#5
今までそんなに感じたことは無かったけれど、私が逃げ込んだマンションが大きかったせいか、このアパートがやけに小さく見えた。
そんなアパートの小ささに比例しない私の心臓は大きく高鳴っていた。
緊張と嬉しさと興奮が混ざったような感覚に私は少し吐きそうになった。
2階建てのそのアパートの錆付いた螺旋階段を1段1段ゆっくりと上った。
1段上がる度に、私は目の裏に熱いものを感じた。
きっと興奮しているのだろう、と思った。
私と前田遼平のお城だった部屋に着き、私は辺りを見渡した。
1日前まで、私はこのアパートの住人だった。きっと誰も私を泥棒だなんて思わないだろう。
だけど私は、なんだか自分が泥棒になってしまったような気分になった。さっきよりもずっと、心臓が忙しなく動いていた。
私は小さく深呼吸をして、お気に入りの小花柄のキーケースの三つ目の金具からこのアパートの鍵を外した。
震える手に、しっかりとその鍵を握り、鍵穴にそれを差し込んだ。
こんな挙動不審に鍵を開けている姿を誰かに見られたら、私は泥棒だと勘違いされてしまうかもしれないと思った私は、不安に染まる心よりも早く、震えるその手を動かした。
鍵穴は、まるで私を待っていたかのようにすんなりと私の鍵を受け入れた。
私はホッとして腰が抜けそうになったが、それを堪えて部屋のドアを開け、中へ入って行った。
部屋の中に入ると、ふわりと前田遼平の匂いがした。
きれいに揃えられた彼の靴たちの横に、同じようにきれいに揃えて自分の靴を置いた。
ギシギシと小さく軋む床を歩き、部屋の中を見渡す。
そこは、私が飛び出したあの日と、何ひとつとして変わってはいなかった。
私が置いていったテディベアも、前田遼平と2人で集めたマンガも、私が駄々をこねて買って貰ったキャラクターのカレンダーも、大事に育てていたサボテンも、全部そのままだった。
前田遼平の姿は、当たり前にそこには無かったけれど、おかえりといつもの優しい顔で言ってくれてるみたいに思って、さっきから熱かった目の奥から込み上げる何かを、私は止めることが出来なかった。
目から溢れ出る暖かい何かのせいで、前田遼平が好きなのか?と思わず私は自分に問い掛けた。
答えがない訳ではないし、答えを迷っている訳でもない。
しかし、前田遼平との別れを最初に切り出したのは、私だった。
私がまだこのワンルームに住んでいた頃と同じようにガラスのミニテーブルの上に置かれているティッシュを私は3枚ほど手に取って、目から溢れるものを拭った。
それから私は、目的を見失う前に薄いピンク色の携帯電話を探し始めた。
最後に見たのは、充電器に繋がれてベッドの上に置いてある時だ。
しかし、もうすでにベッドの上には薄いピンク色の携帯電話の姿はなかった。