夢見る女子高生。
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一応、最初に宣言しておきたい事がある。
物語というものには、それがなんであれ、小説であれ、漫画であれ、映画であれ、ドラマであれ、思い出話であれ、走馬灯であれ、オチというものが必要だ。
いや、必ずしも必要では無いのかも知れないが、少なくとも、あった方がいい物だと思う。
先人達はそのオチを様々な方法で、様々な手法で考案してきた。
ハッピーエンドであれバットエンドであれ。
で、だ。
私が最初に宣言しておきたい事、とは。
この物語のオチは――【夢オチ】である――。
ということである――。
1
目の前に、女子高生が居る。夕暮れの教室で、机に寄り掛かるように座る女子高生。
制服が――血に染まっている。
赤く、紅く。
薄く微笑むその顔は、私に瓜二つ。
いいえ、顔だけじゃあない。髪型も、胴体も、四肢も、何もかも、私にそっくり。私そのもの。
彼女は私だ。
だけど、自分と向き合う、なんて比喩表現でなければ不可能。
だからこれは夢なのだ。きっと現実の私は、今頃すやすやと寝息を立てている。そういえば今日は疲れる日だったし、ぐっすり寝ている事だろう。
夢の中で夢の世界であることに気づく事、なんて言うんだっけ。
「さて、問題です」
彼女は唐突に、言った。
「私が虐められたきっかけは?」
彼女は私に問う。
私は私に問う。
「……小学生の頃、クラスの男子に告白された事」
「正解」
彼女が短く、そう言ったかと思うと、辺りの景色が魔法の様に移り変わった。
移り変わったものの、そこは変わらず教室。だけど、高校の教室じゃない。小学校の教室だ。 そして目の前の彼女も、幼い、とても小さな女の子へと姿を変えた。
気が付くと周りには、彼女以外にも沢山の子供で溢れている。
真面目な委員長、須藤さん。
お調子者の加藤くん。
数学が得意な、斉藤くん。
その他、色々。
あの頃の、私の同級生達。
がやがや、がやがや。
その中にはもちろん、女の子にしては、かなりやんちゃだったあの子、浅井さんも居る。
放課後の、小学校。
がらがら、と扉が開き、男子が数人入ってくる。
やめて。
その男子の群れの中心にいるのは、足が速くて女子にモテる、相沢くん。
お願いだから。
彼は迷いの無い足取りで、ずかずかと、私の目の前の彼女の元へ――私の元へ歩いてくる。
やめてよ。
なんだか、覚悟を決めた様な、子供ながらに凛々しい表情で、彼は私にこう言った。
「俺、お前の事が好きだ」
須藤さんが、黄色い悲鳴を上げた。加藤くんが、囃し立てる。斎藤くんは唖然としている。その他の皆も、それぞれ騒いだり、驚いたり。
幼い頃の私はといえば、まんざらでもない様な顔。
あーあ。
なんで、皆の前で告白なんてしたの。
嬉しかったよ。舞い上がったよ。
相沢くんはカッコいいし、私だって他の女の子達と同じ様に、ちょっと気になっていた。
だけどさ、この時、君が時と場所さえ選んでくれていれば。もう少し、人目につかない場所だったなら。
うーん、それは少し贅沢かな。
じゃあせめて、それならいっそ告白なんてされたくなかった。
ねぇ、気付いてた? 浅井さんが君の後ろで、凄い顔で私を睨んでいたの。
それから、私への虐めは始まった。
浅井さんはやんちゃな上に、クラスの中心人物の一人でもあったから、彼女が私を虐めれば自然、他の生徒も私を虐めた。
虐められっ子になってしまった可哀そうな私は皆に避けられて、相沢くんにも避けられた。
誰のせいだと思ってるのよ。
虐めは日に日にエスカレートして行き。
靴を隠されたり。
鉛筆を折られたり。
水をかけられたり。
髪を切られたり。
靴を履いていなくて、折れた鉛筆を持って、びしょ濡れで、変な髪形の小さな私が言う。
「さて、問題です」
幼い私の消えりそうな声。
これは夢だ。だけど、過去でもある。
「私は、どうすればよかったの?」
私は答える。
「分からないよ」
本当に、ね。
「それじゃあ不正解だよ」
「だって、本当に分からないもの」
「分からないなら分からないなりに考えてみようよ。相沢くんを振ってしまえば良かったかな?」
「それじゃあきっと、火に油ね」
「だね。じゃあ、靴を隠し返して、鉛筆を折り返して、水をかけ返して、髪を切り返したら良かったかな」
「そうかも」
「でも、それじゃあ相手と同じじゃない。先生が言ってたよ、喧嘩したりやり返したりする事は相手と同じレベルになる事だ、ダメな事だ、って」
「それはきっと正しいね」
そう、正しい。
でも、先生。だったら私はどうすれば良かったんでしょうか。
多分、この時の、幼い私は、正しくはあったけれど、正し過ぎるほど正しかったけれど、それと同じぐらい、辛かった。
それなのに先生、浅井さんは、楽しそうでしたよ?
これ以上ないぐらい、間違っているのに。
だったら、正しくある事に、この苦痛に、意味なんてあるのでしょうか。こんな物に、どれだけの価値が、あるのでしょうか。
「虐められる側にも問題があるって、よく言うよね」
目の前の幼い私は、いつの間にか、今の私に戻っていた。
女子高生の私。
「正直言ってさ、この言葉、理解出来ない訳じゃないんだよね。私もそう思う。虐められる側にも問題がある。問題、理由と言い換えてもいいかもね。例えば私が虐められた理由は相沢くんに告白されたから、それが理由。何の理由も無かった訳じゃない。そしてそれが浅井さんにとっては問題だった。嫉妬、だね。でもこの場合、問題と言うのは浅井さんにとっての物であって、間違っても私が第三者から見て問題を抱えた女の子って訳じゃあ無かったというのが大事」
「そうだね」
私はそれしか言えない。
実際そうだと思うし、そしてそれ以上、言う事もない。
私が私と喋っているのだから当たり前か。
でも強いて何かを言うなら、そんな理屈を並べた所で何の救いにもならないって事ぐらい。言わないけどね。
そして、またあたりの景色が変わる。
今度は中学校の教室だ。
そしてそこには――。
――幸せそうな――私が居た。
2
友人達と楽しそうに会話する中学生の私。
人気のアイドルがどうとか、流行りの雑誌の内容だとか。くだらないけど、楽しい会話。小学校の頃から考えれば天国の様な世界。
そうだった。私は小学校から中学校に上がる時に親に頼み込んで、他の同級生達が行く中学とは違う、別の中学校に入学したんだった。
親には虐めの事は隠していたけれど、今思えばバレていたのかな。多分それもあって意外とすんなり、少しだけ遠くの中学校に進学できた。
別にクラスの人気者って訳じゃなかったけど、普通に友達が居て、普通に勉学に勤しむ、普通の女子中学生。
何よりも欲しかった普通。
ある日、友達皆で、遊びに行く計画を立てた。
言い出したのは私達のグループの中でリーダー的存在だった佐々木さん。
五日後の日曜日、遊園地に行こう。そう言われて初めて私は気づく。
ああそう言えば、誰かに誘われるのって、初めてだ。
この時、改めてこの友人達を心の底から大事にしようと思った。何があっても失わないように、と。
遊びに誘われた程度の事で大袈裟だけどね。
それからの私は、日曜日に向けてお洒落な服を買ったり、少しだけメイクを覚えたり、ワクワクで眠れない日があったり。
買った服は今考えれば子供っぽくてダサいけど、それもまた微笑ましい、少なくとも中学生の私には良く似合う服。
メイクなんて覚えたのは初歩の初歩で、しかもまだまだ全然だったけど、大事な友達との予定だ、気合を入れていかなくちゃ。
ワクワクで眠れない、なんて初めての経験。苦しいという理由以外で眠れない事もあるんだと、その時知った。
そんな中、日曜日まで後二日の金曜日。
佐々木さんが、私を呼び出した。
「ねぇ、浅井さんって知ってる?」
「……え?」
あーあ、だよね。本当に。
振り切ったはずの過去が追いついてきた感じ。
「別の中学の子なんだけどさ、アナタを探してるって。怖そうな子でね……。私、知りませんって言ったんだけど……」
「……」
「浅井さん、今日の放課後、中央公園で待ってるって言ってたよ」
そう言う佐々木さんの顔には、はたかれた様な、赤い痕があった。
この時の私は、どんな気持ちだったっけ。
友達に手を出されて怒ってた?
昔に戻ってしまいそうで怖かった?
どうだったっけ。覚えてないや。
だって、この後。
「それからさ、日曜の事なんだけど……。出来れば、来ないで欲しい。ごめんね」
なんて言われて、ビックリしたから。
まぁ、誰だって面倒事は嫌だよね。私一人を除け者にすればそれで済むなら、そりゃあ、そうするよ。私にとってはやっと出来た友達だけど、佐々木さん達にとっては、いっぱい居る友達の中のたった一人。
これに関しては、昔も今も攻めるつもりはない。とっても悲しかったけれど、それでも。
だって、立場が逆なら、きっと私もそうしたから。
誰だって、自分が一番可愛い。
で、放課後。
私は久しぶりに浅井さんに会っていた。
馬鹿じゃないの。行かなきゃいいのにさ。
どうせロクな用事じゃないし、こっちは顔も見たくない相手。
帰って、お風呂に入って寝てしまえば、友達を失った悲しさだけで済んだのに。
「久しぶりー。いきなりで悪いんだけどさ、お金貸してよ」
会っていきなり、そう言われた。
佐々木さんに何を言って何をしたのかとか、そもそもどうやって私の通う中学を知ったのかとか、そんな事には全然触れずに。
そんな説明や、ましてや昔話を期待してた訳じゃないけどさ。
浅井さんは変わらないね。
本当、全然変わらない。
髪は脱色してるし、派手なアクセサリーをつけて、昔より凄く可愛くなっているけど、それでも全然、変わってない。
私はね、浅井さん。
私は変わった気でいたんだよ。変われたと、思ってた。
でも変わってなんかいなかったみたい。
ねぇ、浅井さん。
――私達って、ずっと変わらないのかな。
その日、私は浅井さんにお金を渡した。
日曜日の為のお金だったけど、もう予定もないし、別にいいか、と思って。
それからというもの、私は定期的に浅井さんに呼び出された。
呼び出される度に、お金を取られて、その上、悪い遊びにも付き合わされる様になっていった。
学校では、私が他校の不良生徒とつるんでいると噂が広まり、誰も私に近づかない。佐々木さん達もこの頃にはもう、他人同然。
居場所がなかった昔と一緒。
ううん、昔より悪い。
欲しい物、全部手に入れたのに、全部無くして、取り上げられた。
悪い遊びに付き合わされる内に、浅井さんと、その取り巻きのグループが私の居場所になって。
グループ内で、私は昔と同じよう様に虐められ続け、お金も、とられ続けた。そんな地獄の様な日常にも、私自身慣れてしまう程に、それは続いた。
浅井さんは私の耳にピアスを開けた。嫌がる私に無理やり。
「ははっ、似合うじゃん」
馬鹿にした様な言い方だった。
「さて、問題です」
開けたばかりのピアスが光る、中学生の私が問う。
「私はどうすればよかった?」
「呼び出しに、応じなければよかったと思うよ」
「そうかな? あの日、呼び出された公園に行かなかったとしても、浅井さんはきっと別の方法を試したよ。もしかしたら佐々木さんがまた、ひどい目にあわされたかも」
「知らないよ、だってもう友達でもないし」
「そうだね、でも佐々木さんの事はどうでもよくても、やっぱり浅井さんがその程度で諦めるとは思えないな。最初の誘いを放っておいた分、余計に熱が入るかも。よくさ、嫌な奴や嫌いな奴に対して、『放っておけ』って言う人いるじゃない。相手にするだけ無駄だって、無関心を貫けって。それができたらどれだけ楽だったろうね」
「『嫌な奴』や『嫌いな奴』程度なら、確かに無関心でもいいかもね。でも浅井さんは、私を見据えて、目的にしてる。意図的に、私を標的にしてる」
「そうなんだよ。自分の意志で、しかも悪意という意志で、こっちに近づいてくる相手に無関心なんて、無理だよね。それじゃあされるがままになっちゃうよ」
「どっちにしろ結局、されるがまま、だけどね」
「酷い事言うなぁ」
「酷い事されるよりいいでしょ」
3
また、辺りの景色が移り変わる。
長い夢だ。
こうやって、昔の記憶を見せられ続けるのも、いい加減飽きてきた。今更こんな物を見て私はどうしたらいいのだろう。
過去は変わらない。
どれだけ後悔していても、どれだけやり直したいと願っても、その時の決断は変えられない。なら、こんな夢を見る事に意味はない。
せめて夢の中でぐらい、現実とは違う、幸せを見せてくれたっていいのに。
小学生の私、中学生の私と来て、今度は女子高生の私が見えた。
これで最後だろうと思う。
なぜなら、今の私は女子高生で、これ以上、振り返るべき過去はないのだから。
女子高生の私は、浅井さんと、その取り巻きとたむろしていた。
傍から見れば、素行不良の若者の集団にしか見えないだろう。事実そうだけど。
だけど少なくとも私は、私だけは、こんな所に、居たくて居る訳じゃない。
中学生の頃に再会してから、そのままずるずると、私は浅井さんの金づるとして彼女の隣に居続け、グループの中では虐めの対象として見られ、それ以外には非行少女として見られている。
毎日毎日、夜中に集まっては誰と誰がヤったとか、喧嘩がどうとか薬がどうとか。
私はいつだって逃げ出したい気分だったけれど、逃げ出せば、その後どうなるかなんて分かり切っていた。
もしかしたら、殺されてしまうかも知れない。
浅井さんも、周りの連中も。もうただの虐めっ子ではなくて、いっそ、犯罪者と言ってしまってもいいぐらいに壊れてしまっている。
いつか、本当に人ぐらい殺してしまいそうなくらい。
皆本当に、人殺しなんて心の底から何とも思ってないんじゃないかと、そう思うぐらい酷い有様だった。私とは違う意味で終わっている。
倫理観や常識なんて無い。
悪辣で陰湿。
最近の若者は怖い、なんてよく言うけれど、本当にその通りだと思う。この人達の為に作られた様な言葉だ。
浅井さんにだって、きっと別の未来もあったと思う。こんな悪い人間じゃなく、普通の女子高生になる未来だってあったはず。
だけど彼女はどこかで何かを間違えた。それで、戻れなくなった。落ちてしまった。
そんな所だけ、私と似てる。
きっと彼女は間違えたなんて思っていないだろうけど、望んでそうしているのだろうけど、でも、きっと間違えたんだよ。
お互い間違えなければ、私達が親友になる未来だってあったかも知れない。
過去が変えられない事と同じぐらい、未来は分からないんだから。
なんて。
救えない同族意識とくだらない可能性の話をしたって、どうにもならないんだけどさ。だけどそんな事を考えてしまうぐらいに、この頃の私は限界だった。
時に理不尽な暴力を浴びて、常にお金を取られて、たまに変な薬を飲まされた。
浅井さんは合法なヤツだって言ってたけど本当かな。
取り巻き連中も、皆好き放題。私に対しては何をしてもいい、みたいな認識がグループ内の全員にあった。
初めて、男の人から殴られた。
何度も、女の子から殴られた。
もうお金をいくら取られたかなんて、数えるのもやめた。
リストカットした。
リストカットの痕を見られて、「増やしてあげる」なんて言われて刃物で傷をつけられた。
悪事を強要された。
もう本当に、死んでしまいたい気分だった。
「アンタさ、男とヤった事あんの?」
ある日、浅井さんがそう言った。
……。
一番嫌な記憶。小学生の頃、告白されたあの時が一度目のターニングポイントだとすれば、これが二度目だ。
この後も色々あったけど、この時この瞬間に、この後の運命の方向が決まった気がする。
嘘でもつけば良かったかな。
うん、そうね。ヤりまくりだよ、とか言っとけば良かったよ。
結論から言って、この時の私に男性経験は無かった。
ていうか、当たり前でしょ。全部壊されて、恋愛も遊びも満足に知らないんだから。誰のせいだと思ってるの。
で、その後はお察しだね。
つるんでいたグループ内に男は腐るほど居たし。
私の方から強く拒絶しなかったのだから、無理矢理って事にはならないだろうけど。それは強く拒絶したらどんな目に合うか分かってたから。
それにそんな拒絶は意味がないって事も、十分理解出来ていたから。
なーんか、持っている物全部奪われたって感じ。
でもね、そんな中で私は希望を見つけたんだ。
色んな男と、色んな事をする中で、一人だけ私に優しい男が居た。初めこそ他の男と同じ、悪ふざけと欲望の発散、て感じだったけど、その後から凄く優しくなって。
優しくされたのなんて久しぶりだったから、私も嬉しくなって色んな話をした。今まで辛かった事、経験した事、悩んでいる事、全部。
自分で言うのもなんだけど、私の話なんて、聞けば聞くほど気分が沈む様な話ばかりで、彼がこれを聞いてどう感じていたのかは今となっては分からない。
だって彼、死んじゃったから。
彼が私に優しくして、私は嬉しくなって色んな話をして、自然と付き合って。で、それが他の皆にバレたらしい。
グループ内で一番下の立場で、皆から虐められて蔑まれている様な女を彼女にしてるって、そう言われて、彼自身も周りから軽んじられるようになった。
分かりやすく言えば、私みたいに扱われた。
虐められた。
そう言えばこの時、浅井さんだけはその虐めに加わってはなかった。あんなに虐めが好きだったのに、と少し不思議に思った事を覚えてる。
彼は元々少し精神が不安定な人だったけど、そんな扱いになってから一気に酷くなって。
それで、ズドン、と飛び降りた、ビルの屋上から。
自殺。
だけど、こんなの周りに殺された様な物でしょ。
それから、さすがに人死にが出たという事でニュースになって、学校やら警察やらが動いて、私達は夜遊びが出来なくなった。
何故か浅井さんからの連絡も無くなって、本当に久々に、何もない時間。
もうとっくに親から見放されていて、家に居てもする事もないし、私は気まぐれを起こしてしばらく行ってなかった学校に行く事にした。
制服も、教室も、もはや懐かしい。
授業は全然ついていけなかった。当たり前。
あっという間に、放課後になる。
教室には私一人。
本当はここで青春を過ごすはずだったのに。
我ながら、不幸な人生。
間違え過ぎた過去。
間違えてばかりの癖に、どこで間違えたのか分からない。
本当の本当に。
本当に本当に。
あーあ。
その時、教室のドアが勢いよく空いて、一人の女生徒が入ってきた。
「浅井さん……?」
彼女は、怒りを隠そうともしない表情でこちらに歩いてくる。
私の胸ぐらをつかんで、ハサミを握りしめて。
凄い顔で私を睨んできた。
その顔に見覚えがある。
その顔は――小学校の頃――あの時の――。
「なんでっ――! アンタばっかり! アンタなんかに惚れたせいでリョウは飛び降りたんだっ! いつもいつも人の男取って! 挙句の果てには殺しやがった!」
知らないよ。
何を言っているのか分からない。
彼を殺したのはお前らだ。
というか彼、リョウって名前だったんだ。そういえば下の名前、知らなかったかも。
また、いつもみたいに私を傷つけるの。
いいよ、もうどうでも。
そんな事より浅井さん、アナタ、まだそんな顔出来たんだね。
人の為に、そんなに怒って、そんなに泣きそうな顔で。
彼、リョウ君だっけ。彼を好きになったり、彼の自殺にそんなに感情的になったり。
そんな事、まだ出来たんだ。
とっくに――。
――とっくに壊れてるのかと思ってたよ。
ざくり、とハサミが私の胸に突き刺さった。
4
「さて問題です」
「はいはい、私はどうすればよかったか、でしょ」
「うふふ、そうだよ。胸にハサミを刺されて死んでしまうなんて、あまりに不幸じゃない。だから、私は、いやアナタはどうすればよかったのかな」
胸から血を流して、制服が真っ赤に染まった彼女は問う。
ああ、これはこういう悪夢か。
過去を振り返ってばかりで面白くないと思っていたけど、なるほどね。
自分が殺される悪夢。
よくあるよね。自分が殺される所で目覚める夢。
「どうすればよかったか、なんて決まってるでしょ――」
私は――目を開けた。
夢から覚めて、現実の空気を吸う。
確かに、これは夢ではなく、現実だと感じる。
場所は夕暮れの教室。教室の自分の席で寝てしまっていたらしい。
随分長い夢だった。
そして。
酷い悪夢だった。
浅井さんに殺されるなんて。これが悪夢でなくて何だと言うのか。
いや、浅井さんに殺される事そのものは別に悪夢と言う訳でもないか。
そんな事は今まで、たまたま起こらなかっただけで、いつ起こってもおかしくない事だったし、少なくとも私は、いつか浅井さんに殺されるのではないか、と思っていた。
私にとって今見た夢が悪夢である理由は。
浅井さんが――死んでいないから。
私は足元を見る。
そこには、ハサミを突き刺されて死んでいる、浅井さんの死体があった。
浅井さんがハサミを持って私に掴みかかるまでは、夢も現実も一緒。だけど、そこから先の結末が違う。
殺すか、殺されるかが、違う。
現実は、私がハサミを奪って、刺し返した。
返り血で、制服が赤く染まっている現実の私。
自分の血で、制服が赤く染まっている夢の中の私。
どちらが正しいのだろう。
正当防衛とはいえ、人を殺した現実の私と、自分が今から殺されるというのに、抵抗すらしなかった夢の中の私。
まぁ、でも。
どちらが正しいのだとしても、どちらも間違っているのだとしても。
もうどちらも、壊れてしまっている。
とっくに壊れていたのは、浅井さんなんかじゃあなくて――私だったんだ。
でも、だったら。
夢の中の私より現実の私の方が、気分がいい。
だって私は、浅井さんを殺したのだから。
そうだよ。
私が、今見た夢を悪夢だと思った理由は、浅井さんがのうのうと生き残って終わるから、なのだから。
自分の生き死によりも、そっちの方が大事。
今まで、散々してくれた彼女が死なずに、これからものうのうと生きていくなんて悪夢過ぎる。
だから、この現実で、無様にも自分の持ってきたハサミを突き刺されて、殺そうとした相手に殺し返された、もう動かない浅井さんを見て、血まみれの私は呟く。
「あーあ、夢で良かった」