なんか、見てて目をそらしてあげたくなった。
オーベン城要塞のエルドラドゲート封印の報せは空が黎明の輝きを称える前にもたらされた。
戦場から夜通し駆け抜けた騎士がその報せを運んだ。
騎士は拝命し、騎士としての誇りにその命を捧ぐと誓った時に賜った鎧を捨て、新たに得た誇りのために走った。
国王の騎士としてあるまじき蛮行だが、新たな誇りは彼に力を与えどこまでも誇らしげに胸を張らせた。
――魔王のイリアを下し、オーベン城要塞のエルドラドゲートの封印に成功した。
驚愕の事実を伝えられ、その真偽が定かとなるまでは国民に伏せられてはいる。
だが、どこまでも晴れやかな、そして、誇りに満ちた騎士の表情に報せを受けた者達はそれが正しく真実であることを覚え、それでも信じられないために困惑する。
しかし、誰が真実を前に瞳を覆い、耳を塞ぐことが叶おうか。
静かに、そして、ゆるやかに広がる噂は牢獄から引き出されたチュートリアの耳にも届いた。
「――レジアンがオーベン城要塞のエルドラドゲートの封印に成功したらしい」
「本当か?だが、間もなく死刑だぞ?」
「真実の程はわからん。だから、本当に明らかになるまでは口外することを禁じられている――死刑はそのまま執り行うらしい」
困惑する執行者達に引き連れられ、チュートリアは死刑台へと搬送される。
――イリアは人の輪を外れ、死ぬことが無い。
永遠の時を生きることが叶うが、それは死という尊厳を人から奪う。
この世界で神々に愛された人間のみが得られる恩恵、それがイリアだ。
永遠の時を生き、死と離別し神々の子となったイリア達は死の恐怖からは解放される。
――しかし、だ。
イリアを駆逐する技法もまた、静かに伝わっていた。
600年前の災厄の際、魔王が残したとされるアーティファクトはプロフテリアに正しく伝わり、今、戦女神のイリアの処刑に用いられようとしていた。
――『ファミルの嘆き』
災厄を引き起こした女神ファミルが運命の神により与えられたものだと伝え聞くそれはどこか荘厳な趣のある祭壇であった。
神聖な様相をしながら、だが、しかし、確実に命を奪うであろうギロチンが備え付けられ、今、チュートリアはその凶刃の前に立つ。
「……きっと、マスターは来ます」
どこか強い意志をもって戦女神のイリアは告げた。
「夕刻を刻限とする」
死刑執行人はどこか苦しそうにそう告げた。
噂の真相が定かでは無い以上、死刑の執行を中止することはできない。
様々な思惑の上で、死刑を執り行うべきだという声も多い。
だが、人の命を奪い、人の死を見続けてきた彼はだからこそ、その正しく人に死を賜ることで誇りとしてきた。
――安易な思惑で人の命を軽くしてはいけない。
それはプロフテリアが説いてきた人のあるべき姿に照らさなければならない。
そんな執行人の葛藤を知らずとも、チュートリアは静かにギロチンの前に首を置いて主を待った。
――どれだけの時が流れただろう。
青い空が朱を帯び、太陽が地平に揺らめき始める。
夕日が投げかける斜光の中、執行人は諦めた。
「……戦女神のレジアンは、来ぬ」
どこか諭すようにそう呟いたのはこの少女が最後まで強い信念でレジアンを信じていたからだ。
かつての、レジアンとイリアの伝説はお伽噺として聞いたことはある。
どんな苦境にあっても互いを信じ続けた神々はこの世界に光を与えてくれた。
チュートリアという少女はその伝説に負けることのない信頼をレジアンに向けていたのだ。
「いいえ、必ず、来ます」
短くそう告げたイリアの少女の信念はいったい、どこからくるのだろうか。
揺らめく太陽が地平に沈み、まもなく最後の残滓すら飲み込まれようとしていた。
最早、執行者は諦めた。
ギロチンの刃に手をかけ、少女の死刑を執行するために良心を殺す。
――だが。
柔らかな風を感じた。
その風は瞬く間に力強く吹き、そして、烈風となって空を覆う。
一匹の竜が彼らの頭上を旋回し、彼らは今日、伝説の始まりを見る。
星銀を身に纏い、どこまでも不敵にそれは笑う。
「――よぅ」
ぞんざいに鼻を鳴らし、ギロチンに膝をつく少女に手を伸ばす。
「――まさ、か」
執行人は目を見開き、驚く。
諦めていた。
最早、来ることは無いと思っていた。
だが、運命は最後まで信じ続けた少女を救ったのだ。
「――マスター」
どこまでもまぶしく笑う少女に手を伸ばし、男は言った。
「――迎えに来たぜ?」
◇◆◇◆◇◆
「……ってなる予定だったのになぁ、だったのになぁ」
「おまえ、頭沸いてんじゃねーの?」
ぶちぶちと妄想とも文句ともつかない悪態を聞いたのは何度めだろう。
いつまでもぐだぐだ言い続けるチュートリアに俺はいい加減うんざりする。
「終わったって聞いたのに、終わったって聞いたのにぃ……何で迎えに来てくれないんですかマスタぁぁ!」
日付としては死刑宣告されてから4日目となる今日本日、イベントとして王城に招聘されて祝勝パーティとやらに出なければいけなかった。
面倒だから断ったのだが、メインクエの一つらしくメインクエ表記のマーシーがどうしてもと頼み込むものだから参加せざるを得ない。
何でも王様から下賜されるアイテムがあるとかどうとかでキクさんや赤いのも無事連れてマーシーさんもほっこりです。
アイテムという単語を聞くまでテコでも動かない二人を招聘するのにマーシーさん曰く『ウィングコマンダーと相対するより困難だった』と言うが俺も同感ですよ。
やりたくないことを人にやらせるっていうのは大変なんです。
そんなこんなで騎士団は今、魔王の進撃が始まって初の勝利となるオーベン城要塞攻略を祝してパレードなう。
マーシーちゃん以下俺達は王城で祝勝パーティという訳なんだが。
「信じられない信じられない信じられないッ!どうしてそれが一日遅れてやってくるんですかっ!」
いろいろあって迎えに行くのが一日遅れたモンだからチュートリアちゃんがたいそうご立腹なされて耳元でぎゃんぎゃん五月蠅い。
一体全体この娘は何を怒っていらっしゃるのやら。
「いいじゃないか、死刑にはならずに済んだんだから」
俺はいい加減、相手をするのも面倒になってきたのでぞんざいに答える。
「ずっと、ずっと待ってたんですよぉ?死ぬかもしれないって思ってましたけど、マスターなら絶対、絶対やり遂げるって!でも、『今日はめんどいから明日』ってなんですかっ?夕暮れまでギロチンあてられてた私って一体なんなんですかっ!?」
「聞いたぞ?俺が来ないってわかったって瞬間、ぎゃんぎゃん泣き喚いたって話じゃねえか。あまりにも不憫で不憫で、夜の夜中にまで使い出させやがって。騎士の皆々様も大変だったんだからおまえ、そこ察して我慢してやれよ」
「私だって大変だったんですよっ!いわれもない理由で投獄生活ですよっ!?なんで私が牢屋の中に入ってなくちゃならないんですかっ!」
「いわれもない理由ってしっかりがっつり理由あるじゃねえか。殺人罪やでチュートリアさん。凶悪犯罪もここに極まれりの極悪人だっつー自覚あるん?簡単に人をがっとーざへぅしたらいけませんのですよ?」
「マスターのせいですっ!それはマスターが悪いからですっ!そんな極悪非道な人間のクズ野郎なマスターを、それでもっ!きっと!必ず!困難な障害を乗り越えて私を助けにきてくれると信じてた私のこの気持ちは一体どうなるんですかぁ?」
「ゴミ箱ならあっちにあったぞ」
「捨ててこいとっ!?捨ててこいと仰るんですねマスター!」」
ああ嫌だ嫌だ。
女って理論の生き物じゃなくて感情の生き物なのな。
IRIAもここまで再現しなくてもよかろうなのに。
「私は待ちましたとも!辛かったですけど、マスターが作ってくださったケーキを食べた時、正直、ちょっぴり泣いちゃいましたけど!でも、きっとマスターは私を見捨てはしないと信じて待ってたんです!それなのに……それなのにぃ……」
「結論迎えに行ってやったじゃねえか、何が不服なんだよ」
「なんであんな変態みたいな格好して現れたんですかっ!上半身半裸のスプリットヘルムに凶器をぶら下げて一瞬変態が現れたかと思いましたよ!」
「おま、あの装備を作るのに一日費やしたんだぞ?変態とか失礼なことを言うんじゃねえよ!」
いろいろやることがあったのは主に装備の新調だ。
今回のエルドラドゲート攻略で思い知ったのはエマージェンシートライアルが来た場合、状況によっては死ぬことも十分にあり得る。
育成用の課金装備でも充分とはいえ、メインクエストによっては死ぬ恐れもあるのであれば新規一転、装備の新調を計るべきだと判断したのだ。
「グリーヴとガントレットは理解できます、スプリットヘルムもまだ、理解できます!何で上半身脱いでるんですかっ!アホじゃないですかっ!」
「バッカ、ちゃんと防具つけてたじゃねえか」
「変態の拘束具と一緒じゃないですかっ!」
チュートリアが変態の拘束具と一緒だと断じた俺の出で立ちはヴォーパルタブレットでさらったウィキの中で、レベルカンストした連中が目指す一種の『テンプレ』ではあった。
「スパイクレザーベルトアーマーって軽量防具の中でも高防御力と軽重量を兼ね備えた優秀すぎる防具なんだぞ?体防具ってのは重量割合が重いから、ゼロヘビー目指すときはボディを軽くするのは伝統なんだ。スプリットヘルムことバケツは重いからワンヘビーになってしまう。スパイクレーザベルトアーマーはそういった時に真っ先に選考にあがるいわゆる『バケツテンプレ』の最適解なんだぞ?」
軽鎧職が高防御力と機動力を兼ね備えようとする場合、保護係数は全部位が同じであることから、手足腰頭を重鎧パーツを使って最も防御力と重量が重い体部分を服、あるいは軽鎧に変更するという手管がある。
スプリットヘルムは見た目がバケツのようなゴッツいヘルムだが様々なゲームである『見た目の悪い武器防具は実は高性能』の法則を如実に体現してくれている。
――だが、チュートリアちゃんはそれにもご立腹の様子。
「こう、なんか、感動の再会的なものを期待してた私のこの気持ちっ!どーんと抱きしめて優しくしてくれるかなとか、頑張ったねってほめてくれるかなと思ったのに現れたのが変態ですよっ!あんなのに抱きしめられる私の気持ちになってみてくださいっ!」
「抱きしめねえから安心しろよ。何度も言うがおまえ、頭沸いてんじゃねーの?テンガに頼んで状態異常回復してもらえよ」
とはいえ、今の俺はアバター装備でジャケットを装備している。
確かにこいつが言うとおり、バケツテンプレは男で装備すると変態チックな外観になることから、ジャケットを上から羽織って隠してやらなければ正装が必要な場所ではちょっとどころではなく目立つ。
スパイクレーザベルトアーマーと言っても、通称が『TDNアーマー』ですから。
勇者の剣と合成してはよ群馬県エクスカリバー作りたいわ。
「レジアンとイリアってのはそんなに簡単な関係じゃないんですよっ!?イリアとなったからには、運命が二人を分かつまで苦楽を共にしなくちゃいけないんですっ!だからこそ、私はこんなダメマスターでも最後まで信じたのに!のに!」
「だったら一日くらい待てばいいのに。脱獄してやるって息巻いて暴れ回った挙げ句、なだめに入った看守の人の腕3本くらい食べちゃったっちゅう話じゃねえか。可哀想に。あの看守さん、子供さんいるんだって。パパが怪我したって泣いて俺に頼むんだよ、『どうか悪いドリルを迎えに行ってあげて』って。俺、なんかもう、不憫で不憫で。いったいぜんたいどうしてそんな悪いことしてくれちゃってるのチュートリアちゃん」
「私の方が可哀想じゃないんですかっ!?私が被害者ですよねえ!?」
「どう見ても加害者じゃねえか。凶悪殺人犯の上に、牢獄の看守ですら手に余す犯罪者っておまえももう立派な社会のクズの仲間入りじゃねえか。つか、殺人犯かつ牢屋でも全然反省しないクズ以上のクズがいるんなら見てみてーよ」
「マスターと一緒にしないでくださいっ!全部が全部、マスターが悪いことですよねえ?社会のクズって自分のことをさして仰ってるんですよねえ?」
もはやヒステリック状態のチュートリアちゃんに何を仰っても無駄の様子。
疲れてる上に、疲れる相手をしなくちゃなんねえとかどんな罰ゲームですかコレ。
「俺、一応、この国の英雄みたいよ?そりゃそーだよな?プロフテリア騎士団が攻略しきれなかったオーベン城要塞のエルドラドゲートを封印して魔王のイリアを下した訳だし清く正しい勇者様として英雄扱いされる訳ですよ。なんだっけ?神様の国のプロフテリアの国賓扱いよ?俺。それなのに社会のクズだとかぶっちゃけ酷くない?」
「っ~~!わ、私は事実を申し上げたまでですッ!」
がみがみとがなりたてるチュートリアをほかって俺は静かにジュースを口に運ぶ。
さすがに王城で飲み食いされる物だけあって、セブンイレブンの紙パックジュースより美味しい感じがするわ。
遠く貴賓達に挨拶をすませたマーシーが俺をみつけるやにこやかに微笑み近づいてくる。
瀟洒なドレスを身に纏ったマーシーは戦う騎士団長というイメージより、今は美人のおっぱいというイメージだ。
「……救国の英雄がこんなところで寂しそうにしてらっしゃるのは私としてはどこかやりきれませんわね」
「いいじゃねえか。別に国を救いたくて頑張った訳じゃねえ」
「謙遜、されているのですか?」
「……自分が救われたいから頑張るんだよ。おまえだって、多分、そうなんだろう?」
どこか暗い顔をするマーシーがそれでも苦笑した。
「イリアってのがどういうものか、なんとはなしにイメージが掴めたよ。神様に祝福された……とは聞こえはいいが俺から見れば、呪い以外の何物にも思えない」
「……呪い、ですか?」
「俺たちはデスゲームとして自分の存在の死を怖がるが、イリアは逆に死を奪われるんだ。よくわからんが、俺はそれって相当、嫌なことだと思うぜ?」
魔王の書から得た知識だ。
俺たちが知る人工知能IRIAと、こいつらがゲーム世界の中で言う『イリア』とは意味が違う。
神様に選ばれただ何だの設定をすっ飛ばして特徴だけを捉えるなら、『死なない』というのが最大の特徴だろう。
ズゴック親子のように一度、ぶっ殺したNPCはリポップしない。
それに変わるNPCが時間を経過して街に溶け込むが、イリアと呼ばれる連中は蘇生魔法やアイテムでその場で復活する。
加齢されることもなく延々と生き続けるイリアは文字通り、不老不死という奴なんだろうさ。
俺も深くは考えたことは無いが、いろんなサブカルチャーで不老不死って奴が大変なことだってのは漠然とだが理解している。
「……そう、なんでしょうね」
「魔王のイリアとしてまだ洗脳されてるんだろ?手のかかる妹ってのは大変だよな」
「……これで、よかったのかと思います」
俺とマーシーが何を話しているのか理解できずチュートリアが太い眉毛を潜める。
「副騎士団長様と何を話してるんですか?」
「マーシーちゃんの妹が魔王マルネジアのイリアだったんだよ。目が覚めて、力は失って一部の記憶は欠落しているが、魔王の影響を強く受けていてな?元の関係に戻るのにゃ手間暇と時間がかかるって話だよ」
俺がざっくりと纏めてやると隣でマーシーが苦笑する。
何か訝しげな目で俺を見るチュートリアが俺をどこまでも信用していない。
「……何か変なことしたりしてませんよね?」
「カマドウマ……ああ、マーシーちゃんの妹な?裸にひん剥いたあげく、泣く子も黙る暴虐の果てに心が折れちゃったくらいのアフターケアはしてあげた記憶があるな」
「私を迎えに来るのが遅かった理由が酷すぎ件についてっ!」
「いや、面倒だろ?長々と説得という名の言葉の暴力で洗脳するより、手ぇ出した方が早いに決まってる。心折りしてまっさらな状態にしてそれからまた姉妹の絆とやらを構築した方が早いんじゃねえかって思ってな。今、騎士団の拷問室をイリア仕様にしてカマドウマの薄い本ができるような状態」
まあ、発案は俺でも承認したのはマーシーちゃんだからぬ。
「……今でもその選択が正しいかどうか、わかりません」
「いや!絶対おかしいですよ!何かどういった状況とか、そういうのよくわからないですけど妹さんが魔王のイリアだったんですよね!それを助けてあげたんですよね!それだったら時間がかかっても説得してあげなきゃダメなんじゃないんですかっ?うちのマスターの言うこと鵜呑みにしちゃダメですよっ!?確かに戦いでは強いのかもしれませんけど、それとこれとは話が別ですからっ!」
全くゆるふわドリルのくせに人のことをえらく馬鹿にしてきやがる。
「姉妹事情もいろいろあるんだと。なまじっか肉親同士だから言いたいことがあっても言えなかったり、言いたくないことまでストレートに言っちまって傷つけたりしちまうんだよ。第三者である俺は完全に他人様だから、関係ないってそのまま無視決め込んでもよかったし、その方が俺としちゃ安泰なんだろうけど、まあ、ちょっとしたお節介だよ。俺が『心折り』しても恨まれるのはマーシーちゃんじゃなくて他人の俺。姉妹の間にゃ後腐れはなくなるじゃねえか」
「でも手段が野蛮すぎますっ!」
本当にぐう聖気質が抜けてねえのな。
マーシーちゃんが次の任務に向かわなければいけなかったり、魔王の洗脳が意外と強固だったりそのあたりの周辺事情をぐだぐだと説明するのも面倒だしそういった諸々の条件を加味して最善の一手を取ったというのを納得してもらおうと思えば、小一時間くらいここでくっちゃべらなくちゃならない。
「――選択したのは、私です」
どこか力強くマーシーが言った。
「戦女神のイリアの心遣いには感謝致します。ですが、戦女神のレジア――いえ、ロクロータ様は我々を思い、最善の道を示してくださいました。妹はロクロータ様を恨むでしょう。ですが、それでもそれはロクロータ様が我々姉妹を思ってして下さったことに代わりはありません――私は、その選択が正しかったのかどうか、悩んでしまっただけです」
いろいろと変わったように見えて、マーシーちゃんもまだどこかメンタルが弱いんでやんの。
俺は鼻を鳴らして笑ってやる。
「正しい選択なんてどこにもねえよ。選んだ後から、その選択を正しくしてやるんだ」
マーシーはどこか思い至って柔らかな笑みを浮かべた。
戦場で多くの選択をしてきた武将としての哲学は、また、人間関係においても通じる側面があることを理解するのに早い。
「――はい」
どこか面はゆい笑みで答えたマーシーに俺はなんだか背筋がかゆくなる。
遠くでははしゃぐテンガの世話をするキクがすでに酔っぱらいつつあった。
はしたなく料理に手を伸ばす仕草は周囲の失笑を買っている。
俺がフルコーデしてやってるから見られる格好だが、もうぞろ見ていて痛くなるから他人のフリをしよう。
ドレスを纏い、優雅な仕草で応じるシルフィリスとは対照的に赤い竜は子供のように落ち着かない。
狩りに行きたい病が再発してるやもしれん。
ドラグロードコートはレアかつ貴重なアバターだからこそ無骨であってもこういった場に着て来ても、周囲の視線を粉砕できる異様がある。
桁違いの実力を周囲に知らしめるには十分すぎる貴重品だからな。
テンガを抱えたキクさんがどこかぽわんとした顔で酒臭い息を俺に吐きに来た。
「ロクロータぁ!飲んでる~?」
「俺、あんまし酒って好きじゃねえんだよ。酔っぱらうと操作ミスるから」
「いいやん飲んでも~?ちょっとつきあいなさいよ。最近リアルでもお酒飲む機会無くってさー」
「そりゃそうだろうよ。そうやって翼の折れた猛禽系女子やってりゃ面倒くさくて誰も合コンに誘わんわ」
「合コンとか一度も呼ばれたことがないしっ!」
本当に女子力ゼロでしたごめんなさい。
「……あんただってそういうの呼ばれないでしょうに。ゲーヲタで嫌な性格してそうだもん」
「開き直ればどうということはない」
俺は鼻を鳴らすと小さく声を潜めて訪ねる。
「……で?ずいぶんとオークだか何だか見分けのつかないモブ達と話し込んでたじゃねえか。金の匂いがすんのにこっちに来たってのは何か理由でもあんのか?」
「好きな土地やるから領主やれっていう話よ。あいている土地、好きに使っていいっていう大盤振る舞い。どう思う?」
「よくわからんが、俺ンとこに来るってことはいい話じゃねえんだろ?」
「当たり前でしょーに。酔っぱらってたって話の裏が見えるわよ。王都で荒稼ぎしちゃったモンだから体のいい理由で追い払いたいってことでしょーこれ。荒れ地を一から開墾するってなったら金もかかるし、私の勢いを削ぐにはいいって話なんじゃない?ほら、見てコレ。領地の契約書。王様のサイン入りだってー」
豪奢な金細工の筒に入った上質紙にはなにやら領地契約のいろいろが書いてあったりする。
「領地コンテンツが開法された臭いわね。大規模戦闘コンテンツも開放されたし、いよいよゲームが動き始める臭いわよ」
「今おまえむっちゃ酒臭いわ」
俺は軽く煽ってからチュートリア達から離れ、キクと会場の端へ移動する。
「……問題はどこを領地として取るか、よね」
「ああ」
酔っぱらっていても、キクの目は鋭かった。
「……あんたの話を聞く限りじゃ、追加で人が入ってくる可能性が強い。だとしたら、これは大きなアドバンテージよ。有利な土地を一番最初に得られる選択権。ついでに言わせてもらうなら、土地選択にはファミルラの知識が生きる訳だし」
「追加で入ってくるリアルの人間――レジアンがすべて友好的とは限らない。だとしたら、そいつらとも戦うことを想定しなくちゃならん」
「経済の要所を抑えるというのもそうなんだけど、大規模戦やる時の立地条件も考慮しなくちゃいけない。金をジャブジャブ回すのは私の得意分野だけど、歴史が得意科目の私としちゃお金は暴力を作るけど、暴力はお金を奪うっての身をもっても体験してる訳だからねー」
考えなしのNPC達がくれた領地占有権というのを有効に使わなければならない。
――キクは既に次のステージを見つめていた。
「シャクだけど、この糞ゲーを攻略するにはあんたや赤い竜の力が必要なの。せっかく貯めたお金を横取りされちゃたまらないもの。根こそぎ持っていかれるくらいなら、あんた達にばらまいてリターンもらった方がまだ得ってモンよ」
「そういう正直なところは女子力ゼロだが男前だから好きやで」
俺はそう言って鼻を鳴らすとその場を離れた。
「……その件についてはある程度赤い竜と話はつけている。詳しくは後で話す」
キクは一気にワインを煽ると給仕にグラスを渡し、呟いた。
「……期待してるわよ?戦神ロクロータ」
煽ってくれる。
煽られ耐性はガチガチなんだが、デスゲームじゃ乗らない訳にもいかねえわな。
俺はシルフィリスと離れ、せわしなくしている赤い竜の隣に来ると席に座りチキンっぽい何かに手を伸ばす。
「竜ちゃん、落ち着きねえぞ?シル坊見習えよ。落ち着いたモンじゃねえか」
「あっちゃんかぁ」
赤い竜はもくもくと果物に手を伸ばしながら呟く。
「……俺はね、無双ゲーがしたかったんだよねー」
無双ゲーとは『三国無双』に代表されるような強力な自キャラのスペックで並み居る雑魚を片っ端から叩き潰していくゲームのことだ。
「正直、あの難易度だと命がいくつあっても足りないよぉ」
ぽつりと呟いた言葉は最強を自負する赤い竜らしくはない。
だが、本当に強い連中はどこまでも相手の強さを正しく受け止め、それを超えることを宿命づけなければならないから、その言葉には嘘は無い。
「――このゲーム、最後はどんな敵が出てくるんだろうねぇ」
赤い竜はキクより遙か先、ゲームのクリアまで見据えていた。
奴のどこかぼんやりとした表情の奥に、静かな鋭さが横たわる。
俺はオレンジの皮を適当に剥いてやると、半分に割って赤い竜に放ってやる。
俺の方を見ることなく受け取った赤い竜はもしゃもしゃとオレンジを飲み下し、一息つくと呟く。
「あっちゃん、また――コンビ組もうか」
「おまえさんの相方、ゆるくねえんだがね」
「でも、やれるのあっちゃんくらいしか居ないでしょう?」
どこまでも自分勝手過ぎて我が儘な馬鹿野郎だ。
――だが、どこまでも人を引っ張る力を持っている。
「大規模戦闘に、大空中戦コンテンツ。それに――まだ多くの討伐モブが残ってる。新たに開放されたエリアもあるから、このゲームもどんどん難しくなっていくよ」
「ログアウトして、マック喰いにいきてぇ」
「俺は担々麺が食べたい」
ラーメンまでも赤いとは徹底してやがる。ラーメンも久しく喰ってねえな。
「……キクが領地をもらって街を作るみたいだ。大規模戦闘用に拵えなきゃならんだろうさ。後から入ってきた連中の中からも優秀なタマを引っ張らないとならん。わかってるだろうな?」
「わかってるさ。でも、俺は――変わらないよ」
「それでいい。だからこそ――俺達は強いんだ」
俺と赤い竜は視線を交わさず手の甲だけを叩きつけるとそのまま分かれた。
壇上では歌姫の眠たくなる歌が披露され、宴もたけなわといったところか。
こんな宴じゃ経験値もスキルも上がらない。
金も手に入る訳でもないし、赤い竜とキクがせいぜいレアを貰える程度。
時間の、無駄だ。
やるべきことはたくさんある。
さっさとお暇しようと思ったらうるっせえのがやってきたよ。
「――あ、マスターこんなところに!私の話まだ終わってないです!それに、これから壇上でマーシー様と王様が直々に私たちに謝辞を述べてくださるんです!一応社会のクズでも国を救った英雄なんですからきちんと恥ずかしくないように……ああ、なんだろう。凄いドキドキしてきた」
勝手に一人で盛り上がって緊張してるチュートリアたんはマジで頭の中がゆるふわドリルだ。
世界の命運とかそういったものを相手にしてるのに王様一人のご機嫌取りですか。
これだけ脳天気だと、なんだか一人真面目にやってる俺の方がアホらしいと感じてしまう。
俺の張り詰めた緊張感もどこへやらだ。
「……マ、マスター、ど、どうしましょう?よくよく考えたらこういう場所に来ること自体が初めて、な、なんか緊張してきました」
「つか、お前、ムカつく奴ぶっ殺して牢屋で暴れただけじゃねえか。何もしてねえのに緊張も何もあったもんじゃねえだろう」
「こ、国王様ですよっ!?プロフテリアで一番偉い人ですよ?マ、マスターはそこのところよくわかってらっしゃるのですか?ああ、なんだか、別の意味でも心配になってきました……何か気にくわないとか言って投げ飛ばしたり、髪型のことを馬鹿にしたり、裸にひん剥いて酷いことをしたり……」
「俺初対面の人にそこまでやる程頭おかしくねーよ。お前と一緒にすんな」
「全部私にやったことですよねっ!?覚えてないとかそっちの方が頭おかしいですよね!?ああ、心配です心配です……」
勝手に一人で盛り上がって勝手におろおろするチュートリア。
横から酔っぱらったキクがチュートリアを後ろから抱きしめながら酒臭い息を吐く。
「よぉう!チューちゃん何心配してんの!?」
「マスターが王様に粗相するんじゃないかと思って……」
「だいじょーぶだって!魔王よっか王様雑魚でしょ?イザとなりゃーあたしがぶっ潰してやんよー!」
「余計にダメじゃないですかっ!」
顔面を蒼白にするチュートリアにどこか興味を持った赤い竜がこれまた余計にややこしくしに来やがりましたよ。
「なにー?何か倒しに行くのー?俺も装備新調したから俺もやっちまうわー。大型モブくらいならサクっとやってやんよー」
「わー!多分この国で一番討伐しちゃダメな人ですっ!わぁあ!マ、マスター助けて下さいっ!」
「大丈夫だ。俺ン中では王様より俺の方が偉いから!ご期待どーりに全部が全部――がっとーざへぅしてやんぜ」
可哀想なぐらいにびびりまくるチュートリアがおもしろいから煽るだけ煽る。
顔面を青くしてだらだらに脂汗を垂らすチュートリアは本当にお腹が痛いのだろうか腹を抱えてうずくまる。
「うう……ダメだこの人たち、わたしがなんとかしないと……うう……考えれば考える程お腹痛くなってきた……」
インベントリウィンドウなんかを開きやがったと思ったら俺がくれてやったジュースなんか取り出した。
「うぅ……本当にお腹痛い……」
ごきゅごきゅと飲み干すと落ち着いたのだろうか息を整える。
「……あれ?お前、それまだ飲んでなかったの?俺、てっきり牢屋の中で飲んでたモンだと思ったんだが」
「うえ?お水は看守さんから頂いていたので……甘い物に甘い物って合いませんよね?」
そういう意味で聞いてるんじゃないのだがチュートリアは引かない脂汗をぬぐいながら顔色を悪くする。
「ロクロータ?あれってひょっとして……ケーキ差し入れしたんよね?」
キクさんの確認に赤い竜が首をかしげて思いついたように納得する。
「ああ、いわゆる『ケーキ短縮』って奴?じゃあ、あのジュースって……」
「ちなみにチュー、てめえ今までトイレとかどうしてた?」
「な、なんでそんなこと聞くんですか!このド変態!あんな牢獄でできる訳ないじゃないですか!……ああ、本当に……あれ?あれれ?お腹痛い……お腹が痛いよぉ……」
そりゃそうだろうよ。
キクと赤い竜がどこか冷めた瞳でチュートリアを認め距離を取る。
――いよいよもって暴発するかもしれないからだ。
「ちょ、なんでみんな距離を取るんですか?……痛ぃぃ……お、お腹痛いですマスター……なん、なんでですか?……」
「お前が今飲んだジュース強力な下剤入りなんだよっ!いいか!そこを動くな、動くなよっ!」
俺が教えてやると、ぐぎゅるるるとデッドアクションの音を立てながらチュートリアが顔面蒼白で俺ににじり寄って来る。
まずい、非常にまずいぞ。
国王の縦ロールをドリルと一緒にびょんびょんするとか以上に不敬な事態に陥ってしまう5秒前だ。
俺は急いでインベントリを開き思考者の椅子を出そうとする。
だが、しばらく整理してなかったインベントリの中、なかなか見つからない。
「な、なんでなんですかぁっ!どうしてそういう嫌がらせをッ……ッ……ッ!ぃぃ……ぃぁぁ……ま、ますたー…お、お願いですッ!と……とい……」
「あ、バカ!それ以上言うんじゃないっ!」
「――トイレを貸して下さいぃぃぃッ!」
瞬間、チュートリアの周囲で光が爆ぜて一燐光が迸った。
足下から吹き上がった光に飲み込まれ、チュートリアの姿が消える。
王城のホールの中、何があったのかと唖然とする一同の気まずい視線を受け、俺はもっと気まずい思いをしていた。
「ねえロクロータ?あれって『転移石』のエフェクトよね?」
「ああ」
俺は額を抑えて、静かにうなずいた。
少しほったらかしにしただけでこんだけやかましかったんだ。
戻ってきたらどんだけ五月蠅いか想像するだにどこかへ逃げてしまいたくなる。
「……転移石のワード設定は?」
「……『トイレ』」
「……ちなみに、場所はどこに設定してたの?」
「……メインストリート」
「そう………私の店じゃなくて、よかったわ」
どこか遠い目をしながら残酷に自分の保身を安心するキクさんにはチュートリアちゃんが今、どんな状況に陥ってるのか理解してらっしゃるのでしょう。
隣で、赤い竜が珍しく腹を抱えて笑っていた。
そういや、メインストリートって今、パレードやってるんだっけ。
いっぱい、そう、いっぱい人が居ちゃったりするんだろうなぁ。
ざわざわと人が騒ぎ出し、俺はそろそろ頃合いなんじゃないかなーと帰るというか逃げる意志を固める。
――オーベン城要塞関連は本当に俺にとっちゃ糞コンテンツだったということで。
どかどかと兵士がホールに走り込んでくるや顔面を蒼白にして叫びやがる。
「大変にございます!大変にございます!戦女神のイリアが……」
大変だろうよ。
大変だろうとも。
いきなり目の前に現れて『ブッパ』してくれちゃった訳なのですから。
「いきなりパレードの中段に現れ、うん……あ……脱……その……」
兵士は色々と言葉を探して、吐き出すように告げた。
「……大声で、泣いております」
◇◆◇◆◇◆
チュートリアの日記 よんがつここのか
おんもに、でたかったけど、でたくない。
けーきたんしゅく、って、わるいひとがろうやからでるのにてんいのいしをけーきのなかにいれてさしいれして、わーぷさせることらしかった。
ろうやにはいってるけーきをたんしゅくするから、けーきたんしゅく。しねばいいのに。
げざいいりのじゅーすは、わたしがもしもきがつかなかったときのためのさいごのしゅだんみたいだったのだけれど、えらいめにあってしまった。
ころされて、しまいたい。
そんなわたしにやさしいことばすらかけてくれず、ますたーはなんか、むらをつくるとかいってました。
なんでも、きくさんがりょーちをもらえるってはなしです。
いろいろりゆうはあるみたいなんですけど、なにもないえくすぶろかざんのちかくにむらをつくるみたいです。
あのあたりはわたしのこきょーがあるから、いちど、おかあさんにあいたいな。
ますたーたちがりょーしゅになったらいっしょにくらせるのかな?
あと、これは、つばさじゃなくてべつのなにかだとおもう。
ごぉってなって、がしゃんっていって、ごきってわたしのくびがおれそうになったというかおれた。
きゅいんまんさー?で、おばぶーらしい。




