第七話:不気味男と不穏な空気
「こんにちは」
そう発したかは聞こえなかった。それと同時に、レイドの強烈な蹴りが繰り出され、風を切る音にかき消されたからだ。ただ、聞き馴染んだ言葉に、脳は勝手に「こんにちは」と解釈した。
「危ない危ない。さすがですね」
男は軽やかに身をかわし、不敵な笑みを浮かべた。蹴りの風圧が彼の髪をわずかに揺らすが、まるでそれすら楽しむかのように、余裕を漂わせている。
「……俺の蹴りをかわすとはな」
レイドは目を細め、木剣を構え直した。その動きはいつでも次の攻撃を繰り出せるように研ぎ澄まされている。
「ふふ、流石は『軍征省武装局特殊任務課第二特別討伐隊分隊長』――レイド・アルフェンドさんですね」
男はレイドのフルネームを正確に口にしながら、感心したように軽く手を叩いた。
「俺の名前と部隊まで知ってるとはな。そりゃあどうも……って、気味が悪いだけだな」
レイドは鋭い視線を男に向け、警戒を解かない。
「まあまあ、そんなに怖い顔をしないでくださいよ。実はあなたに会ったのは、偶然なんです」
男は軽く息をつき、肩をすくめながら優雅に微笑んだ。
「偶然だと?」
レイドが低い声で問いかけると、男はゆっくりと視線をユウトに移した。
「本当に用があるのは、こちらの方なんですよね……」
男の口元が吊り上がり、不気味な笑みを浮かべる。その瞳には鋭い光が宿り、ただの「挨拶」ではないことを物語っていた。
「俺に用があるって、どういうことだ?」
ユウトは剣を握りしめたまま、警戒を隠さず問いかけた。
「まあまあ、そんなに身構えないでください。ただ、異邦人の噂を耳にしましてね。それで……実物を見ておきたくなっただけですよ」
男の軽い口調に、ユウトの表情が一瞬強張る。
「異邦人……って、あなたがどうしてそれを知ってる?」
リュシアが一歩前に出て、男を遮るように立ちはだかる。その声には怒りと警戒心が色濃く滲んでいた。
「どうして、ですか? ふふ……簡単な話です。この国の裏も表も、少しばかり詳しいものでしてね」
男はニヤリと笑みを浮かべ、肩をすくめてみせた。
「でも安心してください。今日はただの挨拶に来ただけです。詳しくはまたの機会にしましょう」
男の言葉に、リュシアはさらに目を細めた。その紅い瞳が鋭く光る。
「お前は何者だ……?」
レイドが一歩前に出て木剣を構え直す。だが、男はその問いに答える素振りも見せず、楽しげに笑うだけだった。
「それは追々、お伝えするかもしれません。では、また近いうちにお会いしましょう――」
そう言うと、男の体はまるで闇に溶け込むように消え始めた。
「待て!」
レイドが叫び、木剣を振り下ろした。しかし、すでにそこには誰もいない。
男の不気味な笑みと言葉だけが、三人の心に深い影を落としていた。




