第二章 「チュートリアル」
「ここは?」
目を覚ますと自分が今いる場所は夢屋ではなく、全く違う場所のようだ。
長く続く煉瓦作りの街道、その両側に青々とした草原が地平線の彼方まで続いている。
空を見上げれば、太陽がさんさんと輝く、快晴の青空だった。
風は緩やかに吹いて、心地が良い。
「何が起こったのか分からないけど、気持ちがいいしなぁ。…少しくらい、いいだろ…」
背伸びをして、彼が煉瓦の道に横になろうとしたその時。
背後から轟音が響き渡った。
恐る恐る振り返ると、
「ぐおおおおおおおおおおっ‼︎」
黒く、禍々しいオーラを纏った四本足の猛獣がそこにいた。
「な…に…」
彼は腰が抜け、その場にへたり込んでしまう。
当然だろう。
誰だって自分の背後に突然、猛獣が現れたら腰を抜かすはずだ。
それに加え、彼はこんなことに慣れている人間ではなく、ただの高校生だ。
腰が抜けてしまっても仕方がない。
刹那、彼の脳裏に声が響いた。
『夢の中には入れましたか?』
聞き覚えのある声だ。
一瞬誰だろうと考えると、
「ドリーマー…?」
『はい、そうです』
思いついた名を口にすると返事が返ってきた。
『では、簡単に説明致しましょう』
ドリーマーの声を聞きながら、彼はジリジリと猛獣を刺激しないように少しずつ後退して行く。
『先ず、この「夢」の名は「ロード」。…この夢の目的は街道を走り切り、最終目的地である街に辿り着くこと。…一見簡単そうに思えますが…』
「ぐおおおおおおおおおおっ‼︎」
天高く咆哮する猛獣の轟音が鼓膜を叩く。
『その猛獣に最終目的地までに触れられると、ゲームオーバーとなり、強制終了となります。…なお、その猛獣はまだ初期段階。…あと、四段階進化し、最後には…』
新崎の目と猛獣の紅き眼が合わさる。
『実体がなくなり、最高速度となって貴方を追い詰めるでしょう』
その言葉を合図に猛獣が地響きを起こしながら襲いかかってきた。
「っ…⁉︎」
彼は全力で身体を起こして踵を返し、最初から疾走した。
『では、ご武運を』
脳裏で響くドリーマーの声が消えた。
だが、そんなモノに構っている暇はない。
全力で走って、距離を開けなければ、あの猛獣が四段階目の進化に突入した時、自分は即、ゲームオーバーになってしまうだろう。
「っ…うおおおおおおおっ!」
絶叫しながら、自分が出せる全ての力を脚力に変えて走る。
だが、振り返ると、
「ぐおおおおおおおおおおっ‼︎」
もう変化したのか、雷獣のように額から角を生やし、雷電を纏いながら疾駆する猛獣が、少しずつ距離を詰めてきていた。
「く…そっ…⁉︎」
あと、もう一段階進化したら、猛獣と並んでしまうだろう。
そうなったら一貫の終わりだ。
ーーーどうすればいい⁉︎…考えるんだ!
一瞬、石か何か猛獣の視覚を遮るものがあったらと考えたがそんなもの、何処にもない。
そして、……背後から至近距離で風を切り裂く音がした。
振り返ると……猛獣がその鉤爪を振り下ろしていた。
彼は眼を閉じて必死に走る。
だが、距離は変わらない。
振り下ろされようとする鉤爪の速度もリーチも変わらない。
ーーー嫌だ。……こんなので終わりなんて嫌だ!…僕はまだ何も…。
「ちくしょォォおおおおおおおっ‼︎」
諦め掛けたその刹那、世界が時を止めた。
「えっ?」
凶器が振り下ろされ、ゲームオーバーになるはずだった新崎がまだ、この世にいるのは何故なのか?
風は吹かず、猛獣の咆哮も聞こえない。
不思議に思った彼は走るのをやめて、もう一度振り返ると。
銅像のように鉤爪を振り下ろす状態で固まった猛獣がそこにいた。
「っ…⁉︎」
猛獣の眼はまるで獲物を狙うかのようにギラギラと輝いている。
いや、実際に新崎は獲物なのだが。
だが、疑問がある。
何故、急に時が止まったのか。
「……でも、なんで急に動かなく…」
『……その「能力記憶」について、説明をするために、私が干渉致しました』
「…ドリーマー!」
その疑問は直ぐに解決された。
確かに夢屋を営んでいるドリーマーが夢に干渉して、その時を止めることなど容易いことなのだろう。
「ありがとう…!」
『ふふっ…なんのことやら』
新崎の言葉が届いたのか、小さく笑ってそう戯けてみせた。
そして、ドリーマーは本題に入る。
『先ず、その能力記憶に触れてください』
彼はドリーマーの言うとおりにすると、バーコードが燃えるように光り輝き、
「lode of accele 5」
との英単語と数字が出現した。
「ロードオブアクセル…5?…何だこれ…?」
『それはこの世界で会得した貴方の能力。…発声するだけでその能力が発動します。…そして、その隣の数字は使用上限を示しており、また、それがゼロになると使用できなくなりますので、ご注意を』
とドリーマーは言う。
つまり、
「へへっ、……制限付きだけど、この世界では僕、能力者なんだな」
新崎は立ち上がり、ドリーマーに告げる。
「大丈夫。…もう行けます」
『分かりました。…しかし、能力の過信だけはしないでくださいね』
「はい、分かってます」
『では、再度ご武運を』
その言葉を合図に時が動き始めた。
「ぐおおおおおおおおおおっ‼︎」
猛然と振り下ろされる鉤爪に少し怯むが彼は自分の能力を声を限りに叫んだ。
「lode of accele!」
すると、全身が白銀に輝き、回避行動に転じた。
バシュンッ‼︎と音を立てつつ、50m程後ろに高速移動する。
着地点がその熱で黒く焼け焦げた。
そして、発声と共に表示されていた使用上限数が1減って4となった。
狙いを定めた獲物が急にその場から消えた事に猛獣は驚きを隠せないらしく、狼狽え、左右を首を振って彼を探している。
新崎はその隙に逃走する。
「よしっ……と、持続はホンの一瞬か…」
全身を包んでいた白銀の光は徐々に消えていく。
少し名残り惜しくもう一度使いたくなるが、使用上限は限られている。
先ほどのように危機的状況と言う訳でもないのに使用するのは後々後悔するだろう。
なりふり構わず使用するのは厳禁だ。
「先ずは距離を開けなきゃ。…まだあいつは後、三段階の進化が残ってる。…どうせなら、最終進化の時に能力を使用したい」
そう判断し、猛獣から逃げつつ、最終目的地を目指す。
そして、長いこと走り続けていると視界の彼方にぼんやりと灰色の小さなモノが見えた。
もしかしたら…。
「街…?…やった。……でも何で…」
彼はある疑問に気付いてしまった。
何故、ここまで来るのにあの猛獣が追って来ないのかと。
そう、新崎はこれまであの猛獣に追われてきた。
しかし、能力を発動して距離を開け、そのまま走ったのだが、それでも進化をすれば、追うことは可能なはずだ。
だが、何故…?
もしかして、諦めたのか?
違うだろう。
あの獲物を狙う眼からして必ず食いついてくるはずだ。
「……でも、何であいつは追ってこないんだ?」
そう呟いた直後、背後から黒い風が吹き荒れた。
ヒュオオオオオオオッ!と強い風の音が聞こえる。同時に何かを削るような連続的な音が聞こえ、違和感を覚えて振り返ると、天高く巻き起こる黒い竜巻が迫ってきていた。
「冗談…じゃない…ぞ…、それ…」
あれが通過した街道はボロボロに抉れ、煉瓦は粉砕され、原型をとどめていなかった。
自分もあれに一度でも巻き込まれたら、風に切り刻まれて一貫の終わりだろう。
それを考えると身震いがする。
新崎は危機感と恐怖に見舞われながらも、全力で走る。
もう振り返ってはならない。
いや、振り返れば一貫の終わり。
「はあっ…はあっ…!」
さっきまで息切れなんてしなかったのに、恐怖が原因で肺が圧迫されたのか、胸が物理的に苦しく息が勝手にもれてしまう。
「っ……⁉︎…げほっ…!」
新崎は風の引力で引っ張られ、足がもつれて、転んでしまった。
息が詰まり、咳が出る。
「げほっ、げほっ……く…もう一度、使う!」
ーーー前に…出るんだ!
彼は叫ぶ。
「lode of accele!」
カッ‼︎
全身が輝き、自ら白銀の光と化して風に飲み込まれる前に高速移動して態勢を立て直し、前方を睨むと、目測であと5km先の街の様相がはっきりと観えてきた。
風の音が遠く感じる。
難を逃れられたのだろうか?
そう思って、後ろを首だけ振り返り、見てみる。
直後、黒い竜巻が拡散し、内部にあったモノが巨大な闇の腕と化して、猛スピードで襲いかかってきた。
「嘘…だろ⁉︎」
全力で疾走してもこれだけ腕の速度が疾ければ、街に着く直前で追いつかれてしまう。
そう感じた彼は即座に思いついた考えを実行することにした。
だが、それはまだ可能かどうかを思案している状態であって、必ず成功するとは限らない…いわば、賭けのようなモノだった。
しかし、そんなことに悩んでいる暇はない。
彼は意を決して声を限りに叫んだ。
「lode of accele! three times release!」
能力の全解放。
全身から放たれる光は今までの倍以上に輝き、燃えるような熱を帯びてきている。
そして、加速を始めた。
「絶対………、逃げ切るっ‼︎」
全身が極光にさらされ、焼けるような分解されるような激痛を訴える中、彼は光速の三倍の速度で街の門へと突っ込む。
「……っ!」
声にならない叫びを上げながら、背後に迫り、その指先が新崎の身体に触れるほんの僅かな差で。
新崎は逃げ切った。
新崎を追っていた黒く巨大な腕はその門の奥にいる彼に触れようとしたが、まるでRPGによくある結界みたいなのモノに阻まれ、その場で爆散し、消滅した。
「はあ、はあ…」
肩で息をし、疲労で立ち上がれず、
「はあ…、もう、動けないや…ははっ…」
苦笑していると。
『お疲れさまです、新崎君』
不意にドリーマーの声が脳裏に響いた。
何故か、そのドリーマーの声を本当に久しぶりに聞いたような気がする。
「ははっ…もう、一年間の体力を使い切ったような感じだ…」
『ふふっ……これはチュートリアルですよ…。…次からはメインを実体験するんですから、こんなのまだまだ序章ですよ。…大丈夫ですか?』
ドリーマーのからかうようなそれでいて、優しさのこもった言葉に新崎は
「はい…、大丈夫です。…『夢』の恐怖も達成感も知ったから。…メインやってもきっと大丈夫!」
と天高く腕を掲げ、そう宣言した。
『そうですか……、では、「ロード」は終了です。…少々お待ちください』
ドリーマーのその声が聞こえて数秒後、右手の甲にあるバーコードが燃えるように紅く輝き、次の瞬間。
彼の視界は蒼く塗り潰された。