第16話 湖。あるいは大きな渦。底のない水たまり。
「魔王ですね」
「魔王だね」
「魔王だな」
「魔王ですか……わたくしが」
公爵令嬢の館に戻ると同時ぐらいに、公爵令嬢の胸につけたエンブレムが、赤色に咲いた。魔王の華だ。
「いやーまーそりゃーケーティちゃん側からしたら敵だし、魔王ってのも分かるけどねー」
「似合いますか。わたくしに」
「え、やめて。ほんとやめて。答えらんない質問やめて。悪かった。あたしが悪かった」
一瞬でティリスが追い詰められているのを見ながら、オレとスミロは渋い顔をしていた。
「いい傾向ではないです」
「参加人数がどれほどになるかは分からん。だが、間違いなく、大規模儀式魔術になる」
「劇の印象が、市民に染みついています。エーデウス公爵令嬢様には、しばらく身を隠していただいたほうが安全じゃ?」
「籠城か……できなくはないかもしれん。ここには呪術結界があるから……」
「無理! 街全体で、参加人数が100を超えるなら、国家が常設してるやつじゃないと防げないよ!」
ティリスが割り込んで叫ぶ。それを受けて、クレア・エーデウス公爵令嬢も議論に加わる。
「しかし、相手側も即興で組み立てているはずでしょう。そこまで強固なものが、仕上がるのですか?」
「そういう問題じゃないの公爵令嬢様。呪術は縁って言ったでしょ? 人数が多くて、その全てが統一された意志を持ち、しかも全員が自ら進んで参加している。つまり呪術的に強固なつながりを、全体が持っている! 使われる魔術は即興かもしれないけど、組みあがった儀式は呪術的に防ぎにくいものになっちゃってるんだよ!」
ティリスの焦りは本物だ。オレも、このレベルの儀式はお目にかかったことがない。
街全体。
参加規模は百単位。
国家ですら動員の難しい人数だ。
「これを、あいつが? 即興で? ないな……」
「元から素地があった?」
「上書きする形で儀式を行っている?」
「参加者になった以上、途中退場はやめた方がいいです。大規模な魔術儀式であればあるほど、歪みにかかる負荷はすさまじいんです」
「溜め池から桶で水をすくうとさー。そこで渦ができて、水が流れ込むじゃん。あれと同じだよ。で、その渦に飲まれて沈んじゃう。溺れちゃうの。苦しいよー。やめたほうがいいよー」
ティリスがぐええーっとおどけながら説明している。だが端々から緊張が伝わる。
赤くなったエンブレムを調べているスミロを見ながら、クレア・エーデウス公爵令嬢も心配そうにしている。
「防ぐ手段が皆無で、絶望的に聞こえるのですけれど」
「うーん、逆かな。防げないからこそ、失敗させられるっていうか」
「城壁の話がありましたが、参加者は砦の中にいると思ってください」
ティリスが今度はあっけらかんと答え、スミロが引き継ぐ。
「既にわたくしたちは、城壁という第一段階を突破済み、と」
「砦の中の法則は分からないけど、そこはほら、魔術のプロが二人いるし」
「それなんですが……」
エンブレムを調べていたスミロがこちらを向く。表情が深刻さを物語っている。調査結果はあまりいいものではないらしい。
「分かったか?」
「多分ですけど……」
「それでいい」
「死にます。クレア・エーデウス公爵令嬢が」
「は?」
「わたくしが?」
オレもクレア・エーデウス公爵令嬢も、驚きを隠せない。
あいつが、本気で、クレア侯爵令嬢を殺そうとしている……。
ありえるか?
スミロは説明を続ける。
「儀式の形式上、最終的に魔力は点に集まるんですが、これがクレア・エーデウス公爵令嬢の魔王の華に集まっています」
「殺害を企図したものと?」
「断言はできないです。しかしこの魔力量だと、何が起きるにしても、エーデウス公爵令嬢は無事では済まないはず」
緊張と静寂が満ちる。祭りの喧騒が、遠くに響いて聞こえる。
深刻さが事実として提示されて、それぞれが自身の思考にしばし閉じこもる。
オレもそうしていた。あいつがどこまで本気かは分からないが、少なくとも、途中で切り上げられない大規模儀式を行っている。
つまりあいつがクレア・エーデウスを殺す気がないならば、儀式自体に仕掛けを施している……。
違うな……。
あいつは本気でクレア・エーデウスを殺そうとしている。
少なくとも、その方向で全力を出している。
問題は、なぜそうしているか。
「誰かのために、でしょうか」
オレの思考に割り込むように、ぽつりと、クレア・エーデウス公爵令嬢がつぶやいた。
問題が内にないならば、外にある……。
「敵が他にいる……?」
「ありえなくはないでしょう?」
「あたしとスミロくんで探そうか?」
「儀式の全容解明が最優先」
「りょーかーい」
「解りました」
ティリスとスミロはうなずく。
大規模魔術儀式での途中退席の咎は、それが主導者であっても等しく受ける。
つまりは、儀式を囮にして、直接的にクレア・エーデウス侯爵令嬢が狙われることはない。
だから2人は解明を優先し、オレと令嬢は、儀式に敢えて乗り続ける
2人が館から出ていき、令嬢と、また二人きりになる。
緊張が走っている。数刻前とは、別の意味での緊張。
オレの思っていることを、彼女にぶつけてみる。
「ずっと前からか?」
「ええ」
肯定の言葉。特に逡巡する様子もなく、するりと出てくる。
「君もか?」
「だからこそ、ラリー様をお呼びしたのです」
素晴らしい。
こんな返しをされたら、オレの返答は固定されてしまう。
ため息を付きつつ、苦笑しながら、こう言うしかない。
「期待に答えるよ」
「期待しておりますね」
彼女も、にっこり笑ってそう応えた。
クレア・エーデウス公爵令嬢は、オレがオレであることに期待して、オレをここに呼んだ。
緊張するわけだ。
危ない仕事になる。
ミノタウロスの大群よりも、ずっと。
今回もゆるゆる更新になり大変申し訳無い気持ちでいっぱいです。
ブックマーク、評価が上がるのを見て、なんのかんのモチベ維持できております。
折れそうなときは感想を読ませていただいております。ありがとうございます!




