第3話 刺客
刺客は地下牢に繋がれた。
石壁は湿り、松明の火が弱々しく揺れている。
血の匂いと鉄の匂いが混ざり、息をするだけで喉が痛む。
護衛騎士フィオナは牢の前に立ち、腕を組んでいた。
額には汗。鎧のあちこちに傷。息も少し荒い。
それでも胸を張っているのは、彼女なりの矜持なのだろう。
「王女殿下。捕らえました。……生きたまま」
フィオナはそう言って、どこか誇らしげに顔を上げた。
「えらいわ」
エルミナは優しく言った。
それだけでフィオナの表情が少し緩む。
この騎士は単純だ。分かりやすい。扱いやすい。
エルミナは牢の中へ視線を向けた。
そこには男がいた。
顔は布で覆われ、口元だけが見える。顎には青い髭。
縄で縛られ、床に座らされている。
その男は、エルミナを見た瞬間、僅かに肩を震わせた。
恐怖。
それは当然だ。
刺客は王女を殺しに来た。失敗した。捕まった。
普通なら、あとは死ぬだけ。
だが――エルミナはその「普通」を与えない。
「フィオナ。あなた、外に出て」
「えっ? ですが……!」
「命令よ」
「……は、はい!」
フィオナは困惑しつつも扉を閉め、牢の外へ出た。
鉄の扉が閉まる音が響き、地下牢は静寂に包まれる。
残ったのはエルミナとノエルだけ。
ノエルはエルミナの半歩後ろに控え、無言で立っていた。
その目は冷静だが、僅かな緊張がある。
エルミナは刺客の前に立ち、しばらく何も言わずに男を見下ろした。
沈黙。
それだけで男は呼吸を乱し始めた。
人間は、殴られるよりも「何をされるか分からない時間」に耐えられない。
恐怖は、想像が作り出す。
エルミナはゆっくり口を開いた。
「あなた、名前は?」
男は口をつぐむ。
「答えないのね」
エルミナは穏やかな声で言う。
怒りもない。苛立ちもない。
ただ、興味がないだけ。
その無関心が、男の恐怖をさらに増幅させた。
「……」
「まあいいわ。名前なんてどうでもいい」
エルミナはしゃがみ込み、男と目線を合わせた。
「私を殺したかった理由は?」
男は口元を歪めた。
「……王族だからだ」
「嘘」
即答ではない。
淡々とした断定。
それだけで男の顔色が変わる。
「王族だから殺す? そんな理由で命を賭ける人間はいない。あなたは雇われただけ」
男は視線を逸らした。
エルミナは微笑んだ。
当たりだ。
「あなた、今ここで死ぬのが怖い?」
男は唾を飲み込んだ。
「……怖くない」
「嘘」
男の喉が鳴った。
エルミナは続ける。
「怖いわよね。怖いのに、強がってしまう。そういう人間はね……自分の中に“守りたいもの”があるの」
男の目が僅かに揺れた。
エルミナはその揺れを見逃さない。
「家族?」
男は反応しない。
「恋人?」
沈黙。
「子供?」
男の肩がピクリと動いた。
ノエルの眉が僅かに動く。
彼女は気付いた。エルミナが何をしているのか。
エルミナは優しい声のまま言った。
「子供がいるのね」
男は歯を食いしばった。
「……黙れ」
「黙らない」
エルミナは笑わない。
ただ、事実を並べる。
「あなたがここで死ねば、子供はどうなる? 孤児? それとも雇い主が始末する?」
男の顔が青ざめた。
「雇い主はあなたを捨てる。失敗した道具を回収する理由はない。むしろ、口封じの方が合理的よ」
男は息を荒くした。
エルミナは立ち上がり、背を向ける。
そして、何でもないように言った。
「ノエル。明日、城下の孤児院を調べなさい。刺客の子供がいるなら、先に保護する」
男が叫んだ。
「やめろ!!」
エルミナは振り返り、首を傾げる。
「なぜ? 保護してほしいんでしょう?」
「……!」
男は言葉を失った。
そうだ。
保護されれば助かるはずなのに、なぜ止めたのか。
理由は一つ。
――そこに子供はいない。
もしくは、子供が「保護」された瞬間に雇い主に場所が割れる。
つまり、男は雇い主の恐ろしさを知っている。
エルミナは小さく頷いた。
「あなた、雇い主が誰か言えないのね。言った瞬間、子供が殺されるから」
男の顔が歪む。
エルミナはそこで、少しだけ声を柔らかくした。
「安心して。私はあなたの子供を殺さない」
男は涙を堪えるように顔を俯けた。
エルミナは続ける。
「私は神じゃない。慈悲もない。でも合理性はある」
そして、静かに言った。
「あなたが協力すれば、あなたの子供は生かす」
男の目が上がった。
希望だ。
希望を見せると、人間は縋る。
縋った瞬間、もう逃げられない。
エルミナは一歩近づく。
「協力しないなら、あなたはここで死ぬ。そして子供はどうなるか分からない。私は探すけど、見つけられる保証はない」
男の喉が震えた。
「……お前……王女……」
「エルミナ」
エルミナは名を名乗った。
それは親しみではない。
“支配のための距離感”だ。
「私はあなたを助けられる。だって私は王女だから」
男は目を閉じ、震える息を吐いた。
「……貴族だ」
「誰」
「第二王子派の……貴族……!」
エルミナの目が僅かに細くなる。
第二王子派。
つまり、兄上の勢力。
やはり。
エルミナは心の中で確信した。
早い。動きが早すぎる。だが、それが逆に面白い。
「名前は?」
男は口を震わせながら吐き出した。
「グラント伯爵……。あの男が、金を……!」
ノエルが息を呑んだ。
「グラント伯爵……王宮の財務監査にも関わる方です……」
エルミナは頷いた。
財務。金。権力。
そこから暗殺へ繋がるのは自然だ。
そして何より――
「第二王子派」という言葉が出た時点で、真の敵は伯爵ではない。
王子だ。
エルミナは男を見下ろした。
「あなたの子供の居場所は?」
男はしばらく迷った。
だが迷うということは、もう落ちている。
「……城下の、南区……パン屋の裏の家だ……」
「分かった」
エルミナは淡々と頷いた。
そして扉へ向かう。
男が叫ぶ。
「ま、待て! 本当に助けるのか!? 王女が俺なんかを!?」
エルミナは振り返り、少しだけ微笑んだ。
「助けるわ」
その笑みは慈悲ではない。
計算された微笑だ。
「あなたは私に情報をくれた。なら対価を払う。世界はそれで回るのよ」
男は呆然とした。
エルミナは扉を開け、外に出る。
フィオナがそこに立っていた。
待機していたらしい。耳を澄ませていたのか、目が泳いでいる。
「王女殿下! 大丈夫でしたか!?」
「ええ」
エルミナは落ち着いて言った。
「フィオナ。南区に向かいなさい。パン屋の裏の家。子供がいる。保護して」
「は、はい! ですが、それは……!」
「私の命令」
フィオナは頷き、走っていく。
その背中を見送り、ノエルが小声で言った。
「……王女殿下。あの刺客の子供を、本当に助けるのですか」
エルミナは歩きながら答えた。
「助けるわ」
ノエルは驚いたように目を瞬かせた。
エルミナは窓の外を見て、静かに続ける。
「私が助けた子供は、私に借りを作る。借りを作った人間は、いつか私の味方になる」
ノエルは黙った。
エルミナは小さく息を吐いた。
前世で政治家だった私は知っている。
票よりも強いものがある。
恩だ。
恩を感じた人間は、裏切ることができない。
裏切った瞬間、自分が「恩知らず」になるから。
人は自分を正当化しながら生きる。
だからこそ恩は、鎖になる。
廊下を進むと、向こうから一人の男が歩いてきた。
背が高い。髪は銀に近い金。
気品と威圧感を纏った存在。
第二王子――レオニス。
エルミナの兄だ。
その目がエルミナを捉え、優雅に微笑む。
「エルミナ。夜遅くに地下牢とは感心しないな」
声は穏やか。
だが目は冷たい。
エルミナは表情を崩さない。
完璧な王女の仮面を被ったまま、礼をする。
「兄上。刺客の確認をしておりました」
「刺客、か。騎士団が無能なのだろう」
レオニスは軽く笑った。
そして一歩近づき、囁くように言った。
「……怖かったか?」
普通なら優しい言葉だ。
だが、これは違う。
脅しだ。
“次はもっと上手くやる”という意味の。
エルミナは微笑んだ。
「いいえ。少し楽しかったです」
レオニスの笑みが一瞬止まった。
その一瞬の停止。
それだけでエルミナは満足した。
兄上は私を「無垢な妹」だと思っている。
その認識が揺れた。
ほんの僅かでも揺れればいい。
レオニスは再び笑顔を作る。
「相変わらず、変わった子だ。だが……気を付けろ。王宮は危険だ」
「ええ。承知しています」
エルミナは柔らかく返す。
「兄上も、どうかお気を付けください。危険なのは王宮だけではありませんから」
レオニスの目が細くなる。
エルミナは微笑みを保ったまま、静かに礼をして通り過ぎた。
すれ違いざま、ノエルが小さく震える。
王子の圧は、それほど強い。
だがエルミナは平然としていた。
廊下の角を曲がった瞬間、ノエルが小声で言った。
「……王女殿下。今のは……危険です」
エルミナは歩みを止めずに言う。
「危険でいいの」
「ですが……!」
「ノエル。相手が私を“無害”だと思っている間に、私は準備を整える」
ノエルは言葉を失う。
エルミナは心の中で笑った。
私は神が嫌いだ。
神に祈る者は、助けを待つだけ。
私は違う。
私は作る。
盤面を。状況を。人間関係を。未来を。
自分の手で。
部屋に戻ると、エルミナは窓辺に立ち、夜の城下を見下ろした。
灯りが揺れている。
そこには人がいる。人生がある。
そしてその全ては、いつか私の手で並び替えられる。
エルミナは一人になった瞬間、口元を押さえた。
「……ふふ」
声が漏れる。
「……あはは……」
こっそりと、高笑い。
計画が動いた。
敵が見えた。
駒が揃い始めた。
「兄上……」
エルミナは呟いた。
「あなたは私を殺そうとした。でも私はあなたを殺すとは限らない」
殺すよりも残酷な方法は無数にある。
前世で学んだ知識は、その全てを網羅している。
王を操るのは剣ではない。
人の心だ。
「次は、伯爵ね」
その時、扉がノックされた。
「王女殿下。フィオナです!」
「入りなさい」
フィオナが飛び込んできた。
息を切らし、髪が乱れている。
「保護しました! 子供は二人いました! 無事です!」
エルミナはゆっくり頷いた。
「よくやったわ」
フィオナの顔がぱっと明るくなる。
エルミナは微笑んだまま、次の一手を心の中で組み立てた。
刺客の子供は恩となり、鎖となる。
伯爵は証拠で縛れる。
兄上の派閥は内部から崩せる。
そして――ノエルは、もっと深く私に依存する。
エルミナは紅茶を飲んだ。
苦味が、甘い。
この世界は、私のためにある。
神のためではない。
私のために。
そして静かに、エルミナは笑った。
誰にも聞こえないように。
誰にも見られないように。
「……ふふふ」




