021.「」
次にアルメリアが目を開けたとき、辺りはすっかり暗くなっていた。
――夜だ。
頭上には星空があり、そしてすぐ傍にはパチパチと音を立てる焚火の明かりもある。ぼやけていた視界が少しずつ輪郭を取り戻して。
(あれ……? 私、何して……)
それと同時に、頭の中を駆け巡ったのは鮮烈なフラッシュバックだ。
直前に何があったのかが一気に蘇り、反射的に飛び起きようとする――が、うまく動けない。
いったい何事かと見やれば。
「も、もご……!」
口元が粘着テープでがっちりと封じられているので、声もまともに出せなかったが。
とにかく縛られていた。
手足はおろか、たぶん全身を余すところがないほど縄でギッチギチのグルグル巻きにされている。
しかも、その上からさらに簀巻きにされたみたいだ。
おかげでまったく動けない。
(この布団みたいなの、どこから持ってきたんだろう……)
ツッコミたいところもあるが、ともかく。
体感ないしは、パッと見でも分かる。
よほど用心深い性格の持ち主でもなければ……。
これをやったのは恐ろしく不器用か、雑でガサツな人間だろうと。
――どちらかなんて、考えるまでもない。
(つまり、私はあのまま……)
ケーオーを取られてしまったのだろうと、ザックリながら状況に辺りを付ける。
「こんなもんだろ!」と目をグルグルと昏倒している自分を踏みつけながら縄をグイグイやり、それでも念には念をと簀巻きをこさえているレドックスの姿が目に浮かぶようだった。
「…………?」
でも何故だろうか。
肝心のレドックスが、周囲のどこにも見当たらないのだ。
(何処にいったんだろう……? トイレ……?)
あの男にエチケットなんて概念があるとも到底思えないが……。
何にせよ。
(逃げるなら、今しかない……!)
アルメリアは動き出す。
簀巻きにされているせいで魔法は使えそうもないが、気取られる危険を思えばどの道、そうするしかない。
選択したのは何の工夫もないアナログの逃走方式だ。
芋虫のようにモゾモゾと地を這って。
(急がないと……!)
こんな身動きすらままならない有様で、もし魔獣とでも出くわしたらどうなるか。
いっかんの終わりだ。
それでもリスクを承知でズリズリと進むしかなかったのは、この場に留まったって同じことだからだ。
いやむしろ、もっと危険だ。
何をされるか分かったものじゃない。
さっきの口ぶりからしても、レドックスの鬱憤は相当のものだろう。元はといえばすべて向こうのせいなのだが、振り返れば自分も思い当たる節は山とある。
連勝記録を伸ばす度に散々煽ってしまったのだ。
調子に乗ってからかったり、おほほほとか高笑いも……。
『どんなユズっても百発はブチ込んでやる。覚悟しとけや』
(ひぃッ……!)
今になってその言葉が途方もない現実味を帯び、心の中で引きつった悲鳴をあげるアルメリアだった。
このまま此処にいたら……。
あの男が戻ってきたら、本当にそれを実行に移される可能性は十二分。
サンドバックにされ、半殺しにされてしまうと。
(そうなるまえに……!)
必死になって身をよじり、モゾモゾと前進した。
(あと少し……! あと少しで……!)
森の闇に紛れられる。
そう一縷の希望を見い出しかけたときだった。
行手、目指していた茂みがガサガサと揺れたのは。
(ピッ……!?)
ヘンな悲鳴が出かかった。
ちなみにそれは子どもの頃から、アルメリアの癖みたいなものだ。
『アルメリアちゃんってたまに変な声出すよな』
『そうだよなぁ、驚かしたりすると「ピィ」ってよ。ありゃあ何なんだ?』
とかたまに笑われることがあって恥ずかしくて、直そうとはしたものの完全には抜けきらなかったのだが。
そんなの今はどうでもよくて、とにかく。
何かいるのだ。
少なくとも風による揺れ方ではないように思える。
(まさか、戻って……!?)
凝視していると、やがて。
宵闇の向こうから何かが、ヌッと姿を現したではないか。
それはレドックスではない。
彼にしろかなり長身な方だが、その影はさらに大きかった。
背を丸め、覗き込むようにこちらを見下ろすそのシルエットは、全身を深い体毛に覆われた獣人のようで。
いや、もっと的確に表現するなら。
(まさかあれ、ワーウルフ……!?)
そんな種族名が真っ先にヒットする。
実物を目にするのはアルメリアも初めてのことだが。
聞いたことくらいはあった。
それは月夜に現れ、獣の本能で獲物を狩る、人と狼のあいだの怪物だと。
何でも魔獣の血肉を喰らい、爪に吸わせることでさらに自らの力を高めるそうだ。
故にその性質は、極めて攻撃的かつ獰猛。
また残忍。
血に飢え、狩りと殺戮そのものを愉しむことで知られている。
たとえ格上の相手でも、躊躇うことなく襲いかかると云うが。
違う。
この場面において何よりアルメリアを震撼させたのは、そんな種族に備わる攻撃性ばかりが理由ではない。
思い出したからだ。
そのワーウルフこそが、マンドラゴラにとって最大の天敵であることを。
彼らは鼻が効く。
離れた場所からでも居所を嗅ぎ当てることができるうえ、高い知能も備えているからマンドラゴラたちにとって最大の自衛の術であるスクリーム・アタックへの対策も心得ているのだ。
そして何より、マンドラゴラはあらゆる魔獣にとって食べれば力の糧となることで知られる。だからとくに好んで狙うのだと。
つまり今、アルメリアは究極の大ピンチだった。
夜の森。簀巻きで地面に転がされたうえ、その天敵と対面している。
しかもその猟奇性を裏付けるかのように。
鋭い爪先からはボタボタと、黒くも見える血が滴り落ちていて。
「……ッ!?」
気が気でなくなる。
もはやなりふり構ってはいられない。
お願い誰か助けてこの際レドックスでもいいから来てお願い誰か早くとピーピー、助けを求めてもんどり打って。
どうにか後ずさるも、背後にあった木にぶつかり退路すら絶たれる。
「もごぉおおお!!!」
もうダメー!と絶叫したときだった。
「――ウッセェぞ、クソジャリ」
聞き覚えのあるその声は、頭上から。
恐ろしさでいっぱいになりながら、訪れた静寂のなか。
パッチと目を開く。
恐ると恐ると見上げれば。
佇む黒い影の主、ワーウルフがこちらを見下ろしていて。
「何をモガモガしてやがる。ピィピィ喚いてんじゃねえゾ。頭に響くだろうが」
「……ッ!!!??」
「つーかオメェ、なに勝手にズラかろうとして」
狼の頭が喋っている。
言い終わるより早く、ピィイイイイと塞がれた口の中でまたも絶叫が炸裂するのだった。




