第七話 カマヒラ警察署①
開いた目に映ったのは、コンクリートで出来た小さなドームの内壁だ。天井中心から放射線状に黄緑と青のラインが伸びていて、自分の体に降りかかってくるような感覚に陥る。
横になったまま、タマはしばらくぼんやりとその模様を見つめた。現状が中々飲み込めない。とりあえず、床が硬い事は確かだ。
「いてて……」
ゆっくり上半身を起こすと、背中全体に痛みが広がった。骨が軋むようだ。楕円形をしたコンクリートの入口から、外へと視線を伸ばす。どうやら自分がいるのは、公園の遊具の中らしいと気づいた。
背中を気遣いつつそこから這い出た途端、もわっとした熱気がタマの体を包んだ。額の汗を手の甲で拭い、周囲を見回してみる。水飲み場の傍に、シーバが屈んでいた。
「あ、やっと起きた」
近づいたタマを振り返り、彼は笑む。片目を覆う前髪のせいで、半分の感情しか読み取れない。タマは一度伸びをした後、眉を寄せた。
「……なんで俺……あんなとこで寝てたんだろ……」
「……」
シーバが不思議そうに瞬きをしたが、タマは気に留めなかった。再び辺りを、ぐるりと見渡す。
「イッチャンは?」
「さあ。昨日一人で部品工場に戻ったきり帰ってこないから、あっちでまだ寝てるんじゃない」
「……は?」
横顔を見つめていても、シーバが補足する気配はない。タマは諦めて、背中をさすった。
「帰ろうぜ。俺、湿布したい。背中」
「痛めた?」
「ちょっと。……あやっぱ、けっこー痛いかも」
「湿布薬は配給所にもあるだろ。そこで貰えよ」
「え? でも、あの工場の救急箱にも……」
「……」
シーバは膝を抱えた体勢で、遠くを見つめるだけだ。
「なあ……その服、暑くない?」
「暑くないよ」
言葉通り、彼は長袖のジャージを着ているにも関わらず、涼しい顔をしている。見ているタマのほうが余計に暑くなってきて、思わずティーシャツの袖を肩まで捲り上げた。
やがて視界に、スーツ姿のイチハナが映った。黒いマスクをしているが、厳しい表情でいる事がわかる。右手にタマのリュックサックを携え、歩んでくる。
「暫定措置だが、工場の敷地を閉鎖してきた。少なくとも、無関係な人間に荒らされる危険性は低くなる」
「えっ、なに……どういう事? なあ」
状況を把握出来ないタマは、他の二人へ視線をやる。イチハナが、あからさまに苛立ちの色を濃くした。
「……まだ警察が来ないんだ。仕方ないだろう……!」
「……」
思いがけなく強い返答に、タマは怯む。
「警察が来れば、俺の携帯電話に連絡が入るはずだ。……行くぞ」
イチハナの一声で、シーバがのんびり立ち上がる。何一つ納得がいかないタマは、おずおずと口を開いた。
「行くって、どこに……」
その時だ。落雷のようなすさまじい音が響いて、タマの肩がびくりと跳ねる。
「まだ続くか……」
イチハナが携帯電話で地図を確認している間も、音は絶えず鳴り響く。タマは不安感から、視線を彷徨わせた。
「な、なんだろ、この音……。……爆発?」
「ふふふ。なんだろうね? 夜から、ずっとうるさいよね?」
「夜から?」
笑みを送るシーバに対し、タマの頭は疑問符でいっぱいだ。どういう事かと一から聞きたいところだが、イチハナは画面を凝視しているし、シーバはどこか楽しそうに「チクタクチクタク」と揺れている。仕方なくタマは渡されたリュックサックを背負い、歩き出したその二人の後へ続く事にした。
辿り着いた先は、蛍光色の建造物が立ち並ぶ工場密集地。周辺には住居もほとんど存在せず、工場自体も全て閉鎖している。
煙が立ち上る建物へと近づくにつれ、タマの鼻を強烈な悪臭が襲った。
「うわっ、くっせー!」
化学工場から漏れる、独特な刺激臭だ。咳込むタマをよそに、イチハナは倒壊した廃墟を見上げる。
「あまり呼吸するな。肺がやられる」
「んな無茶な事……っ」
彼が目をやらず事務的に、ハンカチを差し出す。タマはすぐに受け取り、口元を覆った。
次々に発生する爆発の後を追ううち、数時間が経過した。辺りには薄闇が広がっている。イチハナは携帯電話の地図上に、全ての爆発地点の印をつけながら進んでいた。しかし結局この日は解決策を見い出せず、三人はやむなく課題を明日以降へ持ち越す事にした。
「――え、どこ行くんだよ。帰るんだろ?」
タマが立ち止まったのは、その結論が出てからまもなくの事。部品工場とは違う方面へと、二人の体が向いていたからだ。イチハナが、やや煩わしそうに足を止める。
「公園にな。次の住処が見つかるまで辛抱しろ」
「なんでだよ。今までのとこに帰ればいいじゃん」
と、タマは目を丸くする。
「僕は別に、気にしないよ。公園より寝心地いいしね」
シーバの言いぐさは風のようだ。イチハナは思案げに一時視線をずらしたものの、すぐに首を振った。
「……いや、あそこへは帰らない。別の場所を探す」
「……」
「タマ、お前まで悪い冗談だ。ふざけるのはやめろ」
またしても、腑に落ちない叱責だ。しかしイチハナの放つ空気を読み、意見を飲み込んだ。
「……それなら俺、公園よりいいとこ知ってるよ。任して」
普段の巡視の際タマは、他に使用出来そうな廃墟がないかをチェックしていた。ここは自分の出番だと気を引き締め、先頭に立った。
布団や食糧を調達し、三階建ての雑居ビルへと移動した。外観はくすんだ茶色のレンガ造りで、一階は玄関のみ、二階と三階にフロアが一つずつの大きくはない建物だ。以前の住処より古く、窓や壁の見た目も頼りない印象を与えるが、区役所と警察署から近い場所に位置しているのが利点だった。
エアコンと四脚の椅子があるだけの、がらんとした二階フロア。部屋中央の照明の下、三人は漆喰の壁を背に、それぞれレモン色の椅子へと腰かけた。マスクを外したイチハナが、携帯電話を拡張する。地図画面上には、八か所の印があった。
「場所に規則性がない。犯人は無作為に選んでいるのかもしれない」
「けど、まだ誰かがやったって決まってねーだろ。なんかほら……なにかが誤作動とかして誤爆的なのしたのかもしんないし……」
「……タマ」
「ごめん、黙ってます……」
真剣な顔で画面に見入るイチハナを、シーバは冷たく一瞥する。
「無作為? 理由のない物事なんて、存在しないんじゃなかったのか?」
「……」
イチハナが反論せずにいると、彼は満足そうに笑った。
タマは憂鬱になり、溜息を漏らす。
「こわいよな……。早くケーサツとか国の人が、解決してくれるといいんだけど……」
あまりに問題の規模が大きいと〝ノア〟の手に負えそうもない。なにせタマの通常業務の主は、環境美化なのだ。普段行っている治安維持のレベルからすると、今回の出来事は桁違いに厄介そうだ。
縮小した携帯電話を握り、イチハナは眉根を寄せる。
「なぜ警察は動かないんだ……。こんなに火災や爆発や……殺人まで起きているのに……」
「えっ!?」
驚きのあまり、タマは椅子から落ちそうになった。そんな物騒な事件が起きている事など、まるで知らない。
「タマが公園で眠ってる間に、イチハナと警察に行ってみたんだよ」
ぽかんとするタマへ、シーバが言った。視線をやらず、イチハナが補足する。
「延々電話しているのに、一向に繋がらないからな。……でも……警察署に出向いてみても、立ち番の警官もいないし、扉も閉まっていて応答がなかった。警察署には俺達の他にも、二十人以上が詰めかけていた。皆それぞれ、事件の被害を訴える住民達だった。殺人だけでも、何件かあるようだった。それなのに、なぜ警察はなにも……」
「え……。えっ、と……」
「どんどん事件が増えているのに、警察が対応しきれていないんじゃ……。治安は悪くなっていく一方だ……」
イチハナの瞳は、苦悶に満ちていた。タマは更なる補足を求め身を乗り出したが、二人はその思いに応えてはくれない。各々考えに集中しているらしく、沈黙してしまった。
「……MSSのデータが、見れたらな……」
しばらくの後、シーバがぽつりとそう呟いた。
「……なんで?」
「……」
説明が面倒だったのか、背もたれに重心を預けた彼は、再び口を閉ざす。代わりにイチハナが、タマへと顔を向けた。
「……犯罪歴が一定値に達した人間は、GPS登録がされている。……これぐらいの情報は、いくらタマでもさすがに……知ってるよな?」
「いくら俺でも……って、他に言い方ねーのかよ。知ってるよ、それくらい」
住民達の頭に埋め込まれているICチップ。重罪を犯した人間はそのチップがGPS登録され、MSSが実際にスキャニングせずとも、警察は常にその人間の場所を把握出来る仕組みになっている。――いつかのニュース番組で得たその情報を頭の片隅から引き出し、タマは躍起になった。
「つまりGPSを管理しているMSSを通してなら、凶悪犯の居場所がわかる。居場所がわかっていれば、その人間を警戒し最低限の準備が出来る」
「あ、ああ……なんとなくわかったかも……。……でもさ、ケーサツの情報見るなんて、どーやっても無理だろ。例えばハッキングとか、出来たとしてもさ……。そんな事やったら、俺達まで犯罪者じゃん」
「こんな状況下で、犯罪もクソもある?」
鼻で笑うシーバに、イチハナは苦い顔をする。
「……。駄目だ。悪事に手を染めるなど、俺は絶対に許さない。別の方法を考える」
「……」
「とにかく、引き続き巡察してみよう。これ以上犯罪が増えるのを、防がなければ」
冷房の効いた室内。タマとシーバは床に座り、二十二時過ぎまで携帯電話でアニメ番組を観ていた。が、シーバはとうに飽きていたようだ。何度も欠伸をし、タマにもやがてそれが伝染した。
鮮やかな水色の床に、配給所で受け取った布団を三つ並べた。あまりの薄さに、寝転ぶなりタマの背中に今朝の痛みがぶり返す。隣のシーバは、もぞもぞと布団の中へ潜っていった。
「イッチャン、寝ないのー?」
「ああ」
イチハナは椅子へ座ったまま、なおも熱心に携帯電話を眺めている。そのうち二階の照明を消し、三階へと移動していった。明かりは、窓から差し込む街灯のものだけになった。
「……ねえねえ」
「あ、なんだ。もう寝たのかと思ってた」
それまで布団に潜ったきり静かだったシーバが、いつの間にか顔を出している。わざとらしい小声で、左側にいるタマへ囁いた。
「お前は、イチハナの事を信用しているの?」
「へ? ……ああ、うん。勿論……」
「僕の事は?」
「……」
質問を不思議に思いながらも、タマは丁寧に答えた。
「勿論、信用してるよ」
「……ふふふ」
急にシーバが布団に顔を埋め、くつくつと笑った。タマにはその態度が、どういう感情から来るものなのかわからない。うそ寒さを感じ、つい顔が強張った。
「……な、んだよ」
再び顔を出したシーバは、興奮気味に目を開いた。
「タマは、いい子だなあ。いい子でいるのは、危ないよ」
「は……?」
「僕は、救世主なんだよ。だからタマの手助けしたいし〝ノア〟の役に立ちたいなあ」
薄暗い部屋で、シーバの眼球が爛々としている。タマは凍りついたように、動けなくなった。
「爆発事件が起きて、忙しくなったね? また明日もいっぱいやる事が増えるから、いっぱい頑張れるね? おやすみ、タマ」
「あ、う、うん……おやすみ……」
理解出来なかった。しかし理解出来ないのは、シーバの事だけではない。自分のいるこの地が、みるみる知らない表情へ変わっていく気がしていた。災難の数々が追いつく前に、二年という時間が逃げ切ってほしい。タマは布団を被り、眠る事に集中した。
【続】