教訓1、喋るときはゆっくり丁寧に
コツン、コツン、コツン
大柄な男に先導され、俺は石造りの宮殿内を見渡しながら歩く。
壁にはアーチ状の窓や扉が並び、振り返ると大きな入口から青空を見ることができる。
どうやらここは宮殿のエントランスのようで、この場所だけでも東京ドーム1個分くらいはあるだろうか、とても大きい。
(まぁ、東京ドームに行ったことないから、大きさなんて知らないんだけどな)
心の中で自分にツッコミを入れながら再び前を向く。
グレーの石が敷き詰めらた床の上には、白色の像や柱が等間隔で並んでいる。
そして、これだけ広い空間なのにも関わらず俺たち以外の姿はなかった。
コツン、コツン、コツン
閑散とした宮殿内に俺たちの足音だけ響き、歩くたびにこれからの期待や不安が少しずつ、少しずつと募っていく。
俺は気を紛らわすように、柱をたどって天井を見上げる。
(なんだ、あれは)
そこには一面真っ黒な天井には金色の紋様が描かれていた。
普段ならすごいなーと小学生並みの感想を口にするのだが、高く遠くある天井になぜか今にも押し潰されそうな感覚を覚える。
…………
「どうした?」
「えっ」
気付くと、俺は顔を上げたまま足を止めていたようで、先導していた男に声をかけられていた。
「国王が待っているんだ、さっさとついて来い」
「あぁ悪い、今行く」
浮んでいた額の汗を拭い、俺は駆け足で男の元へと向かう。
突然だが、俺の名前は佐茂夜月。
来月から大学生になるはずだったが、異世界へと召喚されて、今はこのエレミア国の宮殿の中にいる。
~~~~~~~~~~~~
それは、今より3時間前のことだった。
大学受験を終えた俺は、ゲームを片手に自分の部屋でネットの動画を見ていた。
「このモンスターは二ターンごとに回復しようとするので、1ターン目はガードし、3ターン目には攻撃力を上げて……」
(なるほど、こう倒すのか)
ポチポチ
俺が見ていたのは、ゲーム『バスタークエスト』の攻略動画である。
『バスタークエスト』とはモンスターを倒したり、敵のアジトなどを壊していくゲームだ。
強力な魔法や武器などで敵を一掃する爽快感が売りということで、大学受験のストレスを発散するために中古のものを買ってきたのだが……
ポチッ
(あっボタン間違えた、ヤバい攻撃耐えられた、まぁどうせ回復だろ……ってダメージ反射! なにそれ知らない……うあぁぁぁ)
このゲームの難易度は『イージー』、『ノーマル』、『ハード』、『逆バスター』の4つなのだが、爽快に敵を倒せるのは『イージー』だけで他はすべて難しいのである。
そして俺は一番難しい『逆バスター』の攻略動画を見ながらゲームをしていた。
それでも、現在のターン数を勘違いしてボタンを押したり、運の要素によって中々クリアすることが出来ずにいたのだ。
「はぁー、だめだー」
画面に映る見慣れたゲームオーバーの文字にため息をつく。
そして、俺がゲームをやり直そうと電源ボタンに指ををかけた。
「い…………も…よ」
そのとき、動画内の声とは別に、声のようなものが聞こえた。
俺は不思議に思ったが、ただのノイズだと思い、ゲームを再開する。
しかし。
「いせ……の……よ」
また同じような音が耳に伝わる。
今度は音の正体が誰かの声だということが分ったので、ヘッドフォンを頭から外した。
(親か? それとも外の声か)
そう考え、椅子から立ち上がり窓の方へと歩く。
カーテンを開くと、すでに日は昇っていて、眩しさをこらえて外を見るが人影はない。
耳を澄ましても部屋に響くのはパソコンのモーター音とエアコンによる風の音だけだった。
(……やっぱり気のせいか? まぁいいや、もう一回ゲームでも――)
「異世界の者よ!」
「うわぁ!」
いきなりの声に俺は思わず声を上げる。
聞こえた声は厳格そうな、男の低い声だった。
その声はまるでヘッドフォンのように直接耳へと入る。
「なんだこの声、どこから」
「おっ、やっと応答がありましたね」
混乱した俺の声に、さっきとは違い、明るい少年の声が返ってきた。
「誰だ! どこにいる!」
もう一度、辺りを確認しながら俺は問いかける。
だが、そこには誰の姿もなかった。
「これは失礼いたしました。わたくしエレミア国で召喚士をしています。アゼツと申します」
「エレミア? 召喚士? 何のこと――」
「すいません、そろそろ召喚するので、あと40秒で支度してください」
ガチャン
「おいっ、ちょっと待て、おーい」
「…………」
電話の通話が切れたような音が聞こえ、慌てて返事求めたが、一切返ってなかった。
(なんだよ召喚って、ファンタジーじゃあるまいし)
……
(きっとゲームのやりすぎで幻聴が聞こえただけだよな)
……
(確か40秒って言ってたよな)
……
「まさか……な」
と言いながら俺はベットの上の目覚まし時計を見る。時刻は午前9時59分で、カチッという音とともに秒針がちょうど真下を指した。
「召喚まで残り30秒です」
今度が耳に届いたのはロボットのような声だった。
俺は自分の服装を見る。
いや、服装というには肌が露出しすぎていて……
簡単に説明するなら腰にタオルを巻いているだけだった。
…………
ダッダッダ
パソコンの横に置いたスマートフォンを取りながら、俺は部屋の扉を開ける。
「寒っぶ」
3月の朝方の廊下は半裸の体から容赦なく熱を奪っていく。
それでも俺は階段を3段飛ばしで降りる。
そして衣装タンスの置いてあるリビングの扉を開ける。
幸いこの格好でも、妹は学校、両親は一昨日から三泊四日の旅行中で家にはいないから大丈夫だ。
リビングの扉を開けると、暖かい風が流れ込む。
「ふー、助かった」
いろんな意味で安堵した俺は疑問を感じる。
(あれ? でもなんで暖房が効いているんだ)
「アニキさっきからうるさ……」
そこに居たのは朝食を食べている妹の姿があった。
(やばい、今日は土曜日だから妹も家にいるんだ)
気づいた時にはもう遅く妹は振り返ってしまっていた。
妹は俺の格好を見るなり、ため息をつき、眉間にしわを寄せる。
「ちょっとアニキ! ちゃんと着替えてからリビングに来てよ」
「悪い悪い、服を部屋に持って来るのを忘れてな」
「もー、これで何回目だと思ってるの、パンが不味くなるじゃん」
「なっ、そこまで言わなくても――」
「召喚まで残り15秒」
「ってそんなこと言ってる場合じゃない」
変態確定時刻を思い出し俺は急いでタオルをほどいてリビングのタンスの引き出しを開け、下着とシャツを取り、それを着る。
「ちょっと、ここで着替えないでよ」
「うるさい、早く着替えないと俺のファンタジーライフが終わってしまう」
そう言いながら洋服のタンスを開けようとする。
ガタガタガタ
しかし、中が引っかかっていて開かない。
「やばい、ヤバい、ヤバイどうすれば」
「兄貴がヤバイなんて、今さらでしょ」
「……」
妹の言葉のナイフが突き刺さり言葉も詰まる。
そしてタンスの中も詰まっているようでなかなか開かない。
「残り10秒」
「そうだ床に畳まれた服があるはず!」
両親が旅行中の間、洗濯物は俺たちがやっていたのだが、いちいちタンスに戻すのが面倒だったのでタンスの横に置きっぱなしだったのだ。
俺は畳まれた衣服山を見つけて漁る。
「あれ、ズボン、ズボンーっとあった!」
やっと、床に畳まれていたズボンを見つけその輪っかに足を通す。
それはふくらはぎを通り……
「ちょっとアニキ!」
「ん、どうした?」
太ももを通る……
「それ私のズボンじゃん」
「えっ」
はずだった。
引っ張りあげたズボンは僕の太ももを飲み込めないでいた。
ズボンはミシミシと音をたてる。
「早く脱いでよ、ズボン壊れちゃうから!」
と妹の焦った声が響く。
………
(どうする、どうする、俺)
慌てて解決案を考え、瞬時に2つの方法を思いついた。
1つ目の選択肢は、残り5秒でズボンを探して履くこと。
正直、残りの時間では無理と思われる。
(ていうか俺、自分の洗濯が面倒くさいから、ずっとパジャマで生活していたんだった)
つまり、俺のズボンはすべてタンスの中でパジャマも自分の部屋の中なので間に合わないだろう。
2つ目の選択肢は、このまま妹のズボンを履いていくこと。
正直このズボンはジーンズのような硬い素材ではないので、ズボンのボタンとチャックを開ければ多少パンツは見えてもなんとかなると思われる。
(よし、それなら)
そう思い指先に力を入れる。
ミシミシ
…………
「残り5秒」
そうだ、異世界に行くのだ。俺は最強を、ハーレムを、そしてハッピーエンドを目指したい。
……
そのために、このズボンは俺のパンツ……いや、誇りを守るために必要なものなんだ。
……
だから
……
(だから、すまない妹よ)
顔を上げて妹を見る。
…………
妹は涙目になっていた。
「4」
俺はズボンにかける力を緩めた。
……果たして、それで良いのだろうか?
誇りとはそこまで大事なものなのか?
それは妹、家族より大事なものなのだろうか?
それは家族を悲しませてまで貫くものなのか?
もし、すべてを終えてここに帰ってきたとき、妹が俺のことを嫌っていたら、それはハッピーエンドではないのではないか?
それなら……
「それなら選択は決まっているだろう!」
俺はそう言いながら意を決してズボンを手にかけ、
それを下ろした。
「3」
「妹よ」
「……」
妹の冷たい視線が突き刺さる。
それでも俺その目に臆することなく妹を見つめ、短い時間で妹に思いを伝える。
「兄さんはもしかすると、どこか別の世界で変態と呼ばれるかもしれない」
そしてスマホとタオルを拾い上げ、タオルを再び腰に巻く。
「2」
「でも、それは自分の信念を貫いた結果だということを」
「1」
「お前には知っていて欲しいんだ」
「アニキ……」
俺を見る妹の冷たい目が普通の目に戻る。
どうやら、俺の素晴らしい演説が彼女の胸に届いたようだ。
「0」
そしてタイムアップ。
これで兄としての威厳も保たれて――
「ごめん、早口すぎて聞き取れなかった」
「……」
妹の言葉と共に俺の足元が光り、魔法陣が開く。
(耳にすら届いてなかったかー)
そんなことを考えながら俺はその中に吸い込まれていった。
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