第五話 ③―B 「魔王」
体力も限界に近い。
早々に決着をつけるために狙うは頭の一択。どんな生物も頭を潰されたら生きていけないだろう。それはデーモンと戦った時に証明済みだ。倒れている竜の岩場のような鱗を力任せによじ登り、目的地を見据える。
簡単なことだと自分に言い聞かせるように息を吐く。ただ尻尾が位置する現在地から、逆端の頭まで背を渡るように走れば良い。竜が起き上がるまでの時間はきっと少ない。意地でもタイムリミットまでに頭に辿り着き、潰す。
移動するついでとばかりに竜の体へと剣を突き刺し、魚を捌くように切り裂いていくことにした。ゴツゴツとした皮膚に何度も躓いたり、滑り落ちそうになるが、その度に突き刺していた剣を握る手に力を入れ、持ち堪える。このまま頭まで切り裂いてやろうと思った直後。
ゴリ。胸部に到達した辺りで問題が発生した。嫌な感触と音に今日何度目か分からない鳥肌が立つ。剣が硬い骨のようなものに当たり、動くことも抜くことも出来なくなってしまったのだ。
最悪だ。くそ! こんなことやってる場合じゃない!
失敗。余計なことをするんじゃなかった。俺はこのままどうなる。何故上手くいかない。先程から誰かに導かれるように行動の全てが裏目に出ている気さえしてくる。
後悔と絶望が脳裏を掠め、冷や汗が滲む。手間取っている間にも、竜は態勢を立て直し、その姿を起こしていく。逆さになっていく地面。ゴツゴツした部分に足をかけ、態勢を立て直そうと試みたが、大量に付着した血液に足を取られ、見事に滑った。竜の体へと刺さる剣を片手に宙ぶらりん状態に陥る。
竜が元の体勢に近づくにつれ、思った以上に高い位置まで上がることに高所恐怖症でも無いのに恐怖心が湧き出てくる。ここから落ちたら待ち受けるものは間違いなく死。良くて全治一年以上の粉砕骨折ってところだろうか。下を見て、全身が総毛立つ。
それに呼応するかのように悪夢のような最悪は続く。額から顎にかけて汗が流れていくのが分かった。緊張か、或いは力を入れているからかと思ったが、どうやら違う。気が付くと体が強烈な影を作っていた。理由は至極簡単。頭上に空気さえも溶け出しそうなほどの光源があったからだ。恐怖に慄きながら頭上を見上げると竜の口が光を帯びていくのが見えた。灼熱の空気が歪み、支えである剣が高熱を帯びる。
どうする?
どうすりゃいい?
いっそ飛び降りて全身の骨が砕けるついでに脳みそもぶち撒けるか、このままぶら下がって超高温でグリルされるか。どちらも遠慮願いたい死に方である以上、その二択に答えなんか無いに決まっている。ならば少しでも確率の高い方に賭けるしかないではないか。
ミジンコにも劣るほど自信のない覚悟を決めて、飛び降りようとしたその時。
「マオ! あそこに飛び移れ!!」
声が、聞こえた。
目の前に現れた光の玉。視界を誘導するように飛行するマウが示す方向。窓に吊り下げられた花を守るように、布の張られた屋根が複数段存在した。距離も然程あるわけでもない。直感でマウの言うことを理解する。
確かにあそこなら……!
考えている間にも段々と光は大きくなっていき、背後により濃い影を作っていった。もう考えている時間はない。僅かな希望を頼りに、剣を軸に体を振る。当然、体操選手でも無ければ安定性も最悪。学生時代の体育の成績は平均の三。それでも飛ばなきゃ想像を絶する痛みが待っている。
次の瞬間。
「おおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!」
俺は思いっきり飛んだ。
空を舞うのは気持ちが良かった。ジェットコースターのように全身がゾクゾクと期待に震える。顔に浮かんだ汗も、飛ぶ前までの悩みも、なにもかも後方に弾き飛ばす風を感じた。
「ははっ!」
笑ってる? 俺は笑ってるのか? 楽しい? 楽しい訳がない。皆酷い目にあって、俺だって痛い目にあっている。だから決して楽しいはずはないんだ。でも溢れ出るこの高揚感の正体は一体。生死の瀬戸際に立たされて興奮しているとでも言うのだろうか。生憎そんなマゾヒズムは持ち合わせていないはずだが――。
着地点が見える。このままだと僅かに届かない。せめて掴めと、これ以上無いくらいに手を前に出す。手首を通る血管が切れそうなくらいに。願いが通じたのかどうかは分からないが、端に手がかる。しかし、重い物を吊るすように出来ていない骨組みは掴んだ瞬間に壊れ、二段目、三段目と派手な音を立て、結果重力に従うことになった。
あっという間の出来事。一番下、地面へと激突した時に体の痛みが僅かしかないことに俺は一先ずの安堵の息を漏らした。マウの目論見通り、張られた布が衝撃を吸収してくれたようだ。大冒険をしたかのような達成感。生きていることが嬉しい。ジワジワと喜びが湧き上がってくる。
ただ、何を感じようが今はここが到達点じゃない。目的を履き違えてはいけない。
体に巻き付く布を取り払い、竜を見ると口に溜め込まれた輝きが最高潮へ到達する瞬間だった。赤かったはずの空が眩い白に満たされていく。
「―――――――――」
世界の終焉を伝えるような爆音が響き、それは放たれた。竜を爆心地として、業炎が全てを燃やし尽くし、拡散されていく。行き場を失い、溢れ返る炎が次々と波となって迫り寄る。
俺ではなく、その場にいた一人の少女に。
遠くに広がる炎の渦からもがくように逃げる影を見た。
突き合わせた拳がフラッシュバックする。あの暖かくて、柔らかい手をどうした。頑張ろうと誓い合って、二つの拳は離れてしまった。守りたい存在から決して離れるべきじゃないと分かっていたはずなのに離れたのは誰だ。ずっと一緒に手を握っていれば良かった。そうして戦わずに逃げていれば良かった。ヒロイックな気分に浸って本来の目的を見失ったのは誰だ。
あの――笑顔を守れなかったのは誰だ。
全ては――俺自身だ。
「宴華ああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!」
炎に追いつかれ、飲み込まれていく影。
街中が瞬間的に沸騰する。地面から沸き立つように連続して弾ける爆音と、建物が崩壊していく音で、悲鳴すら聞くことすら――。
叶わなかった。




