第22話 裏切りと、それでも壊れないもの
エルドラの空気は、落ち着きを取り戻した――ように見えた。
銀行の前には再び人が並び、
市場には十分な物資が戻っている。
河川輸送も安定し、
流れは完全にこちら側に戻っていた。
だが。
「……まだ終わってないな」
俺――アルクは、広場を見ながら静かに呟いた。
セリナが隣で頷く。
「当然だろ」
「ミレイアはあれで終わる女じゃない」
ロイドも低く言う。
「むしろ、ここからが本番だ」
リナが少し不安そうに俺を見る。
「アルク……また何か来るの?」
「来る」
即答だった。
「しかも今度はもっと内側からだ」
その予感は、確信に近かった。
―――
異変は、その日の午後に起きた。
「アルク様!」
銀行の職員が駆け込んでくる。
息が上がっている。
明らかに普通じゃない。
「どうした」
「帳簿が……合いません」
沈黙。
ロイドの表情が一瞬で変わる。
「どの程度だ」
「銀貨三百枚分……」
小さくない。
だがもっと重要なのは――
「不正か?」
俺が聞くと、職員は首を振った。
「分かりません……ただ、記録と実数が一致しません」
セリナが低く言う。
「内部だな」
その一言で、空気が凍る。
リナが小さく呟く。
「……嘘でしょ」
信じたくないのは当然だ。
だが。
「調べる」
俺は即座に動いた。
―――
銀行内部。
石造りの建物の中は静まり返っていた。
いつもは忙しく動く職員たちも、今はどこかぎこちない。
視線が合わない。
空気が重い。
「帳簿を全部出せ」
俺が言うと、すぐに運ばれてくる。
紙をめくる。
数字を追う。
違和感はすぐに見つかった。
「……ここだな」
一点だけ、微妙にズレている。
ほんのわずか。
だが意図的だ。
ロイドも覗き込む。
「……巧妙だな」
「一度に抜いてない」
「少しずつか」
そう。
一気に抜けばバレる。
だから時間をかけて、少しずつ。
だが――
「ミスじゃない」
「確実にやってる」
セリナが周囲を見渡す。
「誰だ」
その言葉に、空気が張り詰める。
誰も口を開かない。
誰も動かない。
だが――
一人だけ。
ほんの一瞬、視線を逸らした男がいた。
「……お前だな」
俺が静かに言う。
男の肩が跳ねた。
「な、何を――」
「帳簿の担当だろ」
沈黙。
「ズレてる場所、全部お前の記録だ」
逃げ場はない。
男の顔が青くなる。
「……違う」
「俺は……」
言い訳にならない。
そのまま崩れるように膝をついた。
「……金が必要だった」
絞り出すような声。
「家族が……病気で……」
リナの表情が揺れる。
「そんな……」
だが俺は動じない。
「誰に言われた」
男が顔を上げる。
一瞬、迷う。
だがすぐに崩れた。
「……バルザードの女だ」
やはり。
ミレイア。
「金を渡すって……」
「情報も流せって……」
完全に内部侵入だ。
ロイドが歯を食いしばる。
「やりやがったな……」
セリナの目が細くなる。
「本気だな」
―――
外に出る。
空気が少し冷たい。
リナがすぐ隣に来る。
「アルク……」
「どうするの?」
その声には迷いがあった。
当然だ。
罰するのか。
許すのか。
それは簡単な問題じゃない。
俺は少しだけ考えて――
答えた。
「切る」
リナが息を呑む。
「でも」
一拍。
「全部は切らない」
その言葉に、ロイドが目を細める。
「どういう意味だ」
「利用する」
沈黙。
セリナが笑う。
「なるほどな」
「二重にするのか」
その通り。
「泳がせる」
「向こうに情報を流させる」
「ただし――」
一拍。
「こっちが用意した情報だけをな」
ロイドが頷く。
「罠か」
「そう」
単純な対処じゃない。
これはもう――
「情報戦だ」
―――
夜。
温泉。
だが今日は、空気が少し違う。
静かだ。
リナが隣に座る。
いつもより近い。
でも今日は、少しだけ様子が違う。
「……アルク」
「ん?」
「さっきの人」
少し間。
「かわいそうだった」
正直な言葉。
俺は少しだけ目を閉じる。
「そうだな」
「でもな」
一拍。
「だからこそ使われた」
沈黙。
リナが俺の腕を軽く掴む。
「……アルクは」
言葉を探す。
「冷たい?」
少しだけ震えている。
俺はすぐに答えた。
「違う」
一拍。
「守るためだ」
その言葉に、リナの手の力が少し強くなる。
そのまま、ゆっくりと寄ってくる。
肩が触れる。
温もり。
「……そっか」
その声は、少しだけ安心していた。
その時。
ツルッ。
「きゃ!」
反射的に抱き寄せる。
距離ゼロ。
体が密着する。
いつもより強く。
「……アルク」
「はい」
「今日のは」
一拍。
「離れないで」
珍しく、はっきりした言葉。
そのまま、少しだけ胸元に顔を寄せてくる。
呼吸が近い。
温度が伝わる。
俺はすぐには離さなかった。
その静かな時間を――
バシャッ!!
「混ざれ」
セリナだ。
「やめろ!」
「タイミング考えろ!」
セリナが笑う。
「いい感じだったのにな」
リナが真っ赤になっている。
でも――
少しだけ、離れるのが遅かった。
―――
同時刻。
バルザード。
「成功ね」
ミレイアが静かに言う。
「内部に入った」
だが次の報告で、わずかに目が細くなる。
「……泳がされてる可能性?」
一拍。
そして笑った。
「いいじゃない」
「それでも壊す」
戦いは、さらに深くなる。




