童貞をこじらせると紳士になる病気。
緩やかな昼下がり、俺は久方ぶりに清々しい空気を胸一杯に吸いお茶を飲む。
家の外に即席で作ったテーブルとベンチには適当とはいえ、力作な昼が並び、皆が一様に難しい面持ちで俺を伺っている。
「んー……普段不健全な生活をしているからこうしてゆっくりするのも本当にいいモンだ」
これは、本音である。
時間という人生資材を費やし、ネットゲームで経験値とプレイヤースキルに変換する一般人からみたら浪費という行為に真剣に勤しんでいれば。
――時折、こうして解放された時、清々しい気持ちになり、ほんのちょっぴり焦ったりする。
だが、こうした時間を楽しめないのも人生に彩りがなく無駄と思える。
そう、なぜならネットゲームも、人生も、楽しむためにあるのだから。
「……ちょ、師匠のイリア」
「なんでしょうか、ネル」
「師匠、なんかおかしくなったんじゃないッスか?」
「あなたも、そう思いますか?」
「なんつーか、師匠ってもっとギラギラしたオーラあったッスよねえ?なんというか、普通すぎんスけど」
「……言わんとしていることはよくわかります。一生懸命働き、こうしたのどかな昼下がりに昼食を拵え、ひとときの休息を取る。一見して普通の人と変わらない行動ですが、逆にそれが不自然ですね」
「……レジス達の格言に『童貞をこじらせると頭がおかしくなる』ってのがあるッス。きちんとヌイてあげてるッスか?」
「ぶふぅっ!」
チュートリアちゃんが盛大にお茶を吹き出し、咳き込んでむせる。
「な、な!なにを言ってるんですかっ!わ、わたしとマスターはそんなふしだらな関係には一度もなったことありませんっ!」
「戦場に身を置く男と一緒で手を出されないってのも女として何か終わってるッスけど、それも何かおかしいッスよ?男って溜まるだけ溜まると犯罪に走るって聞いたことがあるッス」
「じゃ……じゃあ、マスターが超絶犯罪者なのはひょっとして……私に魅力が無いから?ひょっとしてイリアの役目って……」
ひそひそと話しているツモリなのだろうが俺は優雅にお茶を啜ると、サンドイッチに手を伸ばす。
「君たち、食事中に下品な話はやめたまえ。品位を疑われてしまうよ?」
俺はどこか余裕すら感じさせる態度で彼女たちの下世話な鳥のような囀りをいさめると静かにサンドイッチを口に運ぶ。
んー、落ち着いて食べる食事とはかくも美味なるかな。
やはり、原住民族と侮辱したとはいえだ。
一つの一族を纏めているだけあってココとウィンミントは静かに食事を取る。
「……ココ、あなたは本気でこの男の支配下に入るのですか?」
「勝てぬ。聞けばプロフテリア騎士団のマーシー・セレスティアルすら下したと聞く。戦女神のレジアンが闘争の渦となるのであれば避けられようものか。なれば、ともに戦うしか未来は開けぬ」
「私には信じられません――あなたのと交誼もこれまで。私は一族を守る為に、去りましょう」
ウィンミントは静かにナプキンで口元を拭うと席を立つ。
そして、穏やかな笑顔の俺を睨みつけると告げた。
「……異世界からニ・ヴァルースの大地に来た英霊よ。あなたのもてなしには礼を言います。ですが、我らが同族を殺めた所業を私は許すことができません。そして、あなたが望む我が同胞の行く末も」
俺は静かにお茶の香りを楽しみ、目を細める。
おだやかな陽気にこのまま寝入ってしまいそうになる。
「杖と、霊衣を返還し、解放して下さることには謝辞を述べましょう。戦女神のレジアンが正しく、卑怯な振る舞いをされず、真っ向から我が部族と戦ってくれる。武人としての心がけは感服致します――ですが、決してエルフを軽んじないことです。我々の知恵は大いなる自然に堪え忍び、放つ矢は暗雲を貫く。あなたの奢りを打ち砕くでしょう」
「それは恐ろしい。私としては争うことなく、君たちと理解しあい、友人となれればと切に願うのだが運命がそれを許さぬというのであれば仕方がない。お帰りはあちらだ。森の中は危険が一杯だと聞いている。くれぐれもお気をつけて」
今の俺は紳士である。
「……師匠のイリア、師匠絶対童貞こじらせてるッスよ」
「や、やらせてあげた方がいいんでしょうか……私、今のマスターを見ていると何だか怖いです……なんだか、強姦された方がしっくりきます」
「君たち、淑女の居る前で下品な話はやめたまえ。紳士たる私が嫌がる婦女子を無理矢理になんて下品な真似をする訳がなかろう」
英国紳士には出会ったことはないが、きっとこんな感じだろう。
俺の中に溢れるジェントル力が発され、エルフの少女が小さく、一礼をする。
「……それでは、失礼致します」
背を向けて去るエルフの少女を見送り、俺は静かにティーカップを空にする。
そして、もしゃもしゃと最後のサンドウィッチを頬張り、物憂げな息を吐く。
「ふぅ……やはり、人間は自然体が一番だぬぅ」
俺の穏やかな笑顔に怪訝な瞳を浮かべる少女二人。
「あ、あの、マスター?あ、頭の方は大丈夫でしょうか?」
「ちょ!師匠のイリア!そんな直接的な聞き方はダメッスよ!」
「だって!だってだってだって!私の知っているマスターはこんな人じゃ無いですっ!下品で悪辣で悪徳を悪徳と思わない人間のクズなんですっ!童貞をこじらせて頭がおかしくなったならどうか私を襲って下さい!なんだか生きた心地がしないですっ!お願いですから私を襲ってこじらせた童貞を治して下さいっ!」
「イリアも処女をこじらせて言ってることがおかしくなってるッスよっ!」
慌てふためく二人の騒がしさに俺は心の平静を乱され、ため息を零す。
一体全体、この二人は何をこうまで慌てているのだろうかね。
人は当たり前のように呼吸をするのに。
「……ああ嘆かわしい。人が穏やかな時間を過ごしているというのに君たちは。もう少し平常心というものを持ち、何物にも心を乱されないようにしなさい」
俺はそうして、ちょっと早めの昼食を終え、磨き上げたバケツを静かに被る。
昨晩、丁寧に調整したチェーンソードは静かな鋼鉄の輝きを放ち、おだやかな空気の中静かに微笑む俺の笑顔を移していた。
「さて、人は労働しないとダメになる生き物だ。魔物を狩るという勤労に勤しみ、自堕落な生活に耽ることなく、全うに生きる意義を見出そう。人が生きるというのは、多分、そんな感じ」
俺は哲学っぽいことを述べ、ふらふらと森に狩りに出かける。
そう、MMORPGの基本、狩り。
世にはびこる魔物とか色々倒し、換金アイテムを入手してお金に換える。
その繰り返しの単調な作業だが、その作業にこの上なく喜びを感じるのだ。
それが、普段の俺。
「師匠!狩りなら自分も!」
「わ、私もついていきますっ!」
「なれば、我もついてゆかねばなるまい」
「ろーたーとおでかけー」
皆が一様についてくるが、我が竜デッテイウは俺を見てどこか首を振りため息をつく。
俺はやがて道の先に獲物を見つけると、当たり前のように襲いかかるのだった。




