表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/36

第21話 内側に入り込む影と、揺れないための理由

エルドラの朝は、見た目だけなら平和そのものだった。


石畳の通りを行き交う人々。

朝の市場に並ぶ野菜や塩、布や鉄製品。

河川輸送で入ってきた荷が次々と運び出され、荷車が忙しそうに行き来している。


パンの焼ける匂いが漂い、子供たちの笑い声まで聞こえる。


けれど――


「空気が違うな」


俺――アルクは、広場の端に立ちながら小さく呟いた。


隣にいたセリナが、面白くなさそうに鼻を鳴らす。


「ようやく気づいたか?」


「昨日から妙だと思ってた」


「昨日からじゃない。今朝はもっと露骨だ」


言われて周囲を見渡す。


確かに、人の数は多い。

露店も出ている。

流通も動いている。


それなのに、どこか落ち着かない。


商人同士の会話が短い。

職人たちの視線が頻繁に交差する。

誰かが何かを探っているような、そんな空気。


リナが俺の隣まで来て、小さな声で聞いた。


「アルク……なんかあったの?」


「まだ分からない」


そう答えながらも、嫌な予感はしていた。


ミレイアはあの程度で終わる相手じゃない。

人材の引き抜きが通じなかったなら、次はもっと深いところを狙ってくる。


金でもなく、物流でもなく――


「信用、か」


俺が呟くと、後ろから足音がした。


「正解ですわ」


振り向く。


そこにいたのはエリシアだった。


銀髪を揺らし、やや険しい顔でこちらに歩いてくる。


「王都から連絡が入ったわ」


「何だ?」


「エルドラに関する“妙な噂”が広がってる」


ロイドも合流し、眉をひそめる。


「どんな内容だ?」


エリシアは一枚の紙を差し出した。


そこには簡潔に、しかし悪意たっぷりに書かれていた。


――エルドラの銀行は危険。

――預けた金が消える。

――河川輸送は事故だらけ。

――都市主アルクは人心を惑わす危険人物。


「……分かりやすいな」


紙を見ながら、俺は苦笑した。


ロイドの顔は笑っていない。


「銀行を狙ったか」


「人と金の流れ、その両方を止めに来たのね」

エリシアが静かに言う。


セリナは腕を組んだまま、つまらなさそうに肩をすくめた。


「まっすぐ殴れない奴は、だいたいこういうことをする」


その通りだった。


物流を止める。

人を引き抜く。

それが駄目なら、今度は不安をばら撒く。


目に見えない毒を街に流し込む。


「問題は」


ロイドが低く言う。


「噂は事実でなくても効くことだ」


そこが厄介だった。


人は“本当かどうか”より、“もしかしたら”で揺れる。

特に金と生活が絡めばなおさらだ。


「もう動きは出てるのか?」


俺が聞くと、ロイドは少しだけ間を置いた。


「今朝、銀行の引き出しが少し増えた」


「どのくらいだ」


「普段の二倍」


少ないようでいて、十分に不穏な数字だった。


一人が引き出せば、二人目が不安になる。

二人目が不安になれば、十人目が動く。


それが“流れ”になる前に止めなければならない。


「会議だな」


俺が言うと、全員が頷いた。


―――


会議室の中は静かだった。


石造りの壁が外の喧騒を遠ざけ、逆に緊張を濃くする。


ロイド、エリシア、セリナ、そしてリナ。

全員の顔が揃うと、自然と空気が引き締まる。


俺は机の上に噂の紙を置いた。


「やることは二つだ」


指を二本立てる。


「一つ。噂の出所を見つける」


そしてもう一本。


「二つ。街の不安を先に潰す」


エリシアが頷く。


「後者は公的な保証が必要ね」


「できるか?」


「王国監察官として、“現時点で銀行の不正なし”という証文は出せる」


それは大きい。


ただの口約束じゃなく、王国側の立場を持つ人間の保証になる。


ロイドも続けた。


「商人ギルド側からも出そう。預託金の帳簿を公開する」


「そこまでやるのか?」


リナが驚いた顔をする。


ロイドは即答した。


「こういう時ほど“隠さない”のが一番強い」


確かにそうだ。


不安は見えないところで膨らむ。

なら、最初から全部見せてしまえばいい。


「出所はどうする?」


セリナが問う。


その目は少しだけ鋭い。


「それは俺がやる」


そう答えると、リナがすぐ反応した。


「一人で?」


「一人じゃない」


俺は机の端に置かれた小さな金属板を手に取った。


薄い銀色の板。

そこに細かな術式が刻まれている。


「錬金術式の共鳴板だ」


リナが首をかしげる。


「なにそれ」


「簡単に言うと、“同じ紙”を探す道具」


俺は噂の紙を板に近づけ、魔力を少し流した。


すると、板の中央に淡い光が灯る。


「この紙、普通の紙じゃない」


「繊維に微量の特殊樹液が混ざってる。流通量が少ない素材だ」


ロイドが目を細めた。


「出所を絞れるのか」


「たぶんな」


完全ではない。

でも十分だ。


噂は目に見えない。

けれど、それを運ぶ紙や人は目に見える。


なら追える。


「夕方までに片をつける」


俺が立ち上がると、リナも立ち上がった。


「私も行く」


「危ないぞ」


「それでも行く」


即答だった。


珍しく迷いがない。


セリナがニヤリと笑う。


「なら私もだ」


「お前は当然だろ」


「信頼されてるな、私」


その軽口に少しだけ空気が緩む。


でも、やることは変わらない。


これは街を守るための戦いだ。


剣も魔法もいらない。

必要なのは、誰が何を仕掛けているかを見抜くこと。


―――


夕方。


エルドラ西区画。


市場から少し外れた、倉庫や工房が並ぶ通り。


人通りはあるが、表通りほど多くはない。

だからこそ、裏の動きが生まれやすい。


共鳴板は、ここに来て反応を強めていた。


「この先か」


俺が呟くと、セリナが周囲を警戒しながら前を見た。


「倉庫街だな」


リナは俺の袖を掴んだまま、小さく息を呑んでいる。


「ほんとにいるの……?」


「いる」


光が、明らかに強くなっていた。


そして一つの古い倉庫の前で、ぴたりと止まる。


中から声がした。


「だから、明日の朝までに全部回せって言ってるだろ!」


男の苛立った声。


別の声が続く。


「でも、もう城門近くじゃ配れません。監視が――」


「馬鹿か、だったら酒場と宿に流せ! 不安は人が集まる場所で広がるんだよ!」


当たりだった。


セリナが口元を歪める。


「見つけたな」


俺は軽く頷くと、扉を開けた。


ガン、と鈍い音。


中にいた男たちが一斉に振り向く。


机の上には、同じ紙が大量に積まれていた。


一人が顔色を変える。


「なっ――」


「噂の出所、見つけた」


俺が静かに言うと、男はすぐ逃げようとした。


だが、その前にセリナが動く。


一瞬だった。


気づいた時には男の腕が捻り上げられ、床に押さえつけられている。


「ぐあっ!?」


「逃げるな」


冷たい声。


リナが少しだけ俺に近づいた。


怖いのだろう。

でも逃げない。


そこがリナの強さだった。


「誰に頼まれた?」


俺が聞くと、男は視線を逸らす。


「し、知らねぇ……!」


「じゃあ、これだけの紙と金を自分で用意したのか?」


机の上には小袋があった。

中には銀貨がぎっしり詰まっている。


沈黙。


分かりやすい。


「言え」


俺が少しだけ声を落とすと、男の喉が震えた。


「……バルザードの、商会の人間だ」


やはり、か。


でもそこで終わらなかった。


男は青ざめたまま続ける。


「黒髪の女だ……名前までは知らねぇ……でも、あいつが全部――」


「ミレイアね」


後ろから声。


振り向く。


そこに立っていたのは――


本人だった。


倉庫の入り口に寄りかかるように立ち、まるで最初から全部見ていたみたいに微笑んでいる。


「ほんと、仕事が雑」


軽くため息をつく。


男の顔が凍る。


「ひっ……!」


ミレイアはそんな男を一瞥しただけで、すぐに俺へ視線を戻した。


「思ったより早かったわね、アルク」


「お前が甘く見すぎたんだろ」


「そうかも」


そう言って笑う。


本当に、この女は掴みにくい。


追い詰められているように見えない。

むしろ、楽しんでいるようにすら見える。


「信用を揺らせば、街は脆いと思ったのだけれど」


「脆くない」


「ええ、知ってる」


一歩、こちらへ近づく。


「だからもっと知りたくなったの」


その距離に、リナがすぐ割って入った。


「近い!」


ミレイアが少しだけ目を細める。


「あなた、ほんと分かりやすいわね」


「う、うるさい!」


セリナも前に出る。


「今度は何しに来た」


「見学」


「ふざけるな」


「半分は本気よ」


そしてミレイアは俺を見た。


その視線だけで、空気が少し変わる。


「ねえ、アルク」


「何だ」


「こういうの、嫌いじゃないでしょう?」


「面倒は嫌いだ」


「でも、退屈はもっと嫌いそう」


……否定しづらい。


その一瞬の間に、ミレイアは小さく笑った。


「今日はここまでにしてあげる」


「次はもっと上手くやるわ」


言うだけ言って、あっさり踵を返す。


止めようとしたセリナを、俺は手で制した。


「いい」


「逃がすのか?」


「今はな」


ミレイアは振り返らずに去っていく。


だが最後に、肩越しに一言だけ残した。


「気をつけて。次は“噂”じゃ済まないから」


扉が閉まる。


倉庫の中に残るのは、重い静けさだけだった。


―――


夜。


温泉。


湯気の中、ようやく一息つける時間。


けれど、今日のリナは少しだけ様子が違った。


「……アルク」


「ん?」


「さっき、怖かった」


「倉庫か?」


「うん」


少しだけ間を置いて、リナは続ける。


「でも、それより」


肩が触れるくらい近づいてくる。


「……あの人が、アルクに近いのが嫌だった」


珍しく、まっすぐな言葉だった。


湯気のせいじゃない。

明らかに顔が赤い。


俺が何か言いかけた、その瞬間。


ツルッ。


「きゃっ!」


滑る音と同時に、反射で腕を伸ばす。


抱き寄せる。


距離が、一気にゼロになる。


柔らかい感触。

濡れた髪の匂い。

肩口に触れる肌の熱。


リナの呼吸が止まる。


「……アルク」


「はい」


「今のは」


「事故だ」


「……うん」


でも、離れない。


むしろ少しだけ、胸元に額を預けるように寄ってきた。


「もう少しだけ、このまま」


小さな声。


その声に、さっきまでの不安が残っているのが分かった。


だから、すぐには離さなかった。


その静かな時間を壊したのは、やっぱりセリナだった。


バシャッ!


「混ざれ」


「やめろ!」


「空気読め!」


リナが真っ赤な顔で抗議する。


セリナは面白そうに笑っている。


いつもの騒がしさが戻る。


でも、その奥で確かに思った。


この街を守りたい。

この時間を守りたい。


その理由が、前よりずっとはっきりしてきた。


―――


翌朝、エルドラでは王国監察官の証文と商人ギルドの帳簿公開が行われた。


噂は一気に失速した。

不安は完全には消えない。

だが、少なくとも“見えない毒”は広がる前に止められた。


そして遠く離れたバルザードでは、ミレイアが静かに笑っていた。


「やっぱり、簡単には崩れない」


机に肘をつき、頬杖をつく。


その目だけが、愉しそうに細められる。


「なら次は――」


誰にも聞こえない声で、彼女は呟いた。


「もっと深く、壊してみましょうか」


戦いは、まだ終わらない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ