第4話 入学式
王立学院の入学式は、儀式だった。
教育の始まりなどではない。 これは貴族社会の序列確認――いわば「顔合わせの戦争」である。
巨大な講堂には、磨かれた白大理石の床。 天井には王家の紋章が刻まれたステンドグラス。 赤い絨毯は壇上へ続き、左右には各家の紋章旗が並ぶ。
席は厳格に決められている。
家格。 爵位。 軍功。 財力。 そして、王家への忠誠。
すべてが数値化され、空気に刻まれている。
エルミナ・ヴァレリオスは、その中心に立っていた。
王女専用の席。 誰よりも前。 誰よりも高い位置。
そこに座るだけで、視線が集まる。
エルミナは、微笑んだ。
表情は柔らかく、完璧な王女の微笑み。 だが心の中は、氷のように静かだった。
(……これが、王国の未来)
未来という言葉ほど、信用できないものはない。
未来を語る者は、現在の腐敗を見ないふりをする。 腐敗を見ないふりをする者が、国を滅ぼす。
エルミナはその事実を、前世で骨の髄まで叩き込まれていた。
壇上では学院長が、やけに大仰な声で話し始めた。
「――王立学院とは、王国を支える柱を育てる場所である!」
拍手が起きる。 貴族の子息子女たちは、形だけの拍手を揃える。
エルミナは、拍手をしなかった。
代わりに、ゆっくりと瞬きをする。
拍手というのは、同調の儀式だ。 それを拒否すれば浮く。 だが王女は浮かない。
王女は「基準」だ。
誰も彼女を咎められない。
背後には護衛騎士フィオナが控えている。 金髪の彼女は、緊張した顔で周囲を睨んでいた。
(……うるさい視線)
守る気持ちはわかる。 だが、護衛の仕事は威嚇ではなく、影になることだ。
エルミナは少しだけ顔を横に向け、小声で言った。
「フィオナ。落ち着いて」
「は、はい! 殿下!」
返事が大きい。
近くの生徒が一瞬、肩を震わせる。 笑ったのではない。怯えたのだ。
エルミナは内心でため息をついた。
壇上では学院長が続ける。
「ここに集う者たちは、王国の未来を担う精鋭――」
精鋭。
エルミナはその言葉を舌の上で転がす。
精鋭とは何か。 力を持つ者か。 努力した者か。
違う。
精鋭とは、ただ「生まれが良い者」だ。 そう定義される世界が、この国の正体だった。
式が進み、名前が呼ばれる。
「子爵家嫡男、ローデン・グラディス!」
「伯爵家令嬢、ミレーヌ・ヴァイス!」
生徒たちは壇上へ進み、学院長から入学証を受け取る。
その動作ひとつひとつが、忠誠の確認に見えた。
エルミナは、じっと観察する。
礼が深すぎる者。 視線を逸らす者。 態度が大きい者。 笑顔が硬い者。
全員が、自分の立場を計算している。
人間は、数字の生き物だ。 それが前世の政治で学んだ真理だった。
そして――ついに。
「王女殿下、エルミナ・ヴァレリオス!」
講堂の空気が、一瞬で変わった。
全員が息を止める。 視線が揃う。
王女という存在は、単なる生徒ではない。 この場の支配者だ。
エルミナは静かに立ち上がった。
スカートの裾を乱さず、背筋を伸ばし、歩幅を一定にして壇上へ向かう。 足音すら、音楽のように整っていた。
その歩き方だけで、場が「従う」。
壇上の学院長は、緊張していた。 額に汗が浮かんでいる。
エルミナは、礼をした。
深すぎず、浅すぎず。 完璧な角度。
学院長は震える声で言った。
「王女殿下、本学院へのご入学、心より歓迎いたします……!」
エルミナは入学証を受け取り、微笑んだ。
「ありがとうございます。学院長先生」
その声は、優しい。
だが、講堂にいる誰もが理解した。
この王女は、ただ優しいだけではない。 近づけば、息が詰まるタイプの優しさだ。
王女が壇上から見下ろす。
そこには、貴族の未来が整列していた。
エルミナは、胸の内で呟いた。
(……綺麗に並んだ駒たち)
この国は、崩すべきだ。
そう決めた瞬間、彼女の心は驚くほど軽くなった。
――前世で、叶わなかったこと。
腐敗した政治を壊したかった。 腐敗した社会を変えたかった。 だが、現実は複雑で、巨大で、硬すぎた。
だが今は違う。
王女として生まれた。
権力がある。 信用がある。 周囲が勝手に跪く。
ならば、壊せる。
壊して、作り直せる。
エルミナは壇上で、ほんの少しだけ視線を細めた。
その仕草が、貴族たちの心臓を掴んだ。
「――皆さん」
エルミナは、式の流れを無視して口を開いた。
講堂が、完全に静まり返る。
学院長の顔色が変わった。 教師たちが慌てる。
だが、止められる者はいない。
王女の言葉を止めることは、国家への反逆に等しい。
エルミナは微笑み、優雅に告げた。
「今日から、同じ学院の生徒ですね」
柔らかい声。
だが、その場の空気は、凍りついた。
なぜならその言葉が――平等を示していたからだ。
王女が「同じ」と言った。
それは慈悲に聞こえる。 だが貴族社会では、毒だった。
王女が平等を口にする。 それはつまり、秩序を変える可能性を示す。
エルミナは続ける。
「私は皆さんと共に学び、共に考えたいと思います」
拍手が起きる。 だが拍手は揃っていない。
怖がりながら叩く音。 探りながら叩く音。 媚びるように叩く音。
エルミナは、それらの違いを聞き分ける。
(……いい。よく鳴く)
鳥のさえずりのようだ。
学院長が慌てて言葉を挟む。
「で、では! 王女殿下のお言葉もいただきましたので……!」
式は何事もなかったように進行し始めた。
だが、もう遅い。
今この瞬間、講堂にいる全員の心に刻まれた。
王女エルミナは――普通の王女ではない。
彼女は、笑顔で世界を壊す。
その気配が、確かに漂っていた。
式が終わり、講堂を出る生徒たちの間では、囁きが生まれる。
「王女殿下、噂と違う……」 「怖いくらい綺麗だった」 「何か、目が笑ってなかったよな」 「いや、笑ってた。だから怖いんだよ」
エルミナは、背後のフィオナを連れて歩きながら、心の中で呟いた。
(……いい。最初の印象は、完璧)
恐怖と尊敬は、最も扱いやすい感情だ。
愛情よりも。 友情よりも。 信頼よりも。
恐怖は裏切らない。
――だから、この国は壊れる。
エルミナは、優雅に微笑んだまま、学院の廊下を進んでいった。
その先に待つのが、いじめでも、陰謀でも、貴族社会の腐敗でも。
全部、同じだ。
全部、利用できる。
そして壊す。
王女は静かに目を細めた。
「……ふふ」
小さく笑う声は、誰にも聞こえなかった。




