記憶喪失中はネタ差し込めなくてマジつらい
ネルベスカ・マノアさんはとてつもなく腕の立つ剣士だった。
「おいテオてめー、あに人様の師匠に因縁つけてんだオラ。両手足ぶった切って達磨にして魔物の餌にすんぞゴラ」
だけど、性格はひどく攻撃的でとてもじゃないけど僕は生きた心地がしなかった。
「マノア……そんなにひどく当たらなくても」
マノアさんとチュートリアさんの腕は拮抗していて、自警団の訓練の時間に二人が激しく打ち合う姿を見て誰しもがお互いの実力を知っていた。
「いや、それは違うッスよ?もし、このまま師匠が記憶を取り戻したとしましょう?その時、この糞野郎が師匠にどういう目に遭わされるか想像したらこの村どころか周辺の村も含めて二つ三つ焼き払われてしまうから今のうちに予防してるだけッス。決して雑魚だからいちびろうとか思ってないッス」
「いや、それたぶん、間違いなく理由は後付けでやられるパターンだから。そして、一応止めた私も『最初の頃にやられてた俺を助けなかったチューちゃんが悪い』って一緒に巻き添え喰らって酷い目に遭うパターンだから」
「それも違うッス。チュートリアはどうあっても酷い目に遭うパターンしかねえッスから。何をしていても、していなくても師匠の癇にベタベタ触るから八つ当たりされるッスよ」
「ひっど!それって私だけ理不尽ってことじゃんね!私悪くないじゃん!」
「いやぁ、だってチュートリアはちょうど良く師匠が八つ当たりしたい時にしたい要素を持って目の前フラフラしてるッスからそりゃチュートリアが悪いッスよ」
一体、僕はどんな理不尽な存在だったのだろう。
チュートリアさんはマノアさんにやり込められて頬を膨らませながら薪を運んで行く。
もうそろそろお昼だから、そのままネーナやモアおばさんを手伝うのだろう。
一人になったと思えば、まだ、マノアさんが僕のに残っている。
「お師匠は休んでてください。雑務はあっしがやっときますから」
「いや、そういう訳にもいかないよ。僕がお世話になってるわけだから僕がやらなくちゃ……」
昼飯前に薪割りの仕事を任されていたのだがそれをマノアさんが僕の代わりにやってしまう。
熟練の冒険者である彼女は僕と同じか、それより若いのにぱっぱと薪を割ってしまい軽く額の汗を拭う。
物々しい大剣を背中に背負ったままだというのに全く苦にすることなく軽々と薪の束を担ぎ上げると運んでいく。
どこかテオが僕を怖れるようにみているが、それが居心地が悪い。
正直、僕を怖れるテオにいい気味だと思う気持ちが無い訳では無い。
今まで自分を虐げてきた相手が怖れを持って接してくるのは正直、心地良い。
だが、それが、僕自身を怖れてではなく、マノアさんやチュートリアさん、そして、僕もよく知らない『本当の僕』というものを怖れてだ。
マノアさんやチュートリアさんが僕に新設にするのもその『本当の僕』というものがあるからで、今、目の前に居ない、いつ戻るかわからない『本当の僕』なんかをあてにされても、困る。
「なんだか、これが師匠と言われると正直、引くッスね」
戻ってきたマノアさんが作業場の切り株に腰をかけると目を細めた。
「そうですか?」
「ッス。理不尽を押しつける理不尽の塊が服を着てたようなモンッスからね。私も何度もボコボコにされたッス。チュートリアが言っているのはすべて本当のことッスよ」
「……そんな理不尽な人間、居るだけ迷惑じゃないですか」
「そうッスね。巻き込まれた側からすれば迷惑だと思うッスよ。あっしは師匠が強いから弟子になったんス。強さは正しいことッス」
そう清々しく言い切ったマノアさんにどこか嫌悪感を抱く。
「強くても……それで迷惑をかけていればそれは暴力ですよ。嫌な思いをする」
「そうッスね。そうッス。それは正しいことッス。それは暴力ッス。師匠は暴力の塊みたいな人間であったのは間違い無いッス。でもねお師匠?師匠はその暴力の中で何一つ間違ったことは言ってなかったッスよ」
立ち上がって僕が割った薪を集めて抱えたマノアさんがどこか苦い顔をする。
「あっしも――強くなりました。マンダルア高地に放り込まれて死ぬかと思うような特訓をさせられました。強くなって、昔の自分がうらやむ強さを手に入れて――でもそこにはさらに上の理不尽が待っていることを知ったッス」
どこか遠く、北を見たマノアさんが何を思っているかはわからない。
僕は覚えていないのだから。
「師匠は『逃げてもいい』『臆病でもいい』と言ってくれたッス。それが大事だとも言ってくれたッス。でも――あっしのさらに先を行くお師匠はさらに酷い理不尽と逃げずに戦って居たッス。逃げたかったでしょうし、震えていたんでしょう。あっしは――本当の強さとはそういう『強さ』だとわかったッス」
どこか気恥ずかしそうに鼻をこすって薪を担ぎ上げたマノアさんがはにかむ。
「僕は、そんなに強く無い」
「そうッスかね?テオにいちびられてもそれを他人のせいにゃしねえでしょう?」
それは、自分が弱いだけだ。
他人のせいにしたって解決はしてくれないから、無駄だとわかりきってるからだ。
「逃げてもいい。また逃げ続けるのも勝ち続けるのと同じくらい、難しい」
マノアさんの言葉にどこか胸の奥が重くなる。
それを言えるのは、一体、どれだけの理不尽の中で生きてきたのだろうか。
「これ、お師匠さんの言葉ッス」
マノアさんは薪を担ぎ直すと小走りで去っていく。
僕はまた、僕という人間がわからなくなる。
大きくため息をつくと鈍く光るナタを腰に吊すと切り株に腰掛けた。
戻ればモアおばさんやネーナが昼食を用意してくれてるだろう。
だけど、今はそこに戻りづらくてただぼうっと時間が過ぎるのを待っていた。
――吹きつける風が火照った体に涼しく気持ち良い。
じんわりとした陽気が全身を包み、森のさざめきが耳の奥を打つ。
現実と切り離された、『今』がどこまでも不安定で僕は所在無く揺れていた。
揺れる景色の中、森の奥にふらりと人影を見た。
摺り切れたローブに全身を包んだ、小柄な人影だった。
それはどこか赤い澄んだ瞳で僕を見つめていた。
――ザビアスタをうろつく旅人は訳ありが少なくは無い。
一人であるということは、そういうことなのだろう。
本来は警戒しなくちゃいけない。
だけど、その時の僕はもうすべてがどうでも良くなってぼんやりとしていたんだ。
「……こんにちわ」
僕がそう声をかけるとそのローブの人物は小さく会釈した。
僕を警戒しているのだろうか、森の中から出てこようとしない。
だけど、僕はそんな相手にすら面倒になって天を仰いだ。
じんわりとにじむ汗に、時折吹く風が心地良い。
その人物は意を決したように歩み出し、僕の前に立った。
「……ロクロータ」
僕を知っている人だろうか。
だとしたら、ヤサイムラの人物なのだろうか?
ローブの中から覗く線の細い輪郭と紫色の瞳から少女だとわかる。
――チュートリアさんと同じくらいの少女だろうか。
「どうぞ」
僕は傍らにある切り株を示し、その少女はしばらく僕を見下ろし切り株に座った。
どこか警戒したその様子を訝しむべきなのだろうが。
――僕はすべてに投げやりになっていたんだ。
「旅の方、ですか?」
「旅か……もう、だいぶ昔に終わったよ。だけど……終わらない」
その少女の声音はどこか震えていた。
僕は何を喋れば良いかわからず、適当に名前を聞いた。
「お名前は?」
「……今は、アターシャと名乗っている。本当の名前は……友人だけが覚えている」
どんな意味があるかわからない。
だけど、アターシャと名乗った少女はきっと僕と一緒で訳ありの人間なんだろう。
しかし、それが一体、今の僕に何になる。
「いい、天気ですね……」
「ああ、いい天気だ」
それだけ言葉を交わすと、しばらく沈黙の中に沈む。
吹き付ける風の音だけを聞いて、大きくため息をつく。
僕は腰のバックの中に入れていたお菓子を出す。
――ネーナが作ってくれたクッキーだ。
「これ、よかったらどうぞ」
差し出された包みに目を丸くしたアターシャという少女は僕を睨み付け、伺う。
訳ありの旅人ならば、そういう警戒もするのだろう。
「知り合いが作ってくれたものです、お腹も減るころだろうし、これくらいしか、持っていませんので」
物盗りであれば僕がもう何も持っていないことくらい、わかるだろう。
命を奪われるかもしれないとこの時点で気がつくあたり僕も相当、気が抜けていたのだろう。
だけど、それすら――どうでもよくなっていた。
少女は包みを受け取り、少し砕けたクッキーをしばらく見つめていた。
「……私に、くれるというのか」
「ええ……あんまり、甘いものは好きじゃないんで」
そんなことは無い。だけど、今はネーナや周りの気遣いが重かったのだ。
アターシャさんはたおやかな指でクッキーをつまむと囓った。
どうしてだろうか、その横顔が泣きそうに見えた。
「旨いな……本当に……旨い……」
僕は彼女の中にあるどこまでも遠く過ぎ去った光景を知ることは無い。
置き去りにしてきた楽しい記憶や、後悔を知ることはたぶん、未来永劫。
風が零れた破片をさらっていき、それを追って顔を上げたアターシャが呟いた。
「ずっと、ずっと、見ていた」
僕を、だろうか。
だけど、見つめた横顔は僕を見てはいなかった。
遠く空を見上げ、太陽の光に目を細める。
「レジアンだとか、イリアだとか、関係無かったのだ」
レジアン、それは僕のことだろうか?だとすれば、この人は?
「私は……一緒に居るだけでよかったのだ」
それはどこかで居なくなった誰かのことだろうか。
それとも、帰らない僕を心配してくれてのことなのだろうか。
摺り切れたローブがどこまでも彼女の歩んできた道の苦労を物語っていた。
「……ただ、一緒に居て、こうして同じ時を生きていたかったのだ。お前のように」
そうして僕を見つめたアターシャさんはどこか疲れたように微笑んだ。
最後のクッキーを口に運ぶと立ち上がる。
ひときわ強い風が吹いて、ローブが跳ね上がる。
――陽光の中、澄んだ紫色の瞳が細められ、銀色の髪が揺れた。
「たったそれだけ……それだけのことに気がつくのに、どれだけの時を使ったんだろうな」
自重するように呟くアターシャさんはどこか僕を微笑ましそうに見下ろし、ため息をついた。
陽光の中で大きく伸びた後、アターシャさんは目深にローブを被り立ち上がる。
「……終わりなき闘争の時代が来る。無辜なる人も、何もかもを焼き尽くす魔物の軍勢がこの地上を席巻する。お前は……」
そこで言葉をつぐみ、アターシャさんはまた、ため息をついた。
親指で口元を拭い、僕に背を向けたまま伝えた。
「……いや、ありがとう。名も知らない旅人に施しを与える汝の慈しみに、ファミル――いや、誰かの祝福があらんことを」
◆◇◆◇◆
チュートリアは昼時になっても戻らないロクロータを心配してチュートリアは森の中を探していた。
記憶を失ってから、とりわけ、キクや赤い竜と再会してからは一人で考え込むようになった。
体には大事が無いのでそのままにしていたが、森を一人で散策することが多くなっていた。
うっかり森の奥に入り込んで魔物に襲われてはいないか心配になり、ネーナ達に断りを入れて探しに来たときにだ。
――ロクロータとアターシャが接触しているのを目撃してしまった。
本来ならば身を挺してでも逃がさなければならない。
比類無き力を持つ魔王のイリアを相手に今のロクロータでは相手にならない。
だが、木の陰からその様子を見るだけで足が地面に張り付いたように動かない。
まただ。
また、あの声が耳を打つ。
――本当は怖いだけ、『自分』が無残に殺されるのが。
ロクロータが記憶を失ってから、ずっと、声が離れない。
自分の心の弱さだとは理解している。
だが、その弱さを振り払うことが、できない。
――本当は怖かったのでしょう?竜さんやキクさんが来たときも。
胸の奥から冷えていき、膝が震えてくる。
張り付いた喉が乾き、いつの間にか握りしめていた拳が白くなっていた。
また、なくなってしまう。
自分が、自分らしくあれる、この場所を。
――もし、ここでマスターが殺されたとしても、それは、仕方が無いことじゃん?
もし、アターシャがロクロータを殺してしまえば。
ロクロータがいなくなってしまえば。
自分は――あの世界に戻らずに済む。
「……っ」
吐き出した息が詰まり、苦しくなる。
ロクロータはそれがアターシャとも知らずにネーナから渡されたクッキーを与えていた。
アターシャは訝しむこともなくそのクッキーを囓り――空を見上げていた。
どこまでも、どこまでも悲しそうな瞳で空を射貫く。
そんなアターシャの様子に、チュートリアは戸惑いを覚える。
魔王のイリア、戦の神アターシャのイリアとしてのアターシャは女神ファミルの世界に反旗を翻し、新たなる魔王を二・ヴァルースに顕現せんとしているはずだ。
だからこそ、運命の女神は新たなる神々のイリアとして自分たちを顕現させ、それを阻止せんとしているのだ。
――イリアステラでの闘争の記憶が蘇る。
アターシャとコーデリアが矛を交え、決着がつかずに幾日もの年月が流れ、多くの血が流れていた。
その戦列に自分も加わっていたはずだ。
アターシャとは何度も矛を交え、剣を交え、退けられていた。
同じ戦の神の眷属として遅れを取った悔しさがあったはずだ。
だが、あの『声』がその『記憶』に疑問を投げかける。
――本当に?
「え?」
だとしたら、あのアターシャは一体なんなのだろう。
どこまでも悲しそうな笑みでロクロータを見下ろすアターシャをチュートリアは知らない。
自分の記憶の中に
あるアターシャは一体、何者なのだろう?
――イリアだからでしょう?あなたは記憶を変えられていることも理解していない。
「なに?え?……何を言っているの?」
いつも聞こえるこの声は、『自分』の『心』の声ではないのか?
そうずっと思っていたチュートリアは困惑してしまう。
――その『記憶』は『偽り』の『記憶』、だから、逃げてしまってもいいんだよ?
自分の知っている『記憶』が自分のものではない?
であれば、これは、誰の記憶?
じゃあ、私は――
「――チュートリア」
「え?」
気がつけば、目の前にアターシャが居た。
アターシャはどこか緊張した面持ちでチュートリアを見つめていた。
背中の槍に反射的に手を伸ばす。
アターシャはそんなチュートリアを見つめ、背中の剣に手を伸ばそうとして――
「不粋だな。私が引こう……戦女神のレジアンの心遣い、無駄にするわけにもいくまい」
「……アターシャ」
「偽りの記憶に捕らわれた貴様と私、どこまでいっても――どこまでいっても私たちは殺し合うのだろう」
だが、チュートリアには今し方自分の頭をよぎった思考に振り回され、困惑してしまう。
怖さに、身がすくむ。
また――また、殺されるのか。
だが、アターシャはそんなチュートリアを見て嘲ることもなく目を伏せた。
「……同じだよ。お前も、私も――」
アターシャは吐き出すように告げるとチュートリアの傍らを通り過ぎてゆく。
そして、チュートリアは背中越しに自分の知らないアターシャを知る。
「――永遠の別れが来る。だから――今を大切にしてくれ」
どこか、悲しげなその響き胸の奥が痛くなる。
とぼとぼと森の奥へと消えていくアターシャを見送り、その背を追いかけることもできない。
涼しい風が吹き、森のさざめきが広がる。
どこまでも穏やかな時間がまた、戻ってくる。
焦がれて、そして、今、手の中にありながら。
――だけど、今、自分が、どこにいるかわからなくなる。
◆◇◆◇◆
ちゅーとりあのにっき
こんなじかんがずっとつづけばいいとおもっていた。
けだるくても、どこか、おだやかで、ときおりくだらないことでわらったり。
だけど、わたしがおわったように、また、そんなじかんもおわってしまう。
こわくて、こわくて、うごけずにいたわたしに、それはいったんだ。
それはとても、だいじなことで、いのちをかけるかちがあると。
なんで、このひとは。




