜には剥き残した皮が気になる程度にはくっついており、肉は筋張っていて噛み切るのには人間離れした咬合力が必須といった有様だ。
とはいえここは値段からすればまだマシで、似たような値をつけている他の近隣の店はと言えば腐ったネズミの肉なんかを平気な顔で出したり、酷い物では眠り薬の入った料理を出して客の持ち物を頂いたりするような店ばかりである。
普通ならそんな店は衛兵にしょっぴかれるのがオチだが、この街…いや、この区画は違う。
この店が位置しているのは街の中心部に海と見紛うほどの大オアシスを抱え、東には竜住まう長大な山脈が聳え、他を砂漠に囲まれた巨大都市、アルマの最西端である。
アルマの西側は、山の魔物との熾烈な縄張り争いを繰り返すうちに凶悪な機能をその身体に身に付けた砂漠の魔物共の襲撃に絶えず晒され続ける場所なのだ。
それ故に普通の人間はまず住みたがらず、それとは逆に強力な魔物を倒し、その素材を売る事を生業とする荒くれ達には格好の狩場となった。
そうして腕自慢の荒くれ達が集まると、今度はそれを買い取り、加工或いは輸出して金を稼ごうとする者や、主要な素材を剥がれて打ち捨てられた魔物の残りを掠めようとする者が集まって来る。
人が集まればその人々を目当てとした商人が更に集まり…と、こうして肥大化し、それに伴ってそれ以前からあったオアシスを管理、防衛する為の中心街の正規兵すら手がつけられなくなったのがアルマ西部外縁なのだ。
無論1個人がやりすぎれば西部流の制裁を受けるのだが、ほぼ毒物のような食事を出した程度では、相手が余程の権力を持っていない限り制裁を受けることなど有り得ない。
だからこそ大した品質の物でなくても少なくとも食えない物は出さないこの酒場は愛されており、ほぼ毎日顔を合わせる常連同士もある程度顔を知っているのだ。
…少なくとも、カウンターの隅に静かに佇む見知らぬ顔に気がつく程度には。
「よう、アンタ見ねぇ顔だな、この店は初めてか? 」
先程店主に絡んでいた男が、あまりに酒が薄かった為、ほぼ酔ってはいないが気持ちだけ酒の勢いを借りてカウンターの男に近づき、声をかけた。
「…」
だが、男は一言も話さない。
「なんだァ? 無視かよお前さん、こういう時はうんとかすんとか言うもんだぜおい」
「…」
「寝てんのかオイ! 」
「…」
「このっ…! ふざけてんじゃねぇぞ! 」
3度声をかけられてもなお振り向きすらしない男に腹を立て、男は脇腹に全力で蹴りを叩き込み…。
「…〜ッ! 」
声にならない声を上げて悶絶した。
「失礼、何用だ? 」
今まで無言で俯いていた男が初めて顔を上げ、視線を床に倒れて呻く男へと向けると、介抱しようと立ち上がった。
座っていてすら目立っていたその巨躯は、立ち上がれば砂漠を牛耳る大蜥蜴すら一撃で打ち沈め得るのではないかと思わせる程の風格を放ち、俯いていた為に見えなかった角張った厳つい顔と、そこから生えたライオンの鬣を思わせるような赤茶色の髭と髪は、先述した体格と相まって荒々しさや恐ろしさを超えて最早王者のような威厳を漂わせる程である。
その風格にはさしもの荒くれ者共も一瞬押し黙ったものの、すぐにまた騒ぎ出して床に倒れている男にやいのやいのとヤジを飛ばし始めた。
一瞬にして部屋の隅の静寂から騒ぎの渦中へと放り出された件の男はと言えば、喧騒などは全く意に介さずに床の男へと手を差し伸べた。
「立てるか? 」
「…っ! どこまで俺を舐めやがるっ! 」
男は顔を怒りに歪めながら瞬時に腰へと手を伸ばし、何時でも吊り下げてある銃を掴んで抜き放つ。
そのまま引鉄に指を掛け感情のままにその指を引き絞ろうとしたその瞬間、一手早く別の銃声が鳴り響いた。
「うちじゃそれ以上は御法度だぜ、ロイ。
そういうのがやりてぇなら他所へ行きな、でなきゃお前は次から出禁だ」
銃声の主は今も尚厨房で作業をし続けている店主だった。
店主は己が放った銃弾が狙いを外さずロイと呼ばれた男の手から綺麗に銃を弾き飛ばしたのを確認し、ドスの効いた声で警告を発した。
「…へいへい、わかってますよ。
まったく雑に止めやがって、壊れたらどうしてくれんだ」
ブツブツと文句を言いながらも飛ばされた銃を這って拾いに行く男を尻目に、危うく撃たれかけた男は一連の事件に一切動じること無く元の席に戻り、カウンターに置いてあった酒を一口飲んだ。
「クク…おい、災難だったなぁ、ロイ」
「黙ってろ」
ロイもまた無事に席に戻り、再度飲みかけだった酒を口に運びつつ飲み仲間兼仕事仲間からの軽口を機嫌悪そうに捌いていく。
「あの…」
「なんだよ! 」
「えっと…すみません、注文されていた料理、お持ちしました」
その言葉はロイを一瞬で冷静に戻し、ついでにその顔色を真っ赤に染まらせた。
「す、すまないレベッカちゃん。
今のはこう、なんというかつい…」
「わかってますよ、少し勢いが良くなってしまっただけですもんね? 」
「う、うん…そうなんだ。
あー、料理、態々持ってきてくれてありがとな、俺の前のテーブルに置いといてくれよ」
「わかりました、じゃあ置かせてもらいますね」
先述の理由の他にも、この店には人がよく来る理由がある。
それがこの看板娘のレベッカなのだ。
レベッカは店主の亡き妻との間の一人娘で、美女と言って差し支えないような容貌を持ち合わせていた。
肩まで伸ばした黒髪はしっとりと濡れたような光沢を放ち、褐色の肌は艶やかで掻き傷1つ無く、些か童顔ではあるもののそれが寧ろ美人特有の近寄り難さを消し、親しみ易い雰囲気を纏わせている。
性格もその顔から受ける印象に違わず、苛烈な父親に似ないおおらかで人懐こい性格である。
欲に忠実な荒くれ共に人気が出ない訳も無い。
…もっとも人気があり過ぎる為に盛大な牽制が発生し、彼らは基本的に彼女には不干渉であるのだが。
今日あったような事件…誰かが喧嘩を起こし、銃を抜いて店主に静止をかけられ、レベッカと話して機嫌を直す、というのは毎日1度は繰り返される事であり、今日の出来事もまた新入りが絡んで少し珍しいというだけの単なる彼らの日常に過ぎなかった。
「邪魔するぜぇ」
安物の装飾品を大量に着けた趣味の悪い男が店の戸を開けて入ってくるまでは、だったが。
「おう、何名だ」
「見ればわかんだろうよ」
「うちは申告制だ、自分が何人で飯食うかもわからん馬鹿は帰れ」
「ばっ…! こんなボロ酒場の店主如きがよくも俺にそんな口を…! 」
男は明らかに頭にきた、といった仕草で懐に手を突っ込み、1枚の鈍色に光るメダルのような物を取り出した。
「ほれ、これを見やがれ! ここに刻まれた荷車と金貨の紋章、これこそ俺が西の四家の1つ、アラベルタ家に仕える証だ!
お前みたいなくだらん人間が楯突いて良い相手じゃねぇんだよ! 」
男の自慢げな語りはそっちのけに、掲げるそのメダルが本物らしいという事を見定めた客達が先程までのバカ騒ぎをやめ、因縁をつけられないように俯いて静かに食事を摂り始める。
彼らは無法者だがそれでも喧嘩を売ってはいけない相手をきちんと理解していたのだ。
そして店内が静まり返った故に、店主の心底呆れ返ったという様子の大きなため息だけがやけに大きく響いた。
「2つ」
「あ? 」
「2つ、お前は俺の店で俺の気に食わん事をした。
1つは俺の質問に答えなかった、もう1つは手前の実力でも功績でも無ぇ事でイキり散らした。
さっさと出てけ、3つ目をやったら即座に眉間に弾丸ぶち込んでやる」
「んだと…! 弾丸ぶち込まれるのがどっちか、試してやろうじゃねぇか! 」
男は再度懐に手を入れてメダルをしまい、同時に同じ場所にしまってあった銃に手を掛けた。
「人の忠告は聞くもんだ、今ならまだ間に合うぜ。
腰抜けアラベルタの使いっ走りらしく尻尾巻いて逃げな」
「…〜っ! もう許さんっ! 」
3発、銃声が轟いた。
「だから俺は言ったんだ」
店主の冷徹な声。
眉間、喉笛、そして胸、一瞬のうちにその身体に3つの孔を穿たれた男が仰向けに倒れる。
「忠告は聞くもんだ、とな。
お前は俺の店の中で銃を出した、コイツが3つ目だ。
せいぜい後悔して死ぬんだな…いや、もう死んでやがるか」
倒れた男を鼻で笑い、厨房の作業に戻ろうと後ろを向いた店主。
その背後でもう1発、銃声が轟く。
「ぐっ…! 」
「けっ、外したか」
何か不穏な気配を感じ、体を躱すも先程自らが男にしたように肩に傷を受けた店主が呻き声を上げるのを、銃声の主…先程撃たれて死んだ筈の男が嗤って見下ろす。
先程店主に撃ち抜かれた傷が塞がったわけでもそもそも命中していなかった訳でもなく、道端に横たわってさえいれば100人中100人が死体と認識するような風情であるにも関わらず、奇妙な事に彼は当然のように立っていたのだ。
「折角この俺が死んだフリまでしてやったってのによ! 」
嗤う男の体から撃ち込まれた3発の銃弾がポロポロと落ち、傷の周囲が蠢いてさも撃たれた事実など無かったかのように無傷の肌へと戻る。
「なるほど…マトモな人間じゃ…なかったってこった…。
さしずめ…最近噂の改造人間…って奴か? 」
「その通り、俺は最新の手術によって全身をちっちぇ魔道具の集合体に置き換えてんのさ。
額に風穴開けられようが、胴体をちぎられようが、簡単に復活できる。
その上それを活かせばこんな手品だってできる! 」
男の右腕が偽装を解いて人肌らしい艶と色味を持った姿から金属質な本来の姿へと変化する。
腕は人の形を捨て去って鋭利な刃へと変化し、目にも止まらぬ速度で伸び、枝分かれしてカウンターごと店主の無事な方の肩や膝を刺し貫いた。
「ぐぅっ…! 」
「正に最強! 正に無敵! 旧世代の戦闘の主役だった機械魔道兵だの戦闘用魔道外装なんざ足下にも及ばんのさ!
まして生身のお前簡単になぶり殺せる!
…まあ、無様に命乞いでもしてみればもしかしたら助けてやるかも知れんがな。
ほれ、やってみろよ、さっさとな」
「あ…」
倒れ伏し、俯いた店主の口から声が漏れる。
「あ、なんだ? 」
「呆れたやつだって言ってんだよ! 耳腐ってんのかよ小悪党! 」
「な…なんだと! 」
下卑た笑いを浮かべていた男の顔が忽ち怒りに染まる。
「早撃ち勝負で俺が3発ぶち込んでやった間に1発放つ事もできなかった上に、挙句自分から挑んだ早撃ち勝負を捨てて不意打ちなんぞカマしてきたカス如きが無敵? なんの冗談だそりゃ。
お前は俺が今まで見てきた中でも1番くだら………」
「黙れっ! 」
先程店主を突き刺した腕が今度は槌のように変化し、店主を殴りつける。
今の一撃で内蔵でも傷つけられたのか、店主は血反吐を吐きながらも不敵に男を睨んだ。
「図…星ってぇ…訳…だ。
まった…く、つくづく…情けねぇ…奴…」
「口の減らねぇ野郎め…簡単にゃ死なさんと思ってたが、どうもさっさと死にてぇらしいな! 」
腕が再度鋭利な姿へと変貌し、1本の槍と化す。
その槍を振り上げて店主へと突き刺さんとした時。
「やめて下さい! 」
レベッカから静止の声が飛んだ。
「申し訳ありません、父の非礼も失言も私が代わりに謝ります、私の命を取って頂いても構いません。
ですから…父の命はどうか! 」
「おれの…喧嘩に…首ぃ…突っ込むなよ、バカ娘…! 」
「…なるほどなぁ」
男は笑みを浮かべて槍に変えていた腕を何本かの触腕のような状態へと変え、レベッカに巻き付けて拘束した。
そしてそのまま彼女を自分のもとへと引き寄せ、舐めるようにその顔や体を眺める。
「ほほぉ、中々良い女だ、連れて帰ろう。
…だが、それはそれとして」
レベッカを拘束する右腕をそのままに、今度は左腕の偽装を解いて先程のように槍へと変化させて未だ倒れ伏している店主へと狙いをつける。
「俺をバカにしたあの男にゃ死んっ………! 」
言葉の最後は誰にも届かなかった。
理由は先程の店主が使った銃とは比べ物にならない程大きな銃声が鳴ったのがまず1つ。
もう1つの理由は言葉を発する筈だった男の頭部が吹き飛んでしまった事だった。
「だっ、誰だっ! 」
「げっ…ま、マジで死なねぇのかよコイツ」
即座に首から生えてきた男の新しい頭部が発見した犯人、それは先程揉め事を起こした男…すなわちロイだった。
「こ、ここの店は俺にとっちゃ行きつけの店だ! 店主殺されて潰れちまったら困るんだよ!
そっ…それに俺はその娘に惚れてんだ、今更ぽっと出野郎に攫われてたまるもんか! 」
「てめぇの都合なんざ知るかよ! 今、何をしたかわかってやがんのか? 」
店主に向けられていた槍が今度はロイへと向けられる。
「ひ…」
自らより圧倒的に強い相手からの敵意を受け、ロイの戦意は簡単に霧散した。
切ろうとしていた啖呵は喉から出ず、先程一撃入れた仕事道具…対魔物用の大型銃は手の震えの為に取り落とす、といった有様だ。
「なんだ、今更怖がってるってか?
しなきゃ良かったのになぁ、あんな事…」
「ロイさ…! 」
ロイを心配するレベッカの口を塞ぎながら、男はロイへと歩み寄った。
ロイは椅子から転げ落ちるようにしてあとずさったが、すぐに店の壁に突き当たって追い詰められるのは明白な上、先程の攻撃を見ればこんな行動に意味は無い事は明白だった。
「だが、後悔ってのはよぉ、しても仕方がねぇもんなんだぜ! 」
怯えきった哀れな男を追い回すのに飽きた男が遂にトドメを刺さんと構えていた槍を飛ばす。
最早ロイに助かる手段は無く、周囲の人々は彼が腹を刺し貫かれてその生涯に別れを告げる瞬間を見届ける事しかできない…。
「…」
その筈だった。
「なっ! なんだコイツは! 俺の一撃が、効いていねぇってのか! 」
響いたのはロイの断末魔でも、血飛沫の上がる音でもない。
その音は硬質な物同士をぶつけたような音だった。
「あっ…アンタはっ! 」
男とロイの間、先程まで阻む物も者も無かったその空間に、色褪せた茶色の古そうな日除けの外套を靡かせ、同じような色のこれまた古そうな帽子を被った男が立っていた。
その男…先程カウンターに座っていた男は鋼鉄だろうとお構い無しに貫くようなその一撃を、あろう事かその掌で軽々と受け止めていたのだ。
「迷惑料だ」
「は? 」
割り込んだ男の口走った言葉の意図が読めず、ロイの口から思わず疑問が漏れる。
「気をつけろ、その命、次は亡くさんように」
「あ、ああ…」
「おいおいおい、また俺に逆らう奴が増えやがったな!
それに今度のは俺の呼びかけすら無視するってか! どうやら随分と切り刻まれたいようだなぁ! 」
「ただ…」
カウンターの男はそこで初めて攻撃を仕掛けた男の方をしっかりと向いた。
しかし、それは男の脅しに屈したからでは無い。
「この場は私が収めよう」
倒す為だ。