童貞魔法使いの魔法が升
俺は荒く息をつき、スプリットヘルムを脱ぐと地面に叩きつけた。
スタミナが切れた疲労感がせり上がり、背筋をぐっしょりと湿らせる汗に気持ち悪さを覚える。
ザビアスタ森林地区特有のでかい大樹の根本に座り込み、あの冗談みたいな連中から逃げ切った安堵に緊張の糸を緩める。
途端、目眩がして吐き出した息が震える。
「……なんなんだありゃ」
上位魔法の複数詠唱なんざ見たことねえ。
どんなMP現界持ってやがんだ。俺が知らない間にMPチートできるポーションでも実装されたのか?
あれが本当に実装されているとしたらバランスブレイクもいいところだ。
魔法職さん最強になるじゃねえか。
近接だろうが強モブだろうがぶっ飛ばせるアホ火力を持つあの眉毛をどう攻略すればいいんだ?
――チェーンストックで一気に範囲外へ抜け出し、ステップキャンセルとダッシュを駆使して一気に逃げてきたのだ。
「チートだチート……あのモフモフどもがチート言ってた理由がわかったぜ。本物のチートだったってことか」
どんな、だとか、なんで、だとかいう理由は後回しにして今起こった出来事だけを反芻して俺は悔しさを飲み込んで大きく息を吐く。
「アホじゃねえか……あんなモンどうやってぶっ殺すんだ?爆炎使って割合ダメージ与えるか?どんだけ限定状況作る必要があんだよ。ペットリボルバーで固めるにしたって相手が二人なら厳しいにも程がある」
必死に攻略法を考えてもどれもこれも手詰まりだ。
だが、染みついた俺の性根が次々と勝つための方法を弾きだしては否定する。
「物量で当たるにしてもどんだけのダメージ与えれば装甲貫通すんだよ。硬すぎるとかそういった状況じゃねえ……マジでチートだ。チート。運営に通報してBANして貰うした殺戮方法ねえじゃねえか」
「そだよ」
ゾクリとする。
座り込んだ俺の膝の上、ぶっとい眉毛の小さな女が栗色の髪を揺らして俺を見ていた。
「私は君が『ありえる』と思った現界までを再現することができるからね?そういったチートがあるなら……私はみんなの想いに応えてどこまでも強くなる。それがヒロイン」
この反応――もしかして、こいつの方がレジアンだったりするのか?
「自分でもわかってるんでしょ?チーターだって。おはようアポロ。今日もおっぱい大きくならなかったよ……」
どこか俺を見透かしたように眉毛がふざける。
「おい、海苔眉毛、おめーせっかくの外からの接続者っぽいのぶっ殺そうとすんなよ。ログオンユーザーをノーカンのてめえがぶっ殺すと洒落になんねえんだぞ?」
さっきの変態が追って現れた。
――今度はきちんとスーツを着ている。
ラビラッツの愛嬌のあるマスクにスーツや全裸だといずれにしてもシュールさしか感じない。
「だってぇ~、案山子相手にめっちゃ真剣だったんだもん。犬畜生どもだったらぶっ飛ばしてやろうかなーと思ったらジャギ様が居たから」
「嘘つけ。てめえのチートを徹底的に楽しみたいだけじゃねえか。チートなのはブトペッチャだけにしやがれ」
「あ、あ、あー!この清純系ヒロインである私の眉毛をバカにしたな?バカにしたな?どんな攻撃も通じない股間ナイトの癖に。悔しかったらハメてみろ!」
「お前相手だったらどんな相手も萎えるわはんかくせー。清純系気取ってかぴかぴに乾かして死ね」
俺を放って二人は罵詈雑言の応酬を始める。
――ビス子達の口が悪いのはこいつらのせいか。
「うちのブトペッチャが迷惑かけたな?だけど、先に手を出してきたのはそっちだ。謝りはしねえ。喧嘩なら買う。が、こういう状況だ。喧嘩しに来た訳じゃねえだろ?」
同族嫌悪、と言えばいいのだろうか。
どこか俺と似た物言いに根っこのところが凄い似通っていて鼻につく。
――だが、正直、俺はこの目の前の変態に異様な雰囲気を感じていた。
「そうだ。『無職童貞』なんて名乗る奴に、まともなのはいねえよ。俺と同じキチガイじゃねえかと思ったら先に殴って会話した方が早いだろうと思ったんだよ」
「あんの犬畜生どもだな?餌付けしてたら途端に口が悪くなりやがった……ま、気持ちはわからんでもないわな。俺も肉体言語の方がスッキリする人種だからな?まぁ、あんなステップの使い方があるなんざ初めて知ったよ。ちょこちょこレベリングはしてたが、昨日今日始めたトーシロの俺だけだったらまあ、狩り殺されてたわな」
眉毛が得意げに無い胸を反らす。
「私が居たからでしょ?ね?ね?けーちゃんは私に感謝すべきだと思うんだ。無職童貞で社会のクズでニートでも私が養ってあげるから」
「なめんなし。無職童貞でも最強の無職童貞だ。俺は別に働けないから働かないんじゃなくて、働く必要が無いから働いて無いだけだ――だからまあ、こんなことになっちまってるんだが……でもよ?オメーもオメーだよ。言ってみりゃこいつだって俺やお前の被害者なんだからな?」
俺はそれだけのやり取りの中に、こいつらが俺より一段高い場所からこのゲームを見ている匂いを感じ取った。
「……どういうことだ?それがイリアじゃなければ、あんたはログオンユーザーじゃない。そっちがログオンユーザーであんたがイリアかとも思ったが、そうでもねえ。あんた達二人で現実世界からのログオンユーザー……俺の知るところの5人が全部埋まる形になるのか?」
俺は少しだけ情報を開示して相手の反応を探る。
だが、帰ってきた答えはもっと鮮烈だった。
「いや。カウントされるのは俺一人だ。これはこの鉄板眉毛が言ってるように『チート』だから俺についてきただけだ。いわゆるノーカンって奴だ。お前さんが他に2人、ログオンユーザーを知っているのであればこれで4人、俺はあと1人しっているからそいつを含めて全部で5人だ」
「……あんたも一度、死んできた口か?」
変態は肩をすくめて俺と同じ目線になるために地面にあぐらをかく。
「いや。俺はもう1人と知り合いでな?そいつに教えてもらったんだ。いいことを教えてやるよ。レジアン同士――現実世界からのログオンユーザー同士のPKにはデスペナルティは発生しない」
俺は眉を潜める。
それが俺を油断させるための布石かもしれないからだ。
「……信じると思うかよ?」
「後1人のログオンユーザーってのがこのゲームの開発者だ。ちぃとばかし俺は現実での色んなしがらみがあって知り合った訳なんだが、俺やそいつはお前さんとは別の理由で閉じこめられたんだよ。この糞ゲーの中に」
「別の理由?」
変態はどこか面倒くさそうに頬杖をつき語る。
「ぶっちゃけ、こいつが外に居てくれればいくらでも手のうちようがあったんだがこのバカ、アホなことにこっちに入ってきやがったから手のうちようがなくなっちまった」
「そんなこといって~。寂しかった癖に~。私知ってるよ?けーちゃんがオラニャンだってこと」
けーちゃん、というのはこの変態の愛称か何かなのだろう。
俺があっちゃんと呼ばれるのと一緒の類か。
「こうして『プログラム』という未知の言語の中にぶちこまれてしまえば封殺されちまう類のチートなんだ。俺のチートが効く相手ってのは日本語が使える相手だけ。このゲームは『プログラム言語』で構成されてンだ。俺に理解できない『言葉』が相手だと無力化されちまう。まあ、よくもやってくれたモンだと思うぜ」
変態はそう言ってどこか力なく溜息をついて肩をすくめる。
俺は完全にアドバンテージを奪われた形で会話を進める。
「あんた、一体、何を言ってやがんだ?俺にわかる言葉で喋ってくれ。お前さんが俺より知っていることは、わかった。イリアも無くログオンしているてめーは一体何なんだ」
変態はラビラッツマスクの愛くるしい目をしばたかせ獰猛に笑う。
「――俺達のチートはこの糞ゲーを外からぶっ壊せる。だから、閉じこめられたんだ」
変態の言葉に俺は眉を潜める。
「ぶっ壊せる?このゲームを?」
「ああ……お前さん。まさか正気でゲームの中に転生しちまったなんて思ってんじゃねえだろうな?そんなのはオカルトだ――だが、俺達の持っている『チート』ってのはそのオカルトなんだよ。だから、壊せる」
「へっへー♪これはこれで色々と面倒なんだけどね?」
眉毛小人が得意げに笑って見せるが俺は正直、困惑していた。
ゲームの中に閉じこめられるという現象は確かに『オカルト』だ。
ただ、厳然と起こった現象を受け止め生き残るのに必死で、その『不自然さ』に対しての思考を俺は放棄していた。
「その『思考の放棄』もまた、俺たち――この場合、IRIAが持つ『チート』だ。飲まれるなよ?常に、疑うことを忘れるな。否定するだけ否定した先に残る肯定は最後に残る『真実』だ」
「何を言っている?」
「一つ、実験をしてみようか。最も単純で、かつ、真理に近い定義は指示的定義――つまり、『経験』することだ」
変態は俺の疑問をすっ飛ばして矢継ぎ早に話を進める。
「お前さん。こっちのゲームに来てそれなりに居るんだろ?こう考えたことは無いか?――実は今まで俺たちが『現実』だと思っていた世界が――『虚構』だったって」
「冗談だろ?こんなゲームの世界が現実だってのか?ンな話があるか。今時ラノベだってもっとまともな考証してくれるわ」
俺は変態の言った言葉を一笑に付した。
だってそうだろう?現実世界が無ければゲームだなんて俺はどうやって認識するんだ?現実の方が虚構?冗談にしちゃ、笑えない。
――だが、続いた変態の言葉は俺の認識を確実に削ぐものだった。
「だろうな。だが、ただ一点――お前が今、この『ゲーム』に居る『現実』をどう捕らえる?お前がこの『ゲーム』のキャラクターとして生み出されありもしない『現実』があったと『刷り込み』をされ、『記憶』を用意されていたとは考えなかったのか?お前が思う『ゲーム』であれば『生身』の『人間』が入れるのはおかしい。VRMMO?仮想現実?そんなことより元からお前が『ゲーム』の登場人物であった方がずっと『説得力』はある」
俺は途端にしばらく忘れていた現実が、虚ろになっていく感覚を覚えた。
ゲームに興じる退廃的な感覚は生きた心地をくれず、その中で俺は飢えるような衝動をコンテンツにそれでもぶつけ続けていた。
――そう、思っている自分が作られたもの?
「その方が全ての辻褄は合う。お前が持っている――『魔王の書』そこに記載されている内容も『ゲーム』を盛り上げる為の小道具。そういったシナリオの方が盛り上がるだろう?仮初めの『現実』に戻るために必死になる『プレイヤー』を演じる『キャラクター』――全てが『プログラム』の中に納まる」
悪魔のように思えるラビラッツマスクの言葉に俺は反論できる言葉が見つからない。
――それならば、全ての辻褄は確かに『合う』からだ。
どこまでも冷たくなっていく『現実感』。
「……逆に『お前』が『ゲーム』の『キャラクター』じゃないことを『証明』してみせてくれよ」
ラビラッツのどこか空虚な目が俺を射貫き、俺は現実感を失う。
どこまでも否定された俺という存在に一瞬、そう、一瞬だけ我を忘れる。
「――じゃあ、俺の『家族』も『刷り込み』だってのか?冗談、『作り物』なんかであってたまるかよ。『作り物』が泣き散らかしたり不様に這いつくばったりするのか?――俺が得てきた痛みは、俺の物以外の何物でもねえッ!」
「それは『反証』にならない」
ラビラッツマスクがそう断じて、小さく息を吐き視線を逸らす。
手品のように手を振るとそこに煙草を生み出し、渦巻く炎で火を付ける。
「お前は『ゲーム』の『キャラクター』であるという『反証』を何も持たない。逆に現実に今存在する『状況』の『全て』がお前を『ゲーム』の『キャラクター』であると『立証』している。なら、お前さんは『ゲーム』の『キャラクター』で、お前さんがそう『反応』することもあらかじめ『プログラム』として『定められた』ものだ」
伸びた歯の間に挟み、紫煙をくゆらせると大きく吐いて告げた。
「――お前さん、『ゲーム』の『キャラクター』だよ」
俺はどこか感覚が冷たくなっていくのを感じた。
記憶を奪われた時に覚えた感触がそのまま、俺の現実感を奪っていく。
あれだけ必死に俺を繋ぎ止めていた何かが切れてどこかへ行ってしまう感覚。
――俺はどこまでも空虚な数値の感覚に落ちてゆく。
「――わかったろ?これが俺の『チート』だ」
「え?」
「『嘘』だよ。お前に『ゲーム』の『キャラクター』という『仮定』を翻す『反証』が必要無い。さっきも言ったが、これは――正しい意味での『オカルト』だからな」
「やーいだまされてやんのー♪」
眉毛が俺を茶化し、ようやく俺は現実感を思い出す。
一体、何だったのかと俺は眉を潜める。
「――とまあ、俺の『言葉』ってのはちぃとばっかり人の『認識』に影響を与えちまう立場にあってな?割とシャレにならねーんだ。まあ、こいつをちょちょいと応用するとこのゲームを外側からぶっ壊すことができる」
「けーちゃんは『壊す』ことにかけては得意だからねー。私は逆に『作る』ことが得意なチートなんだけど……まあ、物は言い様って奴で『壊す』こともできなくも、ない」
眉毛が得意げに胸を張るが変態はその眉毛を指で弾いて俺の頭を撫でた。
「――痛みだけは、忘れるな」
「え?」
「痛みだけは自分が経験して、覚えた確かな立証だよ。自分が、自分であるために必要な経験だ。痛みを得る覚悟の無い奴に、進む資格はねえ」
「否定してくれたじゃねえか」
「お前さんが弱いからだ――本当に、強ぇなら、吠えてでも突っぱねろ。それが『大事』なことだ。『自分』を見失うんじゃない。自分を確立できない弱さはこの『世界』に喰われちまう。お前さんがお前さんである限り、決して『世界』はお前を飲み込めねえよ」
俺の膝の上で眉毛がにやりと笑う。
「格好つけてるけど、豆腐メンタルだったもんねー?」
「うるせえよ」
ラビラッツマスクの変態は面倒くさそうに呟くと煙草を吸い、紫煙を煙らせながら続ける。
「――だがね、だからといってこの『世界』を否定しきれるモンでもねえんだ」
「何を言ってるんだ?」
「――完全に『ゲーム』と割り切れるモンでもねえってことだよ」
どこか苦そうに呟く変態の後に眉毛が続けた。
「……この『世界』もまた、生きてるんだよねーコレが」
俺は眉を潜める。
「魔王の書、だっけ?それに書いてたんでしょ?私たちはIRIAという単語が全てが『プログラム』だと否定するファクターにしてしまうんだけど、本当はそんなに単純じゃないってこと」
俺はインベントリを開き『魔王の書』をマテリアライズする。
「じゃあ……本当に……」
「それを決めるのは君だよ?」
眉毛は小首を傾げて俺に尋ねた。
「この『世界』を認めるのも、『否定』するのも君次第。だけどね、それでも私は正ヒロインとして愛が一番大事だって思うの」
冗談にしては笑えない。
こんなことが本当にあって、たまるか。
「私が一番、そう、一番大事な『センテンス』を君にあげる」
眉毛はどこかいたずらめいた笑みを浮かべて俺を見つめた。
「――『人間』は『矛盾』を抱えても、『生きて』いける」
――静かに胸の奥に、棘が刺さる。
それは芽吹く前の小さな、そう、ほんとうに小さな種だ。
「ま、卑猥な清純系ヒロインを名乗ってるどう見てもマスコット未満の淫獣のお前が言えば説得力はあるわな」
ラビラッツマスクの変態が茶化すが眉毛はどこか面白そうに笑っただけだ。
変態はバリバリと頭を掻いてもう、面倒だとばかりに立ち上がる。
「ま、俺達ができる協力ってのはそんなに多くはねえよ。俺としちゃ、まんずまず、どう転がってもいいように自給自足できるようにしとかないといけないしな」
俺は不思議な感覚につままれたまま、ラビラッツマスクを視線で追っていた。
「自己紹介が遅れたな――今更だが、俺は『無職童貞』。無職だからクラスはねえよ。強いていうなら、童貞のまま25歳を過ぎたチートを使う本物の――魔法使いだ」
某エロゲの下らないスラングを堂々と言い放ち、変態――無職童貞は俺に告げる。
「興味があるなら、会ってみるといい。もう1人のログオンユーザー……レジアンって奴の居所を教えてやるよ」
スラング解説
童貞を25歳まで守れば魔法が使える。
某エロゲがこのコンセプトで開発、販売しその鮮烈なインパクトからネットスラングとなった。
なお、同エロゲは同コンセプトの元、主人公を童貞を奪おうとする余り特色の無いヒロインの誘惑を振り切るゲームで、誘惑に負けた場合、普通に濡れ場になって終わるコンセプト以外話題性の無いゲームであった。らしい。




