第六話 アカリ区コンビニエンスストア④
※グロシーンがあります。ご注意下さい
「じゃ、行ってくるからな」
翌日の昼。曇天の下、タマ達三人は子供二人に挨拶した。また元気よく返事をするマナリの一方、ヒスイの様子は昨夜から好転しない。なにか言いたそうにちらりとタマを見上げたり、深刻に俯いたりしている。
「ちゃんと帰ってくるから。それまで留守番頼むぜ、な?」
「……」
「ちゃんと帰ってくるからな?」
後ろ髪を引かれつつも、タマはガレージのシャッターを施錠した。
「……なんか、ヒスイの言った事気になってきた……」
「面白そうだよね。都市伝説かなにかかな?」
シーバの調子外れな物言いに心配を一蹴され、タマは閉口する。さっさと敷地を出るイチハナへと、二人も続いた。「そんな事より」と、彼が振り返らないまま言う。
「彼女達の今後を考えるのが先だ。もっと明るくて過ごしやすい、同年代の子供がいるような充実した住居か施設へ預けるべきだ。あんな場所にいるから、余計に恐怖心を煽られる。事情を話せば二人くらい、どこかしら受け入れてくれる場所があるだろう」
思いがけない言葉に、タマは少しだけ目を丸くする。
「なんだよ。ヒスイ達を出ていかせたがってたのって、そういう意味だったの? ちゃんと考えてくれてたんだ」
「……〝ノア〟の為だ。勘違いするな」
「またまたあ。実は優しいんだ?」
タマのニヤニヤ顔を一瞥し、イチハナは黙々と先頭を歩んだ。
三人は平常通り、分かれて各々のルートを辿った。ゴミをポイ捨てした人を注意したり、道に迷っている人を案内したりと、タマのこの日の巡視は普段よりもいくらか平穏に過ぎていった。
一段落した頃、携帯電話を見た。まもなく午後六時だと確認した瞬間、画面が真っ暗になった。昨夜充電し忘れていた事を後悔しつつ、仕方なくポケットへしまった。
帰る前に食糧を受け取る為、タマは運動公園へ足を向けた。イチハナとシーバの配給チケットは預かっているが、考えるべきはヒスイ達のぶんだ。彼女達が今後別の場所で生活する事になれば、二人のチケットも必要になる。イチハナの時のように、また探し回ってみるか、と思案しつつ歩いた。
食糧を携え家路を辿る途中、道端に咲く白い草花へと目が留まった。派手な建物に囲まれているせいか、その可憐さは崇高なまでに際立っている。見下ろしてタマは、ふっと微笑んだ。
――と。その花弁に、ポタッと雫が落ちた。瞳を上げてみれば、瞬く間に空が黒く染まっていく。
〝くるんだもん……カミナリのよるになると……〟
マナリの言葉が、タマの中に渦巻きだした。
「はあっ、はあっ」
呼吸の仕方もわからなくなる程、全力で走った。工場へ着いた頃には、辺りは雷雨の爆音に飲まれていた。無駄な心配であってほしいと願っていたが、ガレージを視界に捕えるなりタマの顔から血の気が引いた。なにかに激突されたように、中心が激しく凹んだシャッター。屋内へとなぎ倒されていて、外との境がなくなっている。
「ひ、ヒスイ! マナリ!」
暗闇の中を、壁伝いに進む。電気のスイッチがある場所まで来たが、停電しているようだ。カチカチと押してみても、明かりは点かない。
「俺だって! どこにいる!? 返事し……」
――歩いている最中。ぐに、となにかを踏んだ。
足がもつれ、タマは転んだ。抱えていたパウチやペットボトルが、方々へ散らばる。上体を起こした、次の瞬間。強烈な雷光が窓から差し込み、部屋の中は一時、昼間のように明るくなった。
「……はあっ、はあっ……」
全身の末端からムカデが這うように、急速に鳥肌が立った。意思に反し、呼吸が荒くなる。……一瞬だけ目に映った。足元に、縦に真っ二つになったヒスイとマナリの死体が転がっていた。
「……はあっ……! はあっ……!」
空の唸り声は途絶えない。外から閃光が射す度に、足元の惨状が視界へと入る。突如迫り上がってきたものを抑えられず、タマは膝を突きその場に激しく嘔吐した。
「……これからは、なにもかもが勿体なくなる……」
咳の合間に肩で呼吸をし、その声のほうを振り返る。シーバが日頃となんら変わらない笑みを浮かべ、佇んでいた。
「ヒスイもマナリも、よかったよね? これでもう怖い思いする事がなくなったんだから」
「…………」
タマが茫然と彼を見上げていると、イチハナが帰ってきた。携帯電話を、照明代わりにしている。彼はヒスイ達を一瞥し、鬱屈した面持ちで二人の傍へ来る。
「あーあ、僕お腹減ったなあ。……アハハ、タマもだろ? 晩メシ、用意してくれよ。イッチャン」
嘲るようなシーバを、イチハナは憎らしそうに睨みつけた。
電気が復旧し、どれ程の時間が過ぎたのかタマにはわからない。二つの小さな体は布団に包まれ、先程の場所――ダイニングテーブルの脇に置かれたままだ。血を吸い込んで、布団は下部からじわじわと真っ赤な染みを広げていく。オレンジ色の床は、一部分だけグラデーションのようになっていた。
シーバと共にソファへ座ったものの、タマは震えが一向に止まらず、ガチガチと歯を鳴らす。壁際に立つイチハナは携帯電話を耳に当て、苛ついた様子でいる。
「繋がらないな……。警察も新しい環境になって、対応が追いついていないのかもしれない」
溜息を吐く彼へ、シーバは平然と口を開く。
「僕が二人共運んでいくよ。軽いから、片手で運べるかな?」
「動かすな。警察が来るまで現状維持しなければ」
「じゃあ、このまま今夜は死体と添い寝する?」
「……」
タマにはそんな彼達の姿も会話も、遥か遠くに感じられた。まるで自分だけが、水中に沈んでいるようだ。
「ヒスイが言ってた女が来たのかなあ」
と、シーバがぼんやり呟く。イチハナは深刻な顔つきで、携帯電話の画面を触り始めた。警察からの応答を、一旦諦めたようだ。警察署のホームページへアクセスし、緊急時問い合わせのアイコンを押す。
「……通報はした。後は警察が来るのを待つしかない」
彼は携帯電話をしまい、タマの前へ立つ。
「行くぞ。今夜は外で寝る」
その言葉は聞こえているのだが、体が言う事を聞かない。タマが立ち上がれずにいると、イチハナは小さく息を吐いた。彼にぐいと腕を掴まれ、無理矢理に立たされる。力を加えられた部分が痛かったが、そんな事はどうでもよかった。
引きずられるようにして、工場を出た。なにも考えたくはない。なにも見たくはない。大雨に打たれながら、タマは現実から逃げようと瞼を閉じた。
【続】