第19話 揺さぶりと、近すぎる距離
エルドラの流れは、完全にこちらに戻っていた。
いや――戻ったというより、加速していた。
「こっちの方が早いぞ!」
「川便の方が安い!」
「エルドラ経由に切り替えろ!」
市場の声が変わっている。
以前は“売る声”だったものが、今は“奪い合う声”に近い。
人の流れ。
物の流れ。
金の流れ。
すべてがエルドラに集中し始めていた。
「……効きすぎだな」
俺――アルクは広場の端で腕を組みながら呟く。
ロイドが苦笑する。
「想定以上だ」
「バルザードの中枢まで揺らしている」
セリナが肩をすくめる。
「だから次が来る」
「次?」
リナが首をかしげる。
その瞬間だった。
「――お噂通りの街ですね」
静かな声が、空気を切り裂いた。
振り向く。
そこにいたのは――
一人の女だった。
長い黒髪。
無駄のない立ち姿。
そして、視線だけで空気を支配するような存在感。
ただの商人じゃない。
直感で分かる。
「バルザードから来た」
セリナが小さく呟く。
女は微笑んだ。
「ご明察」
一歩、前に出る。
「私はミレイア」
「バルザード商会、交渉役です」
ロイドの表情が変わる。
「……来たか」
「知ってるの?」
リナが小声で聞く。
「最悪クラスだ」
短く、だがはっきりとした答え。
ミレイアは俺を見る。
その視線は、まっすぐで――
妙に“近い”。
「あなたがアルク?」
「そうだ」
「思ったより……」
一瞬、間が空く。
「面白そうね」
軽く笑う。
その距離が、ほんの少しだけ詰まる。
リナがすぐに割って入る。
「近い!」
ミレイアが視線をずらさず言う。
「牽制?」
「違う!」
でも分かりやすい。
セリナが横で笑っている。
「いい反応だな」
―――
会議室。
空気は張り詰めていた。
ミレイアは椅子に腰掛け、足を組む。
仕草一つで“余裕”が分かる。
「単刀直入に言うわ」
「エルドラ、止める気はないのね?」
「ない」
即答。
ミレイアは少しだけ目を細める。
「いいわ」
「じゃあ次の段階に行く」
ロイドが警戒を強める。
「何をする気だ」
ミレイアは笑った。
「奪うの」
一拍。
「人を」
沈黙。
「商人だけじゃない」
「技術者、職人、資金」
「全部」
つまり――
内部崩壊を狙う。
リナが不安そうに俺を見る。
「アルク……」
だが俺は動じない。
「やれるならやってみろ」
ミレイアの口元がわずかに歪む。
「強気ね」
そして、ゆっくりと立ち上がる。
俺のすぐ前まで来る。
近い。
かなり近い。
視線が合う。
「でもね」
小さく、低い声。
「人は“条件”で動くの」
指先が、ほんの一瞬だけ俺の胸元に触れる。
軽く。
触れたか触れてないか分からないくらい。
でも――
確実に意図的。
リナがすぐに腕を引く。
「触らないで!」
ミレイアは楽しそうに笑う。
「過保護ね」
セリナが横から言う。
「手を出すなら、覚悟しろ」
低い声。
空気が一瞬だけ重くなる。
だがミレイアは気にしない。
「今日は挨拶よ」
扉へ向かう。
「次は本気で来る」
振り返る。
その視線は完全に“挑発”だった。
「楽しみにしてるわ、アルク」
扉が閉まる。
静寂。
―――
リナがすぐに距離を詰めてくる。
「アルク!」
「ん?」
「近すぎ!」
「そうか?」
「そう!」
明らかに不機嫌だ。
セリナが笑う。
「嫉妬だな」
「違う!」
でも否定が弱い。
ロイドはため息をつく。
「本格的に来るな」
「だな」
俺は静かに言った。
「でも問題ない」
一拍。
「全部返す」
―――
夜。
温泉。
湯気がゆらゆらと揺れる。
リナが隣に座る。
今日はやけに静かだ。
「……アルク」
「ん?」
「さっきの人」
少しだけ間。
「……嫌」
珍しく素直だ。
そのまま、少しだけ寄ってくる。
距離が近い。
肩が触れる。
温もりが伝わる。
「取られたくない」
小さな声。
その瞬間。
ツルッ。
「きゃ!」
もう様式美だな。
抱き寄せる。
距離ゼロ。
顔が近い。
息がかかる距離。
リナの視線が揺れる。
「……アルク」
「はい」
「今日のは」
一拍。
「ちょっとだけ、わざとでもいい」
「違う」
でも――
少しだけ笑った。
リナも、ほんの少しだけ笑う。
その距離のまま、数秒。
静かな時間。
その瞬間。
バシャッ!
「混ざれ」
セリナだ。
「やめろ!」
空気が崩れる。
笑いが戻る。
でも。
その奥で。
確実に火がついた。
―――
バルザード。
「始めろ」
ミレイアが静かに言う。
「内部から崩す」
戦いは。
次の段階へ進む。




