第二話
「遺伝子組み換えを行った受精卵には全て、DNA鑑定時に我々の実験体であることを特定できるマーカーを組み込んであります。万が一の流出事故や追跡調査に備えての対策です」
「十三年前の失態が万が一かどうかはともかく、世界中で行われているDNA鑑定からどうやって特定するのかね?」
どうしても一言嫌味を言わなければ気が済まないニューイに辟易しながらも、ゴードンは説明を続けた。
「同じ塩基配列が繰り返し存在する、特殊な縦列反復配列の繰り返し回数パターンで識別します。西側諸国のDNA鑑定ができる施設やデータ収集している公的機関はNSAの監視下にあり、プログラムしてある繰り返し回数パターンとマッチすると自動的にアラートが上がります。同じ繰り返し回数パターンになる確率は四兆七千億分の一以下、誤認はあり得ません」
NSAはアメリカ国防総省の情報機関で、シギントと呼ばれる電子機器を使った情報収集及びその分析、集積を担当している。CIAと並びその実務レベルでの違法性は群を抜いているが、彼らを告発することは藪を突いて蛇を出すことにもなりかねず、アメリカの利益を守るための必要悪としてグレーゾーンでの活動を続けていた。
「四兆七千億分の一の子供か」
ニューイが男児の写真を示し、続けた。
「だが、どんな特殊なDNAを持っていようが、鑑定されなければ永遠にわからないだろう。なぜこの子供はDNA鑑定を受けたのかね? まさか全米の十二歳児全員を鑑定したわけではあるまい?」
「十二年前、カリフォルニアで手広く事業を展開していた中国人実業家の、生まれたばかりの赤ん坊が誘拐されました。商売敵の犯行と目されていましたが、事件は未解決のままです」
当時の資料によると、身代金の要求はあったものの受け渡しはされず、赤ん坊は行方不明。西海岸一の華僑であった実業家は、アメリカや中国だけでなくシンガポールなどにも敵が多く、容疑者を絞り込むことが出来ないままコールドケースとなっていた。
「その誘拐された赤ん坊がこの子だと?」
「被害者はそう思ったようです。金に糸目をつけず、西海岸の孤児院や保護施設を片っ端から当たっていましたが、自分の子供の頃とよく似たその子を見つけてDNA鑑定にかけたんです。結果は彼の子供ではなく、我々の子供でしたが」
荒唐無稽と思われていた研究の、奇跡的な成果かもしれない十二歳の少年。だが、それは同時に政権を吹っ飛ばすには十分な、いつ爆発するか分からない時限爆弾でもあった。
権力者の失脚後に粛正の嵐が吹き荒れるのは、ロシアだろうがアメリカだろうが変わらない。違いがあるとすれば、処刑か事故かくらいだ。クビで済めば良いが、多くの機密情報に触れてきた自分たちはおそらく、不運な事故で命を落とすことになるだろう。
「三日遅かったな」
「では……」
憂鬱な気分で、わかりきった答えをゴードンは聞いた。誰かがやらなければならないとはいえ、子供を殺したくはない。
「誰かがやらなければならない仕事だ。この子を生み出した我々が責任を取るべきだろう」
決して自分では責任を取らないタイプの人間が、決まって使うフレーズだった。
「もう一つ」
用事は済んだとばかりに背を向けかけたニューイを、ゴードンは引き留めた。
「これ以上悪い話じゃないことを祈りたい気分だな」
「研究を主導した日本人の医学博士ですが、契約を更新せずに日本へ帰るそうです」
「この子の発見と関係がありそうか?」
偶然にしてはタイミングが合いすぎるが、自分の研究成果を捨て置いてアメリカを去るとも思えない。
「いえ、彼の存在を出自も含めて知っているのは、我々のほかは局長だけです。おそらく、日本の研究機関が相当額の予算を付けてヘッドハンティングしたようです」
「塩漬けと思われていた研究に?」
「日本円で三桁以上の億をつぎ込むとの分析もあります。もしかすると、ブレイクスルーの鍵を見つけたのかもしれません」
ニューイは五秒ほど目を閉じて考えていたが、すぐに決断を下した。来年は中間選挙があり、自分たちのボスである大統領陣営は苦戦が予想されている。今のタイミングでことが公になれば、苦戦どころの話ではなくなるのは間違いない。
「君に五日間やろう。この少年と博士、研究メンバーは全員排除。施設も破壊して、一片のサンプル、一バイトのデータも残すな」