19.飽きた暇つぶしはやめようか。
本文の「**************」の前後でシーンが変わります。
また、前後で「彼」が指している対象が異なります。
学校を設置したものの人間が入ってこないため、彼は諦めを感じていた。もともとが何かをさせる目的もなく、彼自身の暇つぶしで始めた転移転生である。飽きが生じた時点で続ける理由はなくなっていた。
未だに彼は人間も、それがいる世界も振動と熱でしか認識できていない。伸ばした糸を並んだ家屋周辺に伸ばして確認するが、中にいる人間たちの動きは少なく、出歩く様子もない。
中に入って針を刺すことも考えたが、どうせ壊れてしまうだろうと諦める。人間が壊れるものだという認識は彼の中に定着してしまった。その無意識の影響でさえ、家の中で過ごす人間たちを破壊しているが、彼はそれに気づいていない。
いらなくなったオモチャを壊す子供のように、人間を世界ごと消してしまおうかと考えていると、呻き声を感じた。
そちらに意識を向けると一つの魂がフラフラと歩いていた。それは彼が義母に押し込んだ、家族を皆殺しにした人間の魂だったが、彼には魂の区別などつかない。だがそれが向かおうとしている先に、彼が設置した学校があることはわかった。
その魂は学校に向かおうとしていたわけではなく、唯一残っている家族を死なせるために追っているのだが、そんなことは知る由もない。取り憑かれた義母が義父を殺したことや、その義母と妻と子供を婿が殺したことなど、仮に彼が知ったとしても興味を持たないだろう。それよりもその魂が学校へ入ることを期待して、伸ばした糸でそれを観察していた。
だが、意識がそちらに向きすぎたのだろうか。車が寄って来ていることに気づいていたが、糸が車道にあることも、その車に誰も乗っていないことも、気づいていなかった。
サイドブレーキをかけずに運転手が放置した軽トラは、ゆっくりと坂を下って彼の伸ばした糸にぶつかった。
まだ擬似餌にかかる人間がいたのかと、彼はぶつかったものを確認し、それが何か気づいた。
「え? これ、軽トラ? えっ! じゃあ俺が転生するの!」
軽トラに轢かれたものは転生する。彼が知る転移転生モノ小説では定番だった。彼は自分が転生するという新しい暇つぶしに浮かれたのだろう、伸ばしていた糸が荒ぶった。その周辺が糸によって弾かれ、建物も人間も魂さえも原型がわからなくなるほどに砕かれて撒き散らされる。
だがそんなことは彼には最早どうでもよく、認識さえしていなかった。その世界と彼を繋いでいるものを全て回収し、その世界から消える。転生することしか考えておらず、設置していた学校も回収していたことに気づいたのは、転生先の世界を選ぼうとピックアップしているときだった。
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『…………――! ――! ―――!…………』
何の音かもわからない騒音が彼の全身を震わせ、宙に浮いた体が壁に打ち付けられた。
その壁はまるでセーターのように編み込まれた糸で作られており、彼の体を受け止めた。沈み込んだ体が弾んで、床へと落ちる。その衝撃を受け止めた床は波打ち、並べられた机や椅子も揃って震えた。
妻の首を絞めた後、彼は軽トラには戻らなかった。全てが偽りだと信じようとしたのか、違う違うと繰り返し呟き、時に叫びながらさまよった。子供と妻に会いたいと願いながら、どちらも自分が殺したことを認められず、逃避していた。
現実から、妻子のいない世界から逃げられるなら、どこでも良かったのだろう。まるで吸い寄せられるように、本来なら存在するはずもない学校へと彼は迷い込んだ。
まるで糸で編んだような学校は彼の足首までを床に沈めて、夢の中を歩くようなイメージを彼にもたらした。
「全部、夢だ。悪い夢なんだ……」
教室に入り座り込んだ彼の体が、床に飲み込まれるように沈む。彼は自分がどこにいるのか、どんな状況にあるのかなど、一切認識していなかった。ただ、耳鳴りのように繰り返される妻の叫び声に怯えて体を震わせ、搔き消すように叫び続けていた。
声も枯れた頃、彼の全身が騒音で震えて宙に浮いた。床に落ちて倒れ伏し、沈んでいくままになっていた彼の体は、呑み込まれる直前で重量を忘れた。
まるで無重力の中で放られたボールのように、壁や天井、床へと叩きつけられ、その度に沈み込んでは弾かれる。彼の脳も臓器も体ごと振り回され、吐き気が溢れたが何も出ない。やがて意識が薄れてきた彼は、妻の叫び声が聞こえないことに安堵しながら気を失った。
次回、最終話になります。




