9.自身の状態を確認してみよう。
本文の「**************」の前後でシーンが変わります。
また、前後で「彼」が指している対象が異なります。
以前から転移転生を試す度に少しずつ近くなっていたとはいえ、移動は彼にも久しぶりのことだ。得られる情報も質も変化していくのに合わせて、自身の存在が浮き彫りになるような感覚。自身の外という区分を久しぶりに思いだし、内側にあるものを意識する。移動途中で侵食したいくつかの世界は、元の場所に存在しながら彼の中にある。物理的な距離に限らず時間などの概念さえも超えて彼は広がっているのだ。これまでに糸を伸ばしていたように、自身の一部を広げていく彼の大きさを正確に測れる存在はない。彼自身、自分の存在を把握してはいるが、それがどのようになっているのかを認識はしていない。
「熱とか、懐かしいな」
今までは糸を使った静物感知をしていたようなものである。だが大分近くになったことで、認識方法をその世界に準じたものへと落とし込めていた。伸ばした糸はサーモグラフィー程度の情報を彼に伝えている。
その移動により彼の内側でビッグバンが起こっていたが、彼自身には痛痒にも至らない。
仮に気づいていたとしても、彼には飽きた現象である。妊婦への好奇心が勝るだろう。
もっと近くになればそれ以上の情報も得られるようになるかもしれないが、世界そのものにぶつかる可能性があるため、彼は一度その状態で試すことにする。
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『…………気象予測では今回の台風は東から西へ向かうと予測されており、前回の被害から各地域に警告が出されています。逆走する台風といえば数年前にもあった気がしますが、詳しいところを気象予報士の…………』
季節外れに乱発した台風の影響で、高速道路は速度規制がかかっている。叔父の軽トラではなくレンタカーを借りておいてよかったと彼は旨を撫で下ろし、隣の妻に目を向けた。
吹き付ける強風をものともせず、ぐっすりと眠っている姿が微笑ましくもあり、頼もしくもある。子供ができるという事態に対して、未だに彼は落ち着いて対処できずにいた。
「大黒柱はどっしりと構えていればいいのよ」
何度も苦笑混じりにそう言われたが、彼には家族の柱としての自信がない。その根底には両親を失ったトラウマがあり、喪失への恐怖がある。再び家族を失うのではないかと無意識に不安を感じているのだ。しかし彼は両親の顔を思い出せないほどに事故の記憶を封じているため、それを拭うことが出来ない。
出来るのは、危険を避けるように注意を払うくらいである。
彼はハイスピードで迫ってくる後続車に先を譲り、巻き込まれないように速度を緩めた。
未だに「大黒柱」という表現って通じるのでしょうか。