序章-2:目覚めの地、優しき救い主
どこか遠くで鳥のさえずりが聞こえる。柔らかな土の感触と、葉のこすれる音。ユウキ・ユウトはゆっくりと目を開けた。眩しい陽光が視界に入り、しばらくその明るさに目を細める。頭がぼんやりとして、状況が飲み込めない。
「……ここ、どこだ?」
立ち上がり、周囲を見回すと、そこには見たこともない光景が広がっていた。天高くそびえる木々は日本の森とは全く違い、幹は異様なまでに太く、枝から垂れる葉は青や紫といった奇妙な色彩を帯びている。見たことのない植物が足元に生い茂り、風が吹くたびに微かに光る花びらが舞い上がる。
ユウトは額に手を当てながら周囲を歩き回った。服はそのままスーツ姿だったが、手荷物はどこにも見当たらない。ポケットを探ると、小銭入れすら消えていた。
「どうなってるんだ……」
歩き回るうちに、ふと胸に疑問が湧いた。あのトラックが迫ってきた瞬間、確かに身体が吹き飛ばされるような衝撃を受けた。なのに今、どこにも傷ひとつない。息苦しさも、痛みもない。
「俺、死んだ……のか?」
その言葉を口にした途端、胸がざわついた。けれど、考える暇もなく、近くの茂みがざわめいた。ユウトは反射的に振り向く。
「……何だ?」
茂みの奥から現れたのは、獣だった。大きな狼に似ているが、その毛並みは黒く光り、鋭い牙が赤く染まっているように見える。目は炎のようにギラつき、喉から低い唸り声を漏らしていた。
「やばいな……」
ユウトはじりじりと後ずさったが、背後にも草木が生い茂り、逃げ道は限られている。この場をどうやって切り抜けるべきか、考える暇もなく、獣が地を蹴って突進してきた。
「くっ!」
ユウトは転がるように地面を這いながら獣の攻撃をかわした。だが、追撃は容赦ない。二度目の突進が彼の肩を掠め、スーツの袖が裂ける。痛みが走るが、それよりも恐怖が上回る。
「……逃げられないのか?」
絶望的な状況の中、再び獣が牙をむいて襲いかかる。その瞬間、空気が震えた。
「――焔閃!」
透き通るような女性の声が響き、視界の端で何かが弾けた。赤い閃光が獣のすぐ横で炸裂し、驚いた獣は唸り声を上げて後ずさった。その動きに戸惑う間もなく、再び空気が揺れ、獣の足元に炎のラインが描かれた。
「これ以上は近づかないで」
女性の声は静かでありながら威厳があり、獣は怯えた様子でその場を離れ、森の奥へと逃げていった。
ユウトは恐る恐る声のした方向を振り返る。そこに立っていたのは、一人の少女だった。彼女は白い肌と長い銀髪を持ち、紅い瞳が輝いている。その姿はまるで物語の中の精霊のようだった。優しげな表情が、ユウトの緊張を少し和らげた。
「……大丈夫ですか?」
少女が一歩近づいてきた。ユウトは思わず呆然と見上げてしまう。先ほどまでの恐怖が嘘のように消え、彼女の柔らかな雰囲気に包まれるような感覚を覚えた。
「あ…ありがとう、助かったよ」
「無事でよかった。でも……腕を少し怪我しているみたいですね」
少女はそっとユウトの擦りむいた腕に視線を向けた。その瞳には、一切の敵意や緊張が見られない。ただ純粋に彼を気遣う心が込められていた。
「い、いや、これくらい平気――」
「じっとしてください」
彼女はユウトの言葉を遮ると、持っていた布の切れ端を取り出し、手早く彼の腕に巻きつけた。処置をする手つきは驚くほど丁寧で、それだけでユウトは少し顔が熱くなるのを感じた。
「これで応急処置はできました。痛みますか?」
「……ああ、大丈夫。君、すごいね」
「そんなことありません。危険な目に遭っている人がいたら放っておけないですから」
少女は柔らかく微笑んだ。その笑顔はどこまでも優しく、ユウトの胸の中に小さな温もりを灯した。
「名前を聞いてもいいかな?」
「私はリュシア。リュシア=リーデンハイル。この辺りに住んでいます。あなたは?」
「俺はユウキ・ユウト…...実は突然この森で目を覚まして....全くわけがわからなくてさ」
「そうですか……もしかしてあなた“異邦人”ですか?」
リュシアは少し驚いたように首をかしげる。
「異邦人?」
「ここでは別の場所から来た人たちをそう呼ぶんです。理由は分からないですが、何かのきっかけでこの世界に迷い込むことがあるみたいです」
「それ、どういうこと……?」
ユウトがさらに質問しようとすると、リュシアは静かに首を振った。
「その前に、ここは少し危険です。森を出て私の家に来ませんか?怪我もちゃんと治療できますし、あなたも落ち着いて話ができるはずです」
「……いや、でも、いきなり知らない家に行くのもどうかと……」
「そんなこと言っている場合ではありませんよ。このままではまたユウトが魔獣に襲われてしまうかもしれません」
「それはわかるけど……」
ユウトが戸惑って言葉を濁すと、リュシアは少し困ったように肩をすくめた。
「心配しないでください。あなたを無理やりどうこうするつもりはありません。ただ……あなたを放っておくことも、私にはできません」
リュシアの真摯な声に、ユウトは思わず口をつぐんだ。彼女の言葉に嘘はなく、何よりその瞳が彼に伝えてくるものがあった。
「……わかった。ありがたくお邪魔させてもらおうかな。何もお返しとかはできないけど......」
「そんな、お返しなんていりません。ただ、あなたが無事でいてくれるだけで十分ですよ」
彼女の微笑みに、ユウトは少しだけ救われた気がした。そして、彼女の後をついていくことにした。未知の世界と、未知の出会い。その先に何が待つのかもわからないままに。
この世界の情報。
1.異邦人:別の世界から来た人をそう呼ぶようだ。
2. 焔閃:炎を飛ばす魔法のようなものだ。




