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第五話 ②―B 「真王」

挿絵(By みてみん)

 ケンジロウが長刀を抜き、構える。先程とは違う、本気の構え。その鋭い目は今までの温和な性格とは正反対に、何年も前からこの世界で生き抜いているような熟練の風格を感じさせた。


 しかしそれでも竜の放つ圧倒的なオーラには到底敵わない。ただそこに"いる"というだけで全てを屈服させる存在。巨大な体躯を前にしては誰がどう見ても捕食者と被食者の構図へと成り下がる。ケンジロウがいくら強くたってあの竜に勝てるわけがない。素人の俺にだって分かるのだ。頭の良いケンジロウがそんなことを分からないはずがない。

 

 あれは格が違う。


 あれは人が戦うものじゃない。


 既に他のプレーヤーとは分断されていた。高く積み上がる瓦礫の向こうからはいつの間にか剣がぶつかり合う音が響いてきている。先の攻撃で敵も味方も多くの犠牲者を出したはずだが、どうやら戦闘が再開されたようだ。

 今ここにいるのは集団から少し離れて喋っていた俺と宴華とケンジロウだけ。


 三人でやれるのか? 


 ケンジロウはまだしも、俺と宴華は竜相手に戦力になるはずもない。それでは実質ケンジロウ一人に戦わせることになってしまう。

 強く拳を握る。俺に力があれば。皆を守れるくらいの力があれば。魔王にとっては見当違いも甚だしい考えかもしれないが、俺にとってはそれこそが目指すべき魔王なのだ。だからこそ、どんな理不尽な状況であっても、俺は皆を守りたい。


 首を振る。今は切望するよりも、現実を視るんだ。今ここで一番体力があるのはイズミに回復魔法をかけてもらった俺。その俺が囮になって二人が逃げる時間を稼げれば、皆が生き残るための一番の可能性になるのではないだろうか。


 苦心の末、拾い集めた泥のような決意を握り固め、前へと踏み出す。不思議なものだった。一歩進むだけで、モヤのかかっていた心が晴れてゆく気がした。前方右の方向に開けた空間が見える。目指すはあの場所か。竜の注意を引き付けるように、二人から遠ざかろうとした所だった。


「グルルルルル…………」


 竜の視線に足が止まる。


 おい、なんでだよ。


 ただの視線だぞ。


 視線でこんな……こんな体が動かないだなんてあってたまるか!


 今にも煙が吐き出されそうな口から見える鋭い牙。研ぎ澄まされた包丁のように剥き出しになった爪。ちっぽけな人間を殺すには余りある姿に、今にも自分の首が引きちぎられるのではないかと錯覚させられる。体に降り注ぐ鋭い視線の矢が、興味なさげに外されたことで、情けなくも膝から崩れ落ちた。その際に当たった小石で膝を切ったが、そんなことは気にもならない。


 俺は何を勘違いしていたんだ。あいつは最初から俺のことなんて目に留めていなかった。視線を向けるだけで倒せてしまうような男。そんな男を誰がわざわざ相手にする? 倒す価値もない。竜にとって俺はその程度の男なのだ。


「グオオオオオオオオオオオオオオ」


 暴力的な力の塊が地を這い、ケンジロウただ一人に向かって唸りをあげながら突進していく。初めから竜の敵とみなされていたのはケンジロウだけ。その他は食玩のオマケにも劣るちっぽけで矮小な存在でしかない。


 猛烈な風が吹き荒む。その様子を見ていることしか出来なかった。目の前で繰り広げられていくのは一方的な暴力。踊るように血が舞い、跳ねるように体が飛ぶ。


 愕然とした。


 俺の予想を遥かに上回るケンジロウの全てを物ともしない程の強さがそこにはあったのだ。


 竜の突進を半身ずらしただけで軽くいなしたかと思えば、降り注ぐ爪の雨を正確無比に長刀で弾く。その過程で生まれた僅かな隙を見て竜本体へ打ち込む人間離れした動きを高速で繰り返す。


「凄い……」


 思わず息が漏れた。

 化物に対抗するのはまた化物。ケンジロウは圧倒的な力を持つと思われた竜と互角以上に渡り合っていた。硬い鱗に覆われた体にダメージを与えるにはまだ致命打は与えられていないが、ケンジロウもまだ致命的な攻撃は受けていない。

 唯一恐ろしいのは、広場を軽々と破壊した業炎だが、どうやらあれを放つには少しのチャージタイムを必要とするらしい。先程から細かな炎は吐くものの、ケンジロウの素早い攻撃を前に竜は翻弄され、未だ本来の力を発揮出来ずにいた。


 このまま。


 このままいけるかもしれない。


 誰がどう見てもスピードで圧倒するケンジロウの優位は揺るがない。


 打ち込んだ一撃によろけた竜を見て、一度息を整えるために竜と距離を取る。今までもそうだが、態勢を崩した相手を見ても、一撃を貰うだけで致命傷となる防具の薄さを理解しているケンジロウは決して深追いをしていなかった。戦闘を優位に進めていく強さはこういうところにあるのだろう。


 繰り返しの攻防が数度行われた後、その時は訪れた。

 またしても距離を取ったケンジロウに対して、竜の口が禍々しく光り始める。傷だらけの竜はどうやらこのままでは勝てないと、賭けに出たらしい。当たれば勝ち、当たらなければ負け。所詮プログラムされた動きとは言え、いささかシンプル過ぎる作戦だ。


 光を見た瞬間、ケンジロウは撃たせまいと竜へと向かって駆け出す。あれだけ戦った後だと言うのに、今までで見た中で一番速い速度で俺の目の前を駆け抜けていく。俺の前髪が風圧で持ち上がる。この速度なら、竜が業炎を放つより、ケンジロウの方が速い。あっという間に竜の元へ辿り着いたケンジロウは地面を蹴り、竜の眼前へと跳躍する。そのまま鈍く光る長刀を力の限り、顔面へと振り下ろせば勝ち。


 だが、何かがおかしい。


 違和感が俺の心を蝕む。これで倒せてしまうのか? いくらケンジロウが強いとは言ってもゲームはサービスを開始したばかりだし、イベントと考えると敵のレベルも然程高くは設定されていないようにも思える。


 しかし、仮にも相手は竜だ。通常のゲームであれば全てのモンスターの中でも最高ランクの強さに当たる。それがこんな序盤で出てきて、あまり強くない行動パターンが組み込まれている。こんなにリアルを追求するゲームが? 倒さないとイベントが進行しないから、せめて行動パターンだけは弱くと、救済措置のつもりか? 有り得なくはないが、どうにも引っかかる。


 宝石のように光る竜の目を見て、ゾクリと背筋に悪寒が走り抜ける。


 あいつにはまだ何かある! 


 遠くから見ていてずっと感じる違和感。急くように細やかに観察していく内に、その原因を竜の体の一部に見つけ出す。


 なんだあれ。


 違和感の先。

 竜の脚の筋肉がみるみるうちに膨張していっているのが見えた。


「待て!! 行っちゃ駄目だ!!」


 思い切り叫ぶ。だが、気付くにはあまりに遅すぎた。

 ケンジロウの攻撃を受ける直前、竜は口内へ溜めていた業炎の光を自ら噛み砕くようにいきなり口を閉じた。鋭い牙がガチリと重なりあい、耳をつんざく金属のような音を放つ。口の端からは業炎が漏れ出し、禍々しさを強調させる。


「な……っ……!?」


 もしも竜に表情というものがあるのであればその瞬間、確実に笑っていたに違いない。竜は閉じた口をそのままに、先程ケンジロウがそうして見せたように力を込めた脚で地面を蹴り飛ばす。物理的に見ても有り得ない初速と加速。ロケットを思わせる巨体がゼロ距離でケンジロウに激突する。鈍い激突音と共に、トマトを握り潰した時のように肉が潰れる音が辺りに響き渡る。二十トンあるトレーラーに轢かれてもそうはならないだろうという衝撃が、風圧となって遠くにいたはずの俺の全身を穿つ。


「そんな……」


 紙吹雪を思わせる大量の血が雨となって空から降り注ぐ。天から地へと。まるでボールのように軽々しく跳ねたケンジロウの体はもう既に歪な形へと成り下がっていた。自慢の長刀は半分に折れ、それぞれが離れた地面へ深々と突き刺さる。


 なんだよそれ。


 なんなんだよ。


 なんでこんなことになっているんだ。


 どうして……ケンジロウが……。


 どうして!!!



「ああああああああああああ!!!!!!!!」



 逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ!


 今すぐ宴華の手を引いて、あいつがいないところへ。どこか遠くへ。どれだけ惨めで不格好でも構わない。誰が好き好んで潰された果実にならなくてはいけないのだ。


 早く、今すぐ、何よりも、真っ先に、後ろを、向いて、宴華の手を。


 獲物を失った竜は新たな獲物を屠殺するために俺を睨みつける。その目に睨まれただけで、再び体は金縛りにあったように動かなくなってしまう。逃げられない。逃げられるわけがない。自分の脚がもう存在しているのかすら分からない。感覚が無い。


 それでも心臓だけは皮膚を破りそうなくらいに脈動し、耳と直結されているんじゃないかと思うほどにうるさく反響する。やっぱりだ。やっぱりあいつは格が違う。強さだけじゃない、プレイヤーを騙す狡猾さだって持っている。この場に立っているだけで、過呼吸に思えるほど自然と息が荒くなっていくのが分かった。

 

 死にたくない。

 

 燃える街の熱気を吸い込み喉がひりつく。例えゲームだろうが、例え拠点から再スタートされようが。安楽死なら兎も角、激痛を伴う臨死体験。そんなのはまっぴらごめんだ。

 

 死にたくない! 死にたくない! 死にたくない!


「マオさん」


 ふと手に暖かな感触が宿る。緊張に強張る俺の手を優しく包んだのは宴華の柔らかな手。その白い手には鮮血が大小様々に浮き出ては指先を伝い、地面へと流れ落ちる。白い紙に赤い絵の具を垂らしただけのようなアンバランスさに俺の心も平衡を失いかけるが。


「一緒に戦いましょう!」 


 そのたった一言で僅かな火に着火剤が焼べられたように心が燃え滾っていく。バラバラになりそうな心を繋ぎ止めてくれた宴華の手。

 俺にはケンジロウ程の速さも強さも無いし、宴華のような芯の強さだって無い。


 無い?


 いや、あるじゃないか。


 俺は目の前にいてくれる彼女を守る。痛々しく彩られた赤の装飾をこれ以上増やさせるわけにはいかない。デーモンの時のように、何とかやれるはずだ。考えろ。頭を使え。きっと倒せない相手じゃない。相手が狡猾さを持っているのなら俺はそれ以上の狡猾さを持てば良いだけの話だ。


 自分に言い聞かせろ。


 分かるまで何度も何度も繰り返し。


 俺は竜よりも何よりもきっと強い。


 多分強い。

 

 絶対に強い。


 何故なら俺はこの世界を統べることの出来る、ただ一人の存在としてここに在る。魔を統べ、人を治める。誰よりも強く、誰よりも優しい存在。正義だろうが、悪だろうが、それこそが俺の目指す王の在り方――。



 まずはその第一歩。


 

 目の前の(コイツ)を倒し。


 

 この世界の真の王になってやる。






 途端、頬に柔らかく湿った感触を感じた。あまりにも一瞬のことで何が起きたのか理解が追いつかない。急いで頬に手を当てるが何もない。感じるのはじんわりと熱くなった自分の体温。そして宴華の唇から伸びる炎に照らされて光る糸。視線が触れ合う。


「顔が怖いですよ。大丈夫、二人なら絶対に勝てます!」


 宴華が頬を赤らめながらそう言って、はにかんだ笑みを浮かべる。


 ――あぁ、助ようといくら思っても、実際はいつも彼女に助けられてばかりだ。

 俺はズルいのかもしれない。宴華は行動や言葉で示してくれる。でも俺は照れくさくて中々口に出すことが出来ない。俺が思いを伝えるようになるのはもう少し先になるだろう。今はせめてもと、心の中だけで唱える。

 今度こそは俺が宴華を助けるから。俺が宴華の支えになるから。


 だからいつまでも、この先何があろうと側にいてくれ、と。


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