第1話 サイコパス王女様
王宮の天井は高すぎる。
高すぎて、見上げるほど自分が小さく感じる。
それが嫌いだった。
「エルミナ・ヴァレリオス殿下。お目覚めでございますか」
白いカーテン越しに、朝の光が淡く揺れる。
声は静かで、温度がない。
けれど、耳に刺さらない。
私は枕の上で目を瞬かせた。
――ここは、どこ?
一瞬だけ、思考が遅れる。
けれど次の瞬間、脳が勝手に答えを吐き出す。
王宮。
自室。
王女の寝台。
侍女。
そして、この身体は十歳。
(……ああ)
私は息を吸った。
肺の奥まで冷たい空気が入ってくる。
同時に、別の空気が蘇る。
湿った夜気。
生臭い雨。
鉄の匂い。
街灯の下、石畳が黒く濡れている。
背後から、足音。
「――――っ」
喉が勝手に詰まった。
思い出したのは、死だ。
前世の私が最後に見た景色。
私は政治家だった。
改革派。若手。人気者。
血筋ではなく能力で人を登用し、特権を削り、腐った制度を壊そうとした。
正しいことをした。
正しい政策を掲げた。
正しい未来を信じた。
だから私は――殺された。
夜道。背中。
刃物が肋骨の隙間に滑り込む感覚。
息が抜けて、膝が落ちて、視界が地面に近づく。
痛みよりも先に、理解が来た。
(ああ、そうか)
(正しいだけでは、勝てないんだ)
血の温度が、雨に溶けた。
それが人生の終わりだった。
そして次に目を開けたとき、私は王女になっていた。
「殿下?」
侍女の声で、私は現実に引き戻される。
目の前に立つ少女は、灰銀色の髪を綺麗にまとめ、表情が薄い。
瞳だけが静かに光っている。
無口そうな子だ。
けれど観察眼は鋭い。
私はすぐに理解した。
この子は、使える。
「……名前は?」
「ノエルでございます。殿下」
ノエル。
いい。短い。覚えやすい。
私は布団を押しのけ、ベッドから降りた。
足元の絨毯が柔らかい。
その感触が逆に気持ち悪い。
(贅沢って、麻痺させる)
前世で私は、汚い床を踏んでいた。
政治家の世界は、絨毯より汚れていた。
鏡の前に立つ。
そこに映っていたのは、白金の髪の少女。
整った顔立ち。
陶器みたいな肌。
宝石のような瞳。
――王女エルミナ・ヴァレリオス。
完璧な器。
私は鏡の中の自分を見つめ、ほんの少し口角を上げた。
(……これは、面白い)
正義のためじゃない。
世界を救うためでもない。
復讐でもない。
ただ。
この世界で、私は「勝てる」立場を与えられた。
だから試したい。
壊してみたい。
制度を、秩序を、信仰を。
人間の尊厳を、誇りを。
そしてその崩れ方を眺めたい。
それだけだ。
「ノエル」
「はい」
「この国は、貴族が偉いの?」
ノエルのまぶたがわずかに揺れた。
質問が危険だと察したのだろう。
それでも彼女は答えた。
「……そうでございます。貴族は、血筋によって生まれながらに価値があるとされます」
私は頷いた。
「ふうん」
(じゃあ、それを壊そう)
壊したらどうなる?
人は泣く?
怒る?
殺し合う?
それとも、何事もなかったように順応する?
想像しただけで胸が熱くなる。
前世の私は、暗殺されて終わった。
この人生では、最後までやり切れる。
私は鏡に映る少女の目を見た。
(私の人生は、私の玩具でいい)
(だって、神も政治も人間も、全部クソだ)
「ノエル。あなた、神を信じる?」
「……信じております。教会は国の支柱ですから」
私は笑いそうになった。
必死に抑えた。
信じているのではなく、信じることを強要されているだけだ。
それを信仰と呼ぶなら、笑い話だ。
私は神が嫌いだった。
前世で、私は何度も祈った。
「正しい改革が通りますように」
「国が良くなりますように」
「殺されませんように」
結果は、背中の刃。
神がいるなら無能だ。
いるのに助けないなら、悪趣味だ。
どちらにしても、嫌いになる理由しかない。
「……神なんて、いなくていいわ」
ノエルが息を止めた。
私はそれに気づき、優しく言い直す。
「ごめんなさい。今のは独り言」
ノエルは何も言わない。
けれど表情の奥で、何かが揺れている。
私はその揺れを見て確信する。
(この子は、孤独だ)
孤独な人間は、依存する。
依存は、支配に変わる。
支配は、鎖になる。
政治家時代に学んだ。
人は説得されるのではない。
「居場所」を与えられて堕ちる。
私はノエルに近づき、目線を合わせた。
「ノエル。あなた、誰かに必要とされたことある?」
ノエルの瞳が、ほんの少しだけ揺れた。
「……ございません」
その答えは、短いのに深かった。
私は微笑んだ。
この笑顔は、王女の笑顔。
温かく、清らかで、守ってあげたくなる笑顔。
「なら、私があなたを必要とする」
ノエルが瞬きをした。
「あなたは私の側にいなさい。ずっと」
「……はい、殿下」
返事は即答ではない。
ほんの少し遅れた。
迷ったのではなく、理解したのだ。
これは命令じゃない。
これは“救い”という名の檻だ。
私はそれを与えた。
そして、心の中で思った。
(よし)
(これで、最初の駒は手に入った)
昼。
王宮の廊下を歩く。
侍女が付き従う。
貴族の子供たちが遠巻きに王女を見て、頭を下げる。
私は彼らの目を観察した。
恐れ。
羨望。
嫉妬。
そして、わずかな憎悪。
(いじめる側の目だ)
人間の目は、幼い頃から変わらない。
前世の私は、それを政治の場で学んだ。
人は三歳で人格が決まる。
その後は社会的な仮面が増えるだけだ。
だから私は、いじめる奴が嫌いだった。
いや、嫌いというより、見下している。
(ゴミ以下)
(あの程度の精神構造で、よく生きていられる)
私は彼らと違う。
私は確信している。
彼らはただ弱い者を踏む。
私は、世界そのものを踏む。
規模が違う。
美学が違う。
「殿下、こちらへ」
案内役の騎士が頭を下げる。
若い男だ。まだ二十歳そこそこ。
動きが少しだけ鈍い。
(ポンコツね)
でも使える。
ポンコツほど操りやすい。
「あなた、名前は?」
「は、はい! フィオナ・ヴァレリオス騎士団候補であります!」
私は一瞬、心の中で笑った。
(……候補なのに名乗るんだ)
(可愛い)
「フィオナ。あなた、私を守れる?」
「もちろんであります!」
即答。
自信。
根拠はない。
私は微笑んで頷いた。
「頼りにしているわ」
フィオナの顔が一瞬で赤くなる。
(落ちた)
(簡単)
政治家時代なら、こんな露骨な操縦はしない。
けれどここは王宮で、私は王女だ。
権力がある者が、わざわざ繊細に動く必要はない。
人間は単純だ。
欲望で動く。
承認で動く。
恐怖で動く。
私はそれを全部知っている。
「ノエル」
「はい」
「この国は、いつか壊れるわ」
ノエルの足が止まった。
一瞬だけ、顔が上がる。
私は歩きながら続ける。
「壊れるって、美しいのよ」
ノエルは何も言わない。
けれどその沈黙が、私の言葉を飲み込んでいく。
私は心の中で高笑いした。
(ふふ……)
(十歳でここまで揃うなんて、最高)
この国は、貴族主義という腐った骨組みで立っている。
なら私は、その骨を一本ずつ抜いていく。
誰も気づかないように。
気づいた頃には、もう立てないように。
そして最後に――
王国を滅ぼす。
正義のため?
違う。
平民のため?
違う。
ただ、面白いから。
そして何より。
それが、私の自己満足だから。
私は廊下の窓から外を見た。
青い空が広がり、遠くに城下町が見える。
(さあ、遊ぼう)
(この世界で、誰が一番賢いか教えてあげる)
私の唇は笑みの形を作った。
だが、それは誰にも見せない。
王女は常に完璧でなければならない。
だから私は心の奥でだけ、そっと笑った。
(あは……)
(あはははは)
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