第16話 学園テロ
学園の空気が、少しだけ変わった。
入学して二ヶ月。 新入生たちはようやく、この場所の本質を理解し始めていた。
学園とは、学問の場ではない。 貴族の子供たちが、互いの価値を測り合い、順位を付ける場所だ。
血筋。 魔力。 剣技。 社交性。 そして――支配力。
そんな中、最も厄介な存在として噂になり始めたのが。
エルミナ・ヴァレリオス。
王女。
しかも彼女は、貴族らしい優雅さを装いながら、その裏で誰よりも冷たい目をしていた。
ルシアは廊下を歩きながら、隣のノエルを見上げる。
「ねえノエル……最近、王女様の周りの空気おかしくない?」
ノエルは淡々と答えた。
「おかしいのは殿下です」
「それはそうなんだけど!」
ルシアは声をひそめる。
「なんか……視線が増えた。王女様を見てる目が、尊敬とかじゃなくて……警戒っていうか……」
ノエルは当然のように頷く。
「殿下は敵を作るのが上手ですから」
「上手って褒め方ある!?」
ルシアが頭を抱えた時、前方からざわめきが聞こえた。
生徒が群がっている。
そしてその中心にいたのは――
上級生。
金髪の美しい男子生徒だった。 身長は高く、姿勢は崩れない。 制服の着こなしだけで“格”が分かる。
貴族の中でも、王族に近い血筋。 あるいは、王族の側近候補。
その男は、周囲を見下ろしながら、笑っていた。
「今年の新入生、面白いのがいるらしいね」
声は柔らかい。 だがその目は、獣のように冷たい。
「王女殿下、エルミナ・ヴァレリオス……」
ルシアの背筋がぞくりとした。
(この人……危ない)
彼の視線が一瞬、こちらへ向いた。 正確には、ルシアではなく――ノエルでもなく。
遠くを歩く、エルミナを捉えていた。
「――彼女は、何を壊すつもりなんだろう」
そう呟いた瞬間、彼の隣にいた生徒が小声で言った。
「レオンハルト先輩。模擬戦の準備が整いました」
レオンハルト。
その名を聞いた途端、周囲が静まった。
学園の上位。 模擬戦では常に上位入賞。 そして貴族社会の未来と噂される男。
ルシアはノエルに耳打ちした。
「ねえ、あの人って……」
「レオンハルト・フォン・アルベルト。上級生の中でも特に危険な人物です」
「危険って……強いの?」
ノエルは少し間を置き、答えた。
「強い。頭も回る。人の心も読む」
ルシアは顔を引きつらせた。
「うわ、王女様と同類じゃん……」
その時、エルミナがこちらへ歩いてきた。 涼しい顔で、まるで散歩にでも行くような足取り。
ルシアは慌てて言った。
「王女様! 今日の模擬戦、上級生も参加するらしいですよ!?」
エルミナは微笑んだ。
「そう」
「え、それだけ!?」
エルミナは少し首を傾げる。
「上級生が混ざるなら、勝った時の価値が上がるじゃない」
ルシアは思わず叫んだ。
「勝つ気なの!?」
エルミナは当たり前のように頷いた。
「負ける理由がないもの」
ノエルが静かに言う。
「殿下、無茶はなさらないでください」
エルミナは小さく笑った。
「無茶はしないわ。私は勝てる形でしか戦わない」
その言葉が、逆に怖かった。
まるで―― 勝つためなら、何でもする、と言っているように聞こえたから。
訓練場。
観客席は満席だった。 新入生だけでなく、上級生、教師、さらには貴族の使いまでいる。
模擬戦は学園の“格付け”だ。 勝者は噂になり、負け者は見下される。
教師が前へ出る。
「本日の模擬戦は、個人戦トーナメント方式とする!」
歓声が上がった。
「勝ち残った者は、学年関係なく“学園ランキング”に登録される!」
ざわめきが爆発する。
ルシアは顔面蒼白になった。
「ねえノエル……これ、王女様がやばいことになるやつじゃない……?」
ノエルは淡々と答えた。
「いつも通りです」
そして、出場者の名前が呼ばれる。
エルミナ・ヴァレリオス。
王女は、ひとりで出場した。
ノエルもルシアも、観客席に残された。
「え、え!? 私たちサポートなし!?」
ルシアが叫ぶと、ノエルは静かに言った。
「殿下は、見られる戦いをしたいのでしょう」
「見られる戦い?」
ノエルは目を細める。
「勝ち方で、印象を作る」
その言葉の意味は、すぐに分かった。
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一回戦。
相手は二年生。 剣技が得意で、身体能力も高い。
観客席は「王女が負ける」と囁いていた。
だが――
開始の合図と同時に、エルミナは剣を構えない。
ただ、ゆっくりと後退した。
相手は苛立ち、突っ込む。
その瞬間。
エルミナは地面に何かを投げた。
パチン、と乾いた音。
相手の足元が滑り、体勢が崩れる。
「……え?」
次の瞬間、エルミナは棒のような木片を相手の膝裏へ当て、転倒させた。
剣ではなく、体勢を崩す。
倒れた相手の首元に剣先が止まる。
「勝ちました」
教師が目を見開いた。
「……勝者、エルミナ・ヴァレリオス!」
ルシアが叫ぶ。
「え、なに!? 今のなに!? 罠!?」
ノエルは冷静に答えた。
「油です」
「油!?」
「訓練場の隅にあった整備用の油を、靴底に塗っていました」
ルシアは頭を抱えた。
「そんな準備してたの!?」
ノエルは淡々と続ける。
「殿下は朝から訓練場を見ていました。地形と物品を確認していたのでしょう」
ルシアは絶望した。
「……もう嫌だこの王女」
二回戦。
相手は三年生の魔法使い。 雷系統の魔法を得意とし、詠唱も早い。
普通なら近づけない。
だがエルミナは、開始直後に砂を蹴り上げた。
砂煙で視界を潰す。
相手が雷を放つ。 しかし狙いが定まらない。
その隙にエルミナは、観客席に向かって叫んだ。
「きゃあっ!」
完全に演技。
観客席がざわつく。 教師が反射的に「止めるか」と身を乗り出す。
相手の魔法使いは焦った。
(やりすぎたら失格になる!)
その一瞬の躊躇。
エルミナは踏み込み、相手の杖を蹴り飛ばした。
そして首元に剣を当てる。
「勝ちました」
ルシアは両手で顔を覆った。
「嘘でしょ!? 今の完全に被害者ムーブじゃん!!」
ノエルは静かに頷いた。
「殿下は相手に自滅させるのが得意です」
「得意って言うな!!」
三回戦。
相手は二年生の剣士。 純粋な技量ではエルミナより上。
だがエルミナは、剣を交えた瞬間にわざと手を滑らせた。
剣を落とす。
観客席がどよめく。
剣士が勝ちを確信し、突き出す。
その瞬間、エルミナは相手の足元に転がる剣を蹴り、跳ね上げた。
剣は相手の顔面すれすれを通る。
反射的に目を閉じた。
その隙に、エルミナは肘打ちで顎を打つ。
倒れた相手に剣を突きつける。
「勝ちました」
ルシアは観客席で震えた。
「卑怯すぎる……!!」
ノエルは静かに言う。
「正面から勝てない相手に、正面から挑まない。それが殿下です」
「王女様ってそういう人なの!?」
ノエルは淡々と答える。
「はい」
ルシアは叫んだ。
「最悪じゃん!!」
準決勝。
相手は、レオンハルトの部下のような上級生だった。
強い。 隙がない。 そして罠を警戒している。
観客席が息を呑む。
だがエルミナは、剣を構えたまま動かない。
相手も動かない。
沈黙。
数秒。
十秒。
観客席がざわつき始めた。
その時、エルミナが小さく呟く。
「……あなた、優秀ね」
相手が眉をひそめる。
「何がだ」
エルミナは微笑む。
「私を殺したいのに、殺せない」
相手の目がわずかに揺れた。
その瞬間。
エルミナは相手の背後へ、石を投げた。
カン、と音が鳴る。
相手は反射的に振り向く。
その隙にエルミナは踏み込み、肩をぶつけ、体勢を崩し、剣を奪った。
勝負は一瞬だった。
「勝ちました」
観客席が爆発した。
「なんだ今の!?」 「上級生に勝った!?」 「王女が……!?」
ルシアはもう叫ぶ元気もなかった。
「……小賢しいの権化……」
ノエルは淡々と呟く。
「殿下らしいです」
決勝戦。
そして、ついに相手は。
レオンハルト・フォン・アルベルト。
観客席が静まり返った。 教師すら緊張している。
レオンハルトは笑った。
「王女殿下。噂以上だね」
エルミナは微笑み返す。
「噂は育てるものですわ」
レオンハルトは剣を抜く。
「君の勝ち方は好きだ。正義ぶらない」
エルミナは目を細めた。
「正義なんて、敗者の慰めでしょう?」
その瞬間、ルシアはゾクッとした。
(やばい……この二人、会話が怖い)
開始の合図。
レオンハルトは速かった。 速すぎて、剣が見えない。
エルミナは避ける。 だが、ギリギリ。
数合で分かる。
――格が違う。
ルシアは青ざめた。
「無理だって! あれは無理だって!!」
ノエルは拳を握る。
「殿下……」
だがエルミナは、焦らなかった。
避ける。 逃げる。 下がる。
その動きが“追い詰められているように見える”。
レオンハルトは笑みを深めた。
「逃げるのかい?」
エルミナは小さく息を吐く。
「ええ。勝つために」
そして、彼女は訓練場の端へ追い込まれる。
壁際。
逃げ場がない。
観客席が息を呑んだ。
レオンハルトが剣を振り下ろす。
その瞬間。
エルミナは、剣を捨てた。
ルシアが叫んだ。
「えええええ!?」
レオンハルトの剣が止まる。
「……降参?」
エルミナは微笑む。
「いいえ」
次の瞬間。
エルミナは懐から小さな布袋を投げた。
破裂。
白い粉が舞った。
目潰しの粉。
レオンハルトが反射的に目を閉じた。
その隙にエルミナは彼の腕を掴み、体重を預け、投げた。
完全な柔術。 剣技ではない。
レオンハルトが地面に叩きつけられる。
観客席が凍った。
そしてエルミナは、拾った剣をレオンハルトの喉元に当てた。
「勝ちました」
沈黙。
次の瞬間。
訓練場が、爆発したような歓声に包まれた。
「勝った!?」 「上級生に!?」 「レオンハルトに!?」
ルシアは頭を抱えた。
「いやいやいやいや!!それ模擬戦じゃなくて暗殺者の戦い方!!」
ノエルは静かに呟く。
「殿下は王女です」
「王女の戦い方じゃないよ!!」
レオンハルトは地面に座ったまま、目を細めて笑った。
「……最高だ。君は本当に、王族らしい」
エルミナは笑みを崩さない。
「褒め言葉として受け取りますわ」
教師が震える声で宣言する。
「勝者……エルミナ・ヴァレリオス……!」
その瞬間。
学園の空気が、完全に変わった。
王女は、強い。
いや――
危険だ。
◆◆◆
模擬戦が終わり、生徒たちは興奮したまま解散した。
だがエルミナは、ひとりで歩いていた。
ノエルとルシアは後ろをついていく。
ルシアは呆れた声で言った。
「王女様……勝つのはいいけど、あの粉とか、投げ技とか……ほんとに性格悪い……」
エルミナは微笑んだ。
「勝ったでしょう?」
「勝ったけどさぁ!!」
ルシアが叫んだ瞬間。
学園の鐘が鳴った。
ただの授業開始の鐘ではない。
――警鐘。
ゴォォォン……!
空気が凍る。
教師たちが走り、上級生たちが剣を抜いた。
ノエルが即座にエルミナの前に立つ。
「殿下、下がってください」
ルシアが震えながら呟く。
「な、なに……?」
その時、校舎の屋上から黒煙が上がった。
悲鳴が聞こえる。
誰かが叫んだ。
「敵襲だ!!」
「テロだ!!」
「魔導結界が破られた!!」
エルミナは、目を細めた。
その顔は――
驚きではなかった。
むしろ、楽しげだった。
「……来たわね」
ノエルが振り返る。
「殿下?」
エルミナは静かに言った。
「学園は安全な箱庭だと思ってた?」
「いいえ。箱庭だからこそ、壊される」
ルシアが叫ぶ。
「王女様、そんな冷静でいられる状況じゃ――」
その瞬間。
校舎の入口が爆ぜた。
黒装束の集団が、雪崩れ込んでくる。
そして先頭に立つ男が、仮面越しに叫んだ。
「――価値ある者を差し出せ!」
「大切なものを持つ者は、すべて跪け!」
エルミナはその声を聞き、唇をわずかに吊り上げた。
(……面白い)
敵の目的は、恐怖。 だがもっと深い。
“心”を狙うタイプの襲撃。
そして、仮面の男の背後には。
異様な気配を纏う一人の人物が立っていた。
瞳が、薄く光っている。
まるで――
人の心を覗くように。
ルシアが震えた声で呟く。
「……ねえ、あの人……目、怖くない……?」
ノエルは剣を抜いた。
「殿下、危険です」
エルミナは微笑む。
「ええ。危険よ」
そして、エルミナは一歩前へ出た。
まるで、標的になるために。
――その瞬間。
仮面の男の隣の人物が、エルミナを見た。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「……お前の“大切なもの”を見せろ」
その言葉が、学園全体の空気を切り裂いた。
エルミナの瞳が、静かに冷たくなる。
(大切なもの?)
彼女は、心の中で笑った。
(そんなもの――最初から、持っていない)
そして次の瞬間。
敵の“読む力”が、エルミナの心を覗いた。
――空っぽ。
憎しみも、愛も、恐怖もない。
あるのはただ、冷たい計算だけ。
敵の顔色が変わった。
「……な、何だ……?」
「お前……何も……無いのか……?」
驚愕。
その隙。
フィオナの剣が、風を裂いた。
――ズバァン!!
仮面の男の腕が宙を舞う。
血が噴き、悲鳴が上がる。
「ぐあああああ!!」
フィオナが叫ぶ。
「殿下に触れるなァァァ!!」
ノエルも小型剣を抜き、敵へ飛び込んだ。
ルシアは震えながらも、魔法を構える。
だがエルミナは――
馬鹿みたいに、その場にしゃがみ込んだ。
両手で頭を抱え、震えるふりをした。
まるで、守られるだけの王女。
ルシアが叫ぶ。
「王女様!? 今は立って!!」
エルミナは答えない。
ただ、口元だけが笑っていた。
(そうよ。守られなさい、エルミナ)
(王女は戦わない)
(王女は震える)
(王女は泣く)
(王女は――王である)
血と悲鳴が飛び交う中。
学園は地獄へ変わった。
そしてエルミナは、その地獄を見上げながら確信する。
――これは、始まりだ。
王国を壊すための、最高の舞台。
その時。
敵の増援が校舎の奥から現れた。
数が多い。
多すぎる。
ノエルが歯を食いしばる。
「……殿下、囲まれます!」
フィオナが叫ぶ。
「こいつら、まだいるのかよ!!」
ルシアは泣きそうになりながら叫んだ。
「これ絶対、学園の外の問題じゃない!!」
エルミナはしゃがんだまま、静かに呟いた。
「ええ」
「これは――」
そして彼女は、心の中で続けた。
(兄上の手駒ね)
学園テロ。
王女を狙う者。 心を読む者。 そして、異様に手際のいい兵隊。
偶然ではない。
確実に、王国の中心から伸びる“悪意”だ。
エルミナは小さく笑った。
(ようやく、私を殺しに来た)
そして、震える演技を続けながら、心の中で高笑いした。
――さあ、踊りなさい。
私の舞台で。
次の瞬間、敵が一斉に突撃してくる。
フィオナが剣を構え、ノエルが前へ出る。
ルシアが叫ぶ。
「ここからが本番ってこと!?」
エルミナはしゃがんだまま、静かに頷いた。
「ええ」
「本番よ」
学園は炎に包まれ、悲鳴が響く。
そして王女は、泣いているふりをしながら――
誰よりも冷たい目で、戦場を見ていた。
次の瞬間、敵の刃がこちらへ迫る。
その刃が届くより先に。
エルミナは小さく囁いた。
「……死ぬのは、あなた達よ」
そして戦いは、さらに激化していった。




