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【07】疑惑、衝突、謝罪


 次の日から登校する啓孝と結美の傍らにはフェノンがぴたりと寄り添っていた。兄妹以外の人間はもちろん彼がそこにいることに気づかない。

「おまえ、もうちょっと離れて歩けないのか」

「あまり離れていては声が届きませんので」

「おまえと話すことなんて何もない」

「俺もアキタカさんと話すことは特にないですよ」

「だったら離れろ」

「俺はユーミ様のおそばにいるだけです。お気になさらないでください」

「――っ」

 涼しげに微笑するフェノンと、苦虫を噛んでしまったような顔の啓孝。

 そんなやりとりも端からは、啓孝が隣を歩く妹を邪険に扱っているようにしか見えないのである。

 結美がくすくすと笑いながらながら「あんがい仲いいね、二人とも」と言うと、啓孝は「どこがだ」と心底嫌そうな顔をした。

 学校に着くとフェノンはの当然のように結美のあとについて教室へ向かう。啓孝はその後ろ姿を苦々しく思いながら見送った。

 フェノンを張りつかせておくことに、まったく憂いがないわけではない。だが、その気ならフェノンはとっくに行動に出ているはずだ。時が来るまで結美を連れて行くことができないというのは、本当なのだろう。態度を見るかぎり、彼が結美に不信感を持たせたくないのは明白だ。たとえ啓孝がそばにいなくても、フェノンが結美に無理を強いるとは考えにくい。だからいまは放っておいても大丈夫だと、啓孝はそう思っていた。


 結美の様子がおかしいことに気がついたのは、その日の夕方、学校から帰宅してからだった。

 上の空でぼぅっとしているかと思えば、どこかそわそわした様子だったりと妙に落ち着きがない。

「結美、何かあったのか?」

 堪えかねて訊ねると、「な、なンにもナイよ?」若干上ずった答えが返ってきた。

 不審に眉をひそめかけた啓孝は、はっと思い至った。

「……ひょっとして、また誰かに告白されたのか?」

「え?」

「聞いたぞ。おまえ、けっこうモテるんだってな」

「――や、何それ。そんなのないない! あるわけないじゃん。急に何? 誰が言ったのそんなこと」

「昨日、クラスのやつが言ってたんだよ。おまえが男に呼び出されてたって。だから昼休みに音楽室なんかにいたんだろ」

「違うってば! あれはフェノンとちゃんと話がしたかったから、誰もいないとこを選んだだけだもん」

 と、狼狽えたようにぶんぶんと首を振っていた結美が、にわかに半眼。顔をずいっと啓孝に近づけた。

「……ていうか、あき兄、それってあたしが告白されてると思って覗きにきたってこと?」

「のぞ……!? 違っ、僕はちょっと様子を見に行っただけで――」

 あっさり見透かされて今度は啓孝が慌てる番だった。耳を赤くする啓孝に結美は「やっぱ覗きじゃん!」と追い討ちをかける。違う違わないと子供のように言い合いをしていた二人の間に、フェノンの張りつめたような声が割り入った。

「アキタカさん、その話はどなたからお聞きになったのですか?」

「だからクラスメイトだよ。そう言っただろ」

「……そうですか」

 そう言ったきりフェノンは沈黙してしまった。下唇に軽く人差し指の背をあてて、なにやら思案顔だ。「フェノン?」と、結美が名を呼んでも戻ってこない。

 啓孝は結美と顔を見合わせ、お互いに首を傾げた。




「結美!? どうしたんだ、その格好!」

 その翌日、結美はとんでもない状態で帰ってきた。

 二階から降りてきたところで、ちょうど帰ってきた妹を玄関で出迎えた啓孝は目を疑った。

 汚れた制服。二の腕がぱっくりと裂けたシャツの袖、その下にのぞく白い包帯。膝に大きな絆創膏を貼りつけて、両足にも細かい切り傷や擦り傷ができている。

 誰が見ても顔色を変える姿だというのに、当の本人は二人の異世界人を背後に従えて、あははと眉尻を下げた。

「ちょっと、転んじゃって」

「どんな転び方したらそんなことになるんだよ! いったい何があったんだ」

「な、なんにもないよ。ホントに、転んだだけだから」

 大股で詰め寄る兄を押し止めるように、結美は両手を胸の前にあげた。その左手にも包帯が巻かれているのを見て、啓孝の柳眉がつり上がる。気がついた結美が慌てて両手を後ろに隠すがもう遅い。

「結美!」

 気まずげに視線を逸らす結美。思わず手を伸ばしかけた啓孝は、だが、それ以上近づくことはできなかった。彼女の後ろに控えていたフェノンが、すかさずそれを拒んだからだ。

「ユーミ様が傷を負われたのは、すべて護衛者である我々の責任です」

「フェノン!」

 目の前に立つ男の腕を掴んで、結美が制止の声をあげた。

「そんなことは聞いてない。何があったかを聞いてるんだ。一日中張りついてたんだから知ってるはずだよな」

 言い逃れは許さない。睨みつけるような啓孝の視線をフェノンはまっすぐ返してきた。

「……先刻、ユーミ様を狙った襲撃がありました。襲ったのは我々と敵対する勢力の者たちです」

 目的はおそらく――とフェノンは一度言葉を切った。先を口にするのが不快だとありありと端正な顔に滲ませて。

「ユーミ様の暗殺です」

 日常生活でそうそう耳にしない非現実的な単語に、啓孝は絶句した。

 結美は顔をうつむけフェノンの腕を掴んだまま。髪に隠れて表情は見えないが、ほんのわずかその指が震えているように見えて。啓孝は再びフェノンに向き直った。腹の底に沸き上がる感情を押さえつけ、拳を固める。

「どういうことだ。なんで結美が――」

 結美は争いを終わらせることができる特別な存在。そう言ったのは他ならぬフェノンだ。それがなぜ命を狙われなければならないのか。

「ユーミ様は確かに、百年続いた不毛な争いを終結に導くと予言を受けました。それは、言い方を変えればユーミ様のお力で戦の勝敗が決まるということです。――わかりませんか? 我々にとっての救世主は、奴らにとっては脅威なんですよ」

「……だから、結美が襲われたっていうのか」

「はい」

「あたりまえみたいな顔で言うな!」

 言うが早いか啓孝はフェノンの胸ぐらに掴みかかっていた。「あき兄!」と自分を呼ぶ声も遠い。

「なんで黙ってた。最初から知ってたんだろ、結美を狙うやつらがいるってこと……っ」

「アキタカさんにお話しても余計な混乱を招くだけだと判断しました。現に、あなたはいまひどく動揺されている」

「あたりまえだ! そんな理不尽な理由で家族を傷つけられて、黙っていられるわけないだろっ」

 啓孝を見るフェノンの眼差しは冷め切っていた。無造作に胸元を掴む手を払いのけながら、唇が薄く孤を描く。

「ですから、あなたにはお伝えしなかったのですよ。心配なされなくてもユーミ様が故郷に戻られれば、奴らとて簡単には手出しできません。それまでは我々がこの身を賭けてユーミ様のお命をお守りいたします」

 一瞬。視界が白く染まった。

 我を忘れたのは初めての経験だった。

 じんとした痛みが残った右の拳と、悲鳴じみた妹の声で啓孝はようやく自分がフェノンを殴ったのだと気がついた。

 あくまで啓孝を蚊帳の外へ追いやり、結美のことを自分たちだけの問題だとしようとするフェノン。それ以上に何も気づけなかった自分に啓孝は腹が立っていた。

 学校に行く結美を強く引き止めたり、護衛だと言って学校にまで付いてきたり。フェノンは頑なに結美のそばを離れなかったのに。呆れるだけで、疑問に思うことも理由を尋ねようともしなかった。

 力任せに殴りつけたはずのフェノンは軽く顔を背けただけで、ふらりともしていない。こちらとは対照的な冷めた態度にまたイラ立ちが募った。

「あき兄やめてっ」

 ぎりっと奥歯を噛みしめる啓孝の前に、結美が無理やり身体をねじ込ませてきた。フェノンを守るように両手を広げる。

「結美、どいてろ」

「やだ。殴るなんてひどいよ、あき兄! フェノンは悪くないのにっ」

「そんな怪我までさせられて、なんでこんなやつ庇うんだ!」

「怪我をしたのは、あたしが言うことを聞かなかったからだもんっ。フェノンはあたしのこと守ってくれたんだよ!?」

「守ってだって? 結美、どうして自分がそんな目にあったのかわからないのか?」

「え……?」

「いま背中に庇ってるやつせいで、おまえは命を狙われる羽目になったんだ」

 予言などというものにどれほどの信憑性があるのか知らないが、彼らにとっては戦況を左右するかもしれない大事を公にするとは思えない。おそらく予言に読まれた子供を別の世界に匿うことは多くに隠されたことだろう。彼らと敵対する相手は、ごく最近まで結美の居場所を知らなかったのだろう。むしろそんな予言があることも知らずにいた可能性さえある。でなければ、とっくの昔に暗殺者なりなんなりが来ていたはずだ。それが、いまになって現れた。

 それはフェノンたちがやって来たことで、秘匿していた結美の存在が明らかになったということを意味している。

「なあ、そうだよな?」

 庇われた格好のままのフェノンに低く問いかける。彼はわずかに眉を顰めて「……その通りです」と、静かに答えた。

「聞いたろ結美、こいつがおまえを守るのは当然なんだよ。予言だかなんだか知らないけど、おまえを争いの道具にするつもりなんだから。優しい振りしてたって、結局自分たちの都合しか考えてないんだ」

「そんなことない!」 

 叩きつけるような強い否定に啓孝は目を見張った。

「フェノンたちはちゃんと優しいもんっ」

 顔を上気させ大きな瞳に険を滲ませた結美の顔をぽかんと見返す。本気で怒っている妹の姿を見たのは久しぶりだった。

「あき兄はなんにもわかってない。二人がどんな思いでここに来たのかも知らないでっ」

「――な、何言ってるんだよ。わからないのはおまえの方だろ。いったい何を吹き込まれたのか知らないけど、」

「もういい! あき兄のバカっ」

 焦れたように言い捨てて。結美は啓孝の脇をすり抜けた。「ユーミ様!」と、そのあとをすぐにフェノンが追っていく。

「なんだよ、どっちがバカだっ」

 振り向きざま、啓孝は階段を駆け上がっていく後ろ姿に向かって叫んだ。しかし、結美は立ち止まらず、二階の自室へと消えていった。

 残された啓孝は苛立たしげにため息を落とした。指の腹を眼鏡のブリッジにあて、ふと動きを止める。

 視線を感じてそちらを見ると、いつのまにか隣にセオが立っていた。内心、飛び上がるほど驚いたが、啓孝はすんでのところで悲鳴を飲み込んだ。

「いいい、いたのか。驚かすなよ……」

 跳ね上がった心臓をなだめながら、長身の男を見上げる。

 相変わらず表情筋が硬化したような、ムダに整った顔だ。フェノンとはまた違う趣で人目を引く男だが、セオはいつもその場にいることを忘れるほど存在を感じさせない。必要がなければいつまででも黙っているからなおさらに。いまも結美と一緒に帰宅してからずっと傍に控えていたにもかかわらず、啓孝はセオがいたことをまったく意識していなかった。

 気配を消すのがうまいのだとフェノンは言っていたが、そうでなくてもセオは家でも学校でも所在の知れないことが多かった。啓孝がセオとまともに顔を合わせたのは、彼らが初めて家にやってきた日以来だ。

「すまなかった」

「――は?」

 まさかいきなり謝罪されるとは思わず、啓孝まじまじとセオを見つめた。黒に近い、深い森の色を映した瞳からは、やはりこれといった感情は読み取れない。

「フェノンのあれは、やつあたりだ」

「……やつあたり?」

「彼女を守りきれず傷を負わせた自分のことが許せないのだろう」

 フェノンの態度の悪さは素ではなかったのか。呆れと苦笑半分。啓孝はため息とともにずり下がった眼鏡を押し上げた。

「はっ、なんだ。あいつも見た目に反して――」

 子供っぽいんだなと嫌味を続けようとして、啓孝は口をつぐんだ。

 さっき自分がフェノンを殴った理由も、似たようなものだと気づいたからだ。

 守ると言ったのに。結美が危険に晒されていたことも知らなかった。知ろうとしなかったのは自分だ。それを棚上げして感情のまま手をあげた。

 ――なんだよ。フェノンよりよっぽどガキじゃないか。

 急に黙り込んだ啓孝を不審に思ったのか、セオがほんのわずか首を傾けた。

「顔が赤い。どうした?」

「な、なんでもない。それより、なんであんたが謝るんだよ」

 やつあたったのはこっちも同じ。むしろ暴力をふるったのだからこちらに多く非があるかも知れない。なんにせよ、そばで見ていただけのセオに頭を下げられる理由なんてひとつもないのだ。

 セオは表情ひとつ変えず、抑揚のない声で言った。

「今回のことは我らの落ち度だ。おまえたちが反目する必要はない」

 そう言われて、啓孝はようやく突然の謝罪の真意を呑み込んだ。セオは自分たちせいで兄妹が仲違いをしたと、責任を感じているらしい。感情らしいものが欠落したようなこの男がそんなことを気にするとは思わなかった。

「結美とのことは、あんたたちには関係ない」

 セオの眼差しから逃れるように、啓孝は顔を伏せた。廊下の板の目を意味もなく見つめる。

 確かに怪我をしたのは彼らのせいだと責め立てた。自分の知らないところで妹が危険なことに巻き込まれていたことに憤りも覚えた。しかし、実のところ結美がそれを隠そうとしていたことのほうが、啓孝にとってずっとショックだったのだ。フェノンを庇ったのは、自分には最初から何も話さないつもりだったからだろう。それが胸を波立たせた。

 じっと啓孝を見下ろしていたセオが静かに背を向けた。

「――心配するな。敵はすべて私が排除する。彼女にはもう指一本触れさせない」

 その言葉にいままでになかった響きを感じ取り、啓孝は驚いて顔を上げた。どこへ行ったのかセオの姿はすでになかったが、まるで自分を気遣うような声音が耳に残り啓孝は混乱せざるをえなかった





新年一発目の更新です。

予想外に長くなってしまいました。

読みにくかったらごめんなさい。


評価と感想とお気に入り登録、ありがとうございました!

驚きとともに、ものすごく励みになりました。

完結までがんばりますので、これからもよろしくおねがいします。

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