#3
私はそれから急いで投げ出された荷物の中からスケッチブックと鉛筆を掘り出した。
スケッチブックの中には、前田遼平と一緒に戯れて遊んだあの公園の野良猫の絵や、カメラを構える前田遼平の絵や、あの小さなワンルームの部屋で前田遼平と大事に育てたサボテンの絵や、そのスケッチブックの中には前田遼平との思い出が詰まっていた。
切なさにぽっかりと空いた穴が大きくなる心をきゅっと握りしめ、私はスケッチブックの白紙のページに今日1日の計画を書き始めた。
前田遼平が住む、あの小さなワンルームの部屋の壁に掛けられたカレンダーには、確か今日はバイトと予定が入っていたはずだった。
私は鮮明にそのカレンダーに書かれた彼の繊細な文字を思い出した。
「バイト 13時~17時まで」前田遼平の繊細な文字は私の大好きなキャラクターのカレンダーにはっきりと書かれていた。
前田遼平はそのキャラクターが好きでは無かったが、私が駄々をこねて買ってもらったのだ。
私はまだそのカレンダーはあの小さなワンルームの部屋の壁に掛けられているのだろうかと思った。
そして、まだ掛けられてればいいなぁなんてことも思ってしまっていた。
一通り今日の計画を書いた後、スケッチブックのそのページを破いて、6つ折りにしてジーンズのポケットに入れた。
それから今の自分の格好をもう一度確認して、何を思ったのか、私は前田遼平が好きだった洋服に着替えることにした。
別に彼に会いに行くわけでもないのに、むしろ彼に会わないように行かなくてはいけないのに、私はただなんとなく、前田遼平が好きだった洋服に着替えたのだった。
それは淡いピンクのワンピースで、どこか春を感じさせるような色合いだった。
それから私は部屋を出て、自転車にまたがり坂を下りた。
時計が無いので時間がわからない私はコンビニで13時になるまで時間を潰すことにしたのだ。
私はまだ寒い空気に春色のワンピースで体当たりをした。
パタパタと風になびく春色のワンピースは雪に迷い込んだ春を探していた。
自転車を停めて、私はコンビニへ入っていった。
意外にも時間はもう12時を過ぎた頃で、私は適当に雑誌を手に取って見ていた。
手に取ったファッション雑誌の中には前田遼平が好きそうな服がチラホラ載っていて、それを見るたびに私の胸がきゅんとした。
この服を私が着たら前田遼平はなんて言うのだろう。
似合わないのに無理するなよ、なんてあの頃と変わらない表情で言うのかな。
なんだかそんなことを思っているのが馬鹿らしくなってきた私は、雑誌を棚に戻してお菓子コーナーへと向かった。
お菓子コーナーの棚の1番下の段にある駄菓子を見ていたら、また前田遼平の顔が浮かんだ。
私たちは駄菓子がとても好きで、よく近くの駄菓子屋さんで買ってたっけなぁなんてことを思い出してまた胸がきゅんとした。
前田遼平から離れるために今この街に逃げ込んで来たのに、私が持ってきた持ち物にも、たまたま逃げ込んだ街にあるコンビニにも、前田遼平を思い出す品がたくさんある。
別れとは所詮そんな物なのだろうか。
私は頭を掻いてコンビニを出た。
コンビニの自動ドアの前でちらりと見た時計がカチカチと刻む時間はまだ12時半くらいだった。
私は自転車にまたがって今度は駅へと向かった。
駅までは多分5分くらいで着くと思う。どうせなら駅に近い方が良いと、私はあの1DKの部屋が12部屋ある3階建ての鉄筋コンクリートのマンションを選んだのだから。
雪解けで濡れた歩道を自転車で走る。冷たい空気を体全体に感じて私は少しだけ身震いをした。
まだ見慣れない景色を自転車の上から眺めた。
大きなデパートや本屋や大学もあるこの街の雰囲気に、私は早く飲み込まれてしまいたかった。
駅の駐輪場に着いて、私は自転車を降りて鍵をかけた。その鍵はお気に入りのキーケースの一つ目の金具にまた取り付けた。
駅に入り切符を買う。
前田遼平が住むあの小さなワンルームの部屋は、私が今いる街から3つ目の駅を降りた所にある。
私は3つ目の駅までの切符を買って改札をくぐり抜けた。