第18話 流れは変わる、こちら側から
エルドラの朝は、重かった。
いつもなら市場には活気が満ちている。
商人の声が重なり、値段交渉のやり取りが飛び交い、笑い声すら混じる。
だが――今日は違う。
「……少ないな」
俺――アルクは広場の中央に立ち、静かに呟いた。
石畳の上を歩く人の数は変わらない。
だが、露店に並ぶ商品は明らかに減っている。
野菜の量は半分。
塩は小分けにされ、値段が上がっている。
鉄製品はほとんど並んでいない。
人々の表情にも、余裕がない。
「昨日よりさらに減ってる」
ロイドが低く言った。
彼の視線は鋭く、完全に状況を見切っている。
「三日目だ」
「完全に締めにきている」
セリナが腕を組む。
「露骨すぎるな」
「ここまでやるか普通」
「やるだろ」
俺は短く答えた。
「勝つためならな」
リナが不安そうにこちらを見る。
「アルク……」
その声には、わずかな揺れがあった。
「このままだと……」
「大丈夫だ」
すぐに言い切る。
迷いはない。
「今日で終わる」
その言葉に、リナの目がわずかに見開かれる。
「……ほんと?」
「ああ」
嘘は言わない。
終わらせるための準備は、もう終わっている。
―――
東の川。
エルドラの外れにある、これまであまり使われてこなかった水路。
そこに、まったく別の光景が広がっていた。
朝日を受けて、静かに輝く水面。
その上に並ぶのは――
十隻の船。
だが、それはこの世界の常識から外れた“異物”だった。
船体は木材だけではない。
内部には金属フレームが組み込まれ、歪みや衝撃に強い構造になっている。
さらに底部には、錬金術で加工された推進機構。
「……これが答えか」
ロイドが呟く。
その目は完全に“理解した者”のものだった。
「街道を止められたなら、別の流れを作る」
「そういうことだ」
俺は船に手を置く。
冷たい金属の感触が掌に伝わる。
「しかもただの船じゃない」
魔力を流す。
低く唸るような音が響く。
水面がわずかに震える。
次の瞬間――
船が、ゆっくりと前に進み始めた。
「……っ!」
ロイドが息を呑む。
「風も帆もなしに……」
セリナが笑う。
「本当に規格外だな」
リナは目を輝かせている。
「動いてる……!」
その通りだ。
これは帆船じゃない。
風に頼らない。
「動力船だ」
俺は静かに言った。
「時間がないからな」
一晩で作った。
普通ならあり得ない。
だが、今はそれが必要だった。
――流れを止めないために。
「積み込み開始」
俺の一言で、人が一斉に動く。
箱が運ばれる。
袋が積まれる。
食料、塩、布、鉄。
すべてが船へと流れ込んでいく。
その動きは速い。
迷いがない。
エルドラの人間は、もう理解している。
――これは戦争だと。
―――
昼。
市場。
張り詰めた空気。
誰もが“足りない未来”を想像し始めていた。
その時。
「入荷だ!!!」
一つの声が、空気を切り裂いた。
全員が振り向く。
東門。
そこに並んでいたのは――
大量の物資。
さっきまで足りなかったものが、すべて揃っている。
「な……!?」
「嘘だろ!?」
「どこから来た!?」
ざわめきが爆発する。
ロイドが前に出る。
そして高らかに言い放つ。
「本日より!」
一拍。
「河川輸送を正式運用する!」
沈黙。
そして――
「うおおおおおお!!!」
歓声が弾けた。
人が一斉に動く。
「買え!」
「仕入れろ!」
「流れ戻ったぞ!」
いや――
戻ったどころじゃない。
加速している。
「値下がる!」
「量増えてる!」
「エルドラの方が条件いい!」
完全に。
逆転。
セリナが低く笑う。
「ひっくり返ったな」
リナが俺の腕を掴む。
「すごい……!」
俺は静かに言った。
「流れは止められない」
一拍。
「作るものだからな」
―――
バルザード。
重い空気。
報告を聞いた男の顔が歪む。
「……川?」
「はい。独自輸送網です」
沈黙。
「……そんなもの」
「一晩で……?」
信じられない。
だが現実だ。
「商人が戻り始めています!」
「いや、それ以上に……」
「こちらの商人も流れています」
完全な誤算。
完全な敗北。
男は歯を食いしばる。
「……潰す」
だがその言葉には、焦りが混じっていた。
―――
夜。
温泉。
湯気の中、静かな時間が流れる。
リナが隣に座る。
今日はやけに近い。
「……アルク」
「ん?」
「今日のやつ」
少しだけ言葉を選ぶ。
「……かっこよかった」
珍しく素直だ。
セリナが笑う。
「完全に勝ちだったな」
その時。
ツルッ。
「きゃ!」
反射的に腕を伸ばす。
抱き寄せる。
距離が近い。
湯気の中で視線が重なる。
「……アルク」
「はい」
「今日のは」
一拍。
「ちょっとだけ許す」
「何を?」
「全部」
小さく笑う。
その距離のまま。
ほんの少しだけ時間が止まる。
その瞬間。
バシャッ!
セリナが湯をかける。
「混ざれ」
「やめろ!」
笑い声が響く。
でも。
その裏で一つの戦いは終わった。
そして。
次の戦いが、始まる。




