#2
私の目にとまったのは一人の男の人だった。
短めの茶色い髪の毛にゆるくあてられたパーマと白と紺色のボーダーのTシャツの上に灰色のパーカーを羽織って、黒いスキニージーンズを履いた男の人。
「か、っこいー…」
「だれだれだれだれ!?どれどれどの人!?」
興奮する明日香の横で、小さく彼を指差してみる。
彼は気づいていないみたいだけど、気づかれたらどうしようって少しだけドキドキした。
「あーゆう人がタイプなのねぇ?」
明日香は少しニヤニヤしながら私を見てそう言った。
そうです。私、彼みたいなタイプ、どんぴしゃです。
「もうすきでしょ」
「え?」
3講目の最中で、隣に座る明日香が、私を覗き込んでそう言った。
「だれを?」
「さっきの彼を!」
「さっきの彼…」
急に思い出す。
あの時の感覚を。
息ができなかったはずなのに、苦しくない、むしろ心地よい感覚を。
「もう、すきでしょ?」
すき?…すき、かもしれないのかもしれないけど、まだ、やっぱり、わかんないや。
「わかんないや」
「でもきっと、これからもっとすきになるよ」
「なんでわかんのー」
「勘だよ勘~あたしの勘は当たるんだよ」
明日香の勘は当たるらしい。
明日香が変なことを言ったからなのか、明日香の勘が当たっているだけなのか、3講目の間、私の頭の中はさっきの彼でいっぱいだった。
そして、勝手にどんな人間なのかを想像してみる。
素朴な顔をしていたから、きっと無口だと思う。
声は…低め?高くはない気がする。
服装はシンプルなものがすきで、こだわりもありそう。
彼女は…いそうなようでいなそうで…。
勝手に想像した彼の性格に、また息が止まりそうになった。
「か、っこいー…」
息を吐きだすような声で、私はそう呟いてから机に突っ伏した。
そんな私の様子を、ニヤニヤしながら横目で見ている明日香を気配で感じた。
「あたしもう今日の講義これで終わりー!」
「いーなー」
「きららはあと1講残ってるんだっけ?」
「そうだよー」
「まぁ、がんばって!」
「えー!待っててよー」
「やだよーそんな時間長いのやだし」
「ちぇー」
「がんばってねぇ~」
そう言って明日香は小さく笑って手を振った。
明日香の後姿はとても魅力的で、真っ赤なリュックが似合っていた。
帰ったらだいすきな先輩にメールをするのかな。うまくいくといいな。
私も、さっきの彼と、ちょっと仲良くなってみたいな。
一人で次の教室に向かっている途中、私はなんだか緊張していた。
もしかしたら、彼に会えるかもしれない。
もしかしたら、彼とすれ違うかもしれない。
もしかしたら、彼も私を気にかけてくれるかもしれない。
たくさんの「もしかしたら」を抱えながら、私はたくさんの知らない人が溢れる大学内を一人で歩いていた。
「いないなぁ…」
たくさんの「もしかしたら」の考えとは裏腹に、彼は一向に見当たらなくて、やっぱり人生ってそんなに簡単なもんじゃないなと改めて思った。
4講目が終わって携帯を見ると、明日香からの着信があった。
私は教室を出て、歩きながら明日香に電話をした。
「もしもーし」
「もしもし?講義おわった~?」
「終わったよー」
「おつかれー」
「なしたの~電話してきて」
「いや~なんとなくねぇ、さっきの彼に会えたかなって思って」
「会えないよ全然!」
「本当に~?」
「…あ」
さっき明日香に「会えないよ全然」って言ったばっかりなのに、言ったばっかりなのに…ばかりなのに…。
ふんわりと小さな風が私の髪を揺らす。彼が起こした小さな風だ。
少しだけ笑ってすれ違う彼の余韻を、私は目の中で感じた。
「もしもーし?きらら~?」
「…あ、会っちゃった…」
「えー!?まじでー!?」
ドキドキが止まらない。心臓が死んじゃいそうなくらい。
それくらい彼はかっこいい人間だった。
やばい、私、本気で彼に恋をしてしまうかもしれない…。