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チェス盤

出産率の低下による少子化と医療技術の発達による後期高齢者の増加が加速し、日本は深刻な労働者不足に陥っていた。とりわけ、医療に関しては深刻で医者が増えないにもかかわらず、等加速的に患者の数が増えていった。

そこで急務となったのが、より優秀な人材を育て上げること。かねてより遺伝子ゲノム分野は注目されており、ある一人の天才科学者が子供の遺伝子とその他膨大なデータ(ビッグデータ)を用いて、その後ほぼ全てのその人物の人生を予測することのできるシステムを開発したことにより、”教育強化”を掲げていた日本でもよりよい遺伝子との交配が望まれるようになった。

そんな教育とは名ばかりになり、実際はその家系、血、遺伝子が全てと言われるこの時代にある教育機関とはつまりよりよい遺伝子との交配を可能にするための場所でしかない。

そんな教育機関の一つ、国立トウキョウ第一高校の学び舎では今日もよりよい遺伝子(アオスゲツァイヒゲノム)を持つ奴が注目され、俺のようなその他雑種は見向きもされないという状況が生まれていた。

例に洩れず、そんな陰鬱な小社会が形成されつつある俺のクラス1年B組では”純色持ち”のクラスメイトが女子生徒をはべらせ、迷惑極まりない会話を繰り広げていた。

「橙散くん家って、あの橙散銀行なんでしょー?」

「あ?そうだけど。なに?」

「キャー!すごぃ!じゃあ、橙散くんの遺伝子すっごいんだねぇ~」

「なに、そんなに俺との子供欲しいの?昼休みなら付き合ってやるよ。」

「わー!羨ましいー!私もお願いしたいな~♡」

見事なオレンジ色の髪を後ろに撫でつけ、朝っぱらから端から聞いたら目を背けたくなるような会話を繰り広げているのが、橙の名を冠する遺伝子レベルAAランクを誇る橙散颯斗とうばらはやとだ。

遺伝子レベルはFを最低、SSSを最高とする11段階により等級分けされ、生涯付きまとうその人の価値を表すレッテルとなる。なお、現在確認されているSランクは10人、SSランクは4人しかおらず、SSSランクに至っては1人のみだ。また、現人口の約7割がF、E、Dで、残りの9割がC、B、Aに分類される。つまり、AA以上のランクはこの遺伝子至上社会において特権階級に位置するのだ。

そもそもこの学校自体がAランク以上の遺伝子を持つ子供たちの集まりであり、ここに籍を置くこと自体この社会での勝ち組であることは変わらないのだが、特権階級の遺伝子ともなると特別らしく、それを持つ橙散は異常にモテる。

そんな橙散のグループの喧噪を遠くから眺めているとそれに気づいたらしい橙散は俺を見て言った。

「お、黒崎クンじゃーん!今日も真っ黒で全然気づかなかったわー。不相応にも白鳥さんに近づきすぎて影にでもなっちゃったんじゃない?」

遺伝子の重要性が認められてからというもの、上流階級の人々は特定のよい遺伝子との交配を重ねた結果、日本人特有の元来の髪色から少しずつ変化し、現在生まれてくる子供は多種多様な髪色を持つようになった。そんな交配の結果、ほとんどの場合遺伝子のレベル=髪色の純度で決まるようになり、俺のような日本人元来の黒色というのは最も遺伝子レベルの低い者と位置付けられるようになっている。橙散は純度の高い綺麗なオレンジ色を持ち、俺のような雑種は黒や茶髪になりやすい。

特に黒色の髪を持ちながら敷居の高いこの学校に入学し、同じ机で勉強することが橙散の神経を逆なでするようだ。また、必要以上に絡んでくるのはさっきの橙散の言葉にも出てきた白鳥さんという存在と俺との関係にあるのだろうが…

「黒いのは生まれ付きだ。白鳥さんはお前には関係ないだろ。」

「んだとコラァ!!スタグネントカラー(淀んだ色)が調子に乗りやがって!」

「別に調子に乗ってはないだろ。少し静かにしてくれないか。朝から盛っている君とは違って俺は次の授業の予習で忙しいんだ。」

「あ゛?舐めてんのか?」

逆情したらしい橙散は俺の胸ぐらを掴んで立たせた。

「特例だかなんだか知らねえが、お前みたいな下等な存在がこの教室にいることが気にくわねえんだよ!!」

そう言うと、橙散は俺の体を突き飛ばし、教室から出て行ってしまった。突き飛ばされた俺は無様にも自分の椅子と机を巻き込み、教室の床に転がる。女子生徒の忍び笑う声が俺の背中に刺さる。

しかし、昔からこのような扱いを受けることには慣れていた。この黒い髪を持って生まれた段階で俺の社会的扱いというものはこんなものだ。


第一高校の敷地の中央に不自然なまでに巨大に作られた温室庭園には、様々な植物が植えられ、数々の彫刻や噴水が見目麗しい空間を演出していた。しかし、この温室庭園に来る者はごく限られた人間だけだった。昼休みになって授業から解放された俺はいつものようにその温室庭園へと出向く。そこには生徒たちの姿はなく、白い制服を着た数名の従者と彼らの主人。白い少女。

「あ~、またクロちゃんいじめられたの~?」

「いじめられたわけじゃないさ、ちょっとクラスメイトと戯れてただけだよ。」

そう言って俺の額にできた傷を撫でているのが、髪、肌、瞳。その全てが透き通るように白いアルビノ種。この社会唯一のSSSランクにして頂点。白鳥桐花。

「ダメだよ~。クロちゃんはボクのモノなんだから、勝手に壊れちゃ。ボク怒っちゃうよ。」

「物じゃないんだから、こんなことじゃ俺は壊れないよ。」

「いやいや、クロちゃんはボクの物だよ。クロちゃんだってわかってるでしょ?」

あまりに純粋に、あまりに当たり前に人を物と言い張る。もはや驚きも嫌悪もない。そんなことには慣れてしまった。

「そうだね。俺は桐花の物だ。」

「わかればよろしぃ!」

桐花は満面の笑みで、邪気の一切ない純粋な笑顔を見せる。普通の人ならまず間違いなく身震いし、関わらないあり方。普通の精神であれば泣いて逃げ出す恐ろしさを兼ね備えながら、人間社会の複雑な事情など知らぬ存ぜぬを通す純粋種。存在自体が暴力のような存在。それが彼女、白鳥桐花だ。

「じゃあ、今日もやろっかぁ♪」

整いすぎた身体に透き通るような白い肌、白い髪、ガラス玉のような瞳に蠱惑的な笑みを浮かべながら桐花は温室の中央にしつらえた机の上のチェス盤を指す。

「わかった。」

「で、今日はなにが欲しいの?」

「橙散の免罪だ。」

「えー!せっかくボクがクロちゃんのためにって思ってやってあげようとしたことを止めようとするのぉ??」

「桐花。別に俺は頼んでないし、橙散のことはなんとも思っていない。だからこそ、そういうのはいらない。」

「まったく、クロちゃんは甘すぎるんだよなぁ~」

「桐花は俺に甘すぎるんだ。」

そう言いながら、俺は黒のナイトを動かす。

「そうだよぉ!ボクはクロちゃんを愛しているからねっ!」

そう言って、桐花は白のナイトを動かす。


「また負けたぁーあー!!」

「ははは。じゃあ、橙散のことは見逃してくれよ。」

「ん?橙散?誰それ?」

「はぁ、桐花がちょっかいかけようとしてたやつだよ。俺を突き飛ばした所為で。」

「ああ、あのオレンジね。はいはーい。約束だもんね。」

桐花は、本当になんの興味もないどうでもいいことのように言う。一度見たもの聞いたものは忘れないはずだが、自分の興味外のことにはとことん無頓着なんだよな。だいたいそんなことで周りの奴らがポンポン消されていったらたまらん。

「ボク、今まで誰かに負けたことなかったけど、なんでクロちゃんには勝てないんだろー?不思議だなー。面白いなー。」

駒をどかした大理石製のチェス盤に突っ伏し、駒をいじりながら桐花は心底楽しそうにニヤニヤしていた。

「桐花の打ち方は完璧すぎるんだよ。無駄がない。迷いがない。完璧な手しか打たないからそこに付け入る隙がある。これは人と人のゲームだからね。」

「んー、わっかんないー!クロちゃんさすがだなぁ~。ボクを負かすんだもんなぁ~。愛してるるう~っ!」

歌うように愛していると言われても困ったものだ。しかも、桐花が愛しているのは俺という人間ではない。チェスで自分を負かす存在だろう。人類至上最高ランクの遺伝子を持ち、その能力はオールラウンドで最高のパフォーマンスを発揮する彼女には、すべからく何事にも敗北を知らず、そもそも知らないことを知らない本物のバケモノだ。彼女に匹敵するのはせいぜい青山、赤土、緑川の3原の色を持つ家の直系と、別ベクトルではあるが最強の身体能力を持つ黄海のみだろう。各家の直系である現当主たちがSSSに次ぐSSランクの遺伝子を持つ者達である。

そんな彼女には張り合いなどというものがないのだろう。楽しませてくれる相手がいない。敵がいない。味方も必要ない。そういう生き物だ。それが彼女のとって幸せかどうかはわからないが。

そんな同じ目線で語ることのできない彼女と俺の関係でただ一つ分かっていることがある。この関係を維持するには俺は決して彼女を飽きさせてはいけないということ。殊更現在はチェスにおいての敗北は許されないということだ。また、俺自身彼女に見捨てられてはならない。いや、見捨てられたくないと思っている以上彼女を飽きさせないという条件は俺にとっての至上命題でもある。


ゲームが終了し、桐花と紅茶を飲みながら軽い雑談をしていると午後の授業の予鈴が鳴った。

「それじゃあ、桐花。俺は授業に戻るよ。」

「え~!つまんないー!いいじゃん!もう少しいよーよー!」

「すまないが、俺は桐花と違ってなんでもできるわけじゃないんだ。一つ授業を休んだだけでも次のテストが大変なことになる。」

チェスを打ちながら軽い昼食は取っていたので、あとは授業に遅れずに出席するだけだ。

「あ、そうだ桐花。このスプーン借りて行っていい?」

「ブーブー…別にいいけど、なにに使うの?」

「まー、保険みたいなものだよ。」

そう言ってふくれっ面の桐花を残し、温室庭園から立ち去る。

この学校の校舎は四角く中庭を囲むようにできており、中庭からは東側と西側にそれぞれ出入り口が存在する。この2つある校舎入り口の次の授業の教室が近い東側へと急ぎ足で向かっていると、唐突に視界を塞ぐように3人組の男子生徒が立ちふさがった。

「黒崎クーン。ちょっといいカナー?」

オレンジ色の髪を撫で付けながら、橙散とその取り巻きたちが絡んでくる。

「悪いが、もうすぐ授業なんでね。お前らも早く戻った方がいいんじゃないか?」

ドンッ! 橙散は壁を蹴り飛ばした。

「授業なんてどぉでもいいんだよ!!お前が白の庭園(ホワイトガーデン)に居たことはわかってるんだ!今朝言ったよなぁ!!お前が気にくわないってなぁ!!」

橙散は吐き捨てるように怒鳴りつけると、あらかじめ示し合わせていたのか、両隣の取り巻きが俺を取り押さえに入る。相手は3人、橙散は黄色系統を色濃く持つオレンジ色で、取り巻き2人も発色は悪いがオレンジ系統。大方、橙散の分家の子供だろう。黄色系の色は身体能力に大きく秀でることが多い。3人を相手にするのは非常にまずいので、ひとまず逃げる。

「おい!コラ待て!!」

当たり前だが、取り巻き2人が追いかけてきた。橙散はこのあとゆっくりいたぶれるのを確信しているのか、のんびりと歩いている。このまま逃げては後日また同じことの繰り返しだろう。そんなことを考えながらあたりを見回し、校舎と倉庫との間の人一人が通れるぐらいの細い路地を見つけ、必死に逃げ惑うフリをし、転けたように見せかけ、左手に軽い土を握ると、一目散にその路地へと入る。

「必死だねぇ!黒崎クーン! お前ら、行け。」

まるで悪役みたいな笑い声をあげながら強者の余裕を見せている橙散は、取り巻き2人に命じ細い路地へと俺を捕らえに向かわせる。

ここまでは、想定通り。自ら来るのではなく、取り巻きに捕まえさせてから楽しもうという腹だ。俺は、ちょうど橙散からは見えにくいところまで逃げたところで逃走をやめ、一気に身体を180度回転させると、先んじて追いかけてきた取り巻きの1人の顔面に先ほど掴んでいた土を投げた。

「クッソ!目がっ!」

目潰しを食らって反応が悪くなっているそいつの顔面に軽いジャブを食らわし、のけぞったところで股間を蹴り上げる。大きな怪我を負わせず、純粋な身体能力で負けている可能性のある相手には手早く急所を打ち込み、行動不能にするのが一番だ。純粋な力と忍耐の勝負は観客の前だけでいい。本来戦闘とは、いかに素早く先手を取り、相手を行動不能にするかが鍵だ。

まず1人倒し、追って来た2人目が驚いて固まっているところに素早く懐に潜り込み、今度は鳩尾に拳を入れる。前に屈み込み、一瞬呼吸が困難になり立てなおそうと1歩引こうとしたところに今度は頭を掴んで膝を入れる。鼻の骨を折ることになってしまったのは申し訳ないが、自業自得としてもらおう。この時彼の鼻血をわずかばかり先ほど桐花にもらったスプーンに塗っておく。

先ほどから橙散の取り巻き2人が発したうめき声や悲鳴を俺のものだと勘違いしたのか、

「おい゛!おまえら!俺が直々にいたぶるんだから、とっとと連れてこい!」

などと、橙散は路地に向かい声を張る。

「おい!早くしろって・・・」

しびれを切らしたのか、橙散は路地に入ってくる。

方や地面にうつぶせで倒れ、方や鼻から血を流し、制服を血で染めている取り巻き2人がいる。

「おまえら・・・」

取り巻きの現状を知り、顔を真っ赤にした橙散はひたと俺を見据え、

「殺゛す!!」

そう叫ぶと、一目散に殴りかかってきた。常人ではあり得ないほどの跳躍力を横のベクトルへ向け、弾丸のような速度で突っ込んでくる橙散に対し、取り巻きの1人を盾にする。

「クソ野郎がぁ!!」

さすがに仲間を盾にされ、橙散は自分の勢いを殺そうとするが、間に合わず接触の瞬間、盾にしていた取り巻きを突き飛ばしてやる。橙散が取り巻きを抱えて倒れこんだところにマウントを取り、血の付いたスプーンを首筋へあてがう。

「あんまり、うるさいと殺すよ?」

頭に血が上っている状況といえど、頸動脈にナイフが突きつけられていると思えば微動だにしないのが当然の反応だ。

「くっ・・・」

橙散は目前に迫る死の恐怖に冷や汗を流し、唾を飲み下す。身体は軽く痙攣し、呼吸が浅い。

「まったく迷惑なものだ。今後はもう絡むのはやめてもらえないかな。桐花をなだめるのも大変なんだよ。」

「・・・殺す」

この状況でまだ反抗心を捨てないのは見事なものだ。

「また来られても困るしな。ここで君とはお別れだ。」

そう言うと、首筋にあてがってあったスプーンを素早く引く。

肌と金属との摩擦、血のぬるっとした感覚、殺すことを匂わす態度。これらが、橙散にナイフで首を切られたことを認識させる。

昔、とある死刑囚が目隠しをされ、手首に金属を当てられ、そこに水を垂らし続けた結果、数時間後に死亡したという実験があった。その死刑囚は一滴も血を失うことなく、大量出血を幻覚させられ、死亡したのだ。人の認識とはそれだけで、人を殺す。

スプーンを引いた瞬間、橙散は失神した。



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