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第五話 アカリ区コンビニエンスストア③

 子供達が就寝の為二階へ移ってから、二時間程が経過した。一階では、イチハナがパイプ椅子に座り、携帯電話を操作している。シーバとタマはなにをするでもなく、ダイニングテーブルにぐだーっと両腕を伸ばしたまま、とりとめのない会話を続けていた。

「明日さあ、巡視の他なにしよっかなー。ヒスイ達、公園にでも連れてってやろうかな」

「いいんじゃない」

「こんな感じで、二年間過ぎるのかなー」

「どうだろうね。まあ間違いなく今、僕達は政府に飼育されてる状況だから、僕達を生かすも殺すも政府次第って事になるねえ」

 まるで他人事のような言いぐさだ。タマは、まじまじと相手を見る。

「……シーバってさ、変なの」

「そう?」

「うん、面白い」

 今まで関わった事のないタイプの人間だ。タマの言葉を受け、シーバは嬉しそうに笑みを浮かべた。

「明日は、この地区に行く。見ろ」

 ずっと黙していたイチハナが立ち上がり、二人の元へと加わった。携帯電話は掌サイズを基準として、側面のボタン一つで最大十五・六インチまで拡張出来る。――彼のこの端末は、配給チケットと同じくタマが付近を探し、他者から不用品として譲り受けたものだ。なに一つ手荷物のなかったイチハナに、不便だろうと差し出した。

 拡張したその画面上には、地図が表示されていた。

「ここは国の分断前からMSSの配置が少なく、警察の目も届きにくいようだ。きっと取り締まるべき連中が、多く潜んでいるだろう。明日は三人でそちらへ向かう」

 三人、という言葉に、タマは少なからず驚いた。普段は手分けして巡視を行っているわけだが、三人一緒にという事は、余程の危険区域かもしれない。気を引き締めて臨まなければ、と思わず背筋が伸びる。

「ねえ、タマ」

 対してシーバは、ぐだーっとした形のままだ。

「〝ノア〟っていつもこんなふうに、イチハナの憶測で動いているの? ずいぶんのんびり部活動しているんだね」

 なぜわざわざ、諍いを生むような言葉を吐くのか。彼の態度に、タマは困り顔になる。

「しゃあねーだろ。そういう悪い奴ら、他に捜しようがねーんだからさ。それに闇雲に歩いてるだけでも、結構取り締まりになってるんだって」

「闇雲に歩いているわけじゃない。俺はちゃんとした考えの基に、ルートを決めている」

 イチハナはそう言うと、携帯電話を縮小した。

 夜も深まり、キッチンのシンクに立った三人は、並んで歯磨きを始めた。遠くからゴロゴロと、雷鳴が聞こえてくる。タマは歯ブラシをくわえたまま、正面の小窓を開けてみた。暗雲が垂れ込め、空の虹色は淀んでいる。

「……あ」

 まもなく雨が降ってきた。雨脚は急速に強まり、聴覚を支配する。妙に心細くなり、咄嗟に窓を閉めた。

 二人に続きタマがウガイをしていると、背後で足音がした。マナリだ。タオルケットを抱き、泣きそうな顔で立っている。

「ん? どしたー。眠れないのか?」

 マナリは早足で傍へ来るなり、タマの足にぎゅっとしがみつく。

「こわいよお……」

「あれー、雷が怖いのか? マナリは根性ねーなー」

 笑ってはみたものの、これくらいの年齢なら怖がるのも無理ないか、と思い直し頭を撫でた。

「……だって、ヒスイおねえちゃんがいった……」

「ん?」

「……くるんだもん……カミナリのよるになると……」

「え? 来るって、なにが?」

 答えを待っても、マナリは震えるだけでそれ以上を喋らなかった。

 イチハナとシーバを一階に残し、タマはヒスイの隣へ、改めてマナリを寝かせた。ぽんぽんと優しく布団の上からリズムをとってやると、彼の瞼はすぐに閉じていった。

「……眠れないか?」

 ふと見てみれば、その奥のヒスイも起きていたようだ。曇りのない瞳が、天井へ向いている。タマのその囁きに、彼女は呟いた。

「……うん、眠れない。ずっと眠れないの」

「……そっか。よし。じゃ、おまじない。……目閉じて」

 すうすうと寝息を立てるマナリを越して、タマはヒスイの目元へと手を伸ばす。彼女の瞼の上に、そっと掌を当てた。

「……あったかいだろ? これ、俺も小さい時施設の先生にやってもらったんだ。これで眠れるよ」

 ヒスイは掌を宛がわれたまま、じっとしている。

「……タマ」

「ん?」

「……私ね、ちょっとだけ皆には見えないものが見えたり、わかったりするの。それがパパもママも、気持ち悪いんだって。他の子と違うから、捨てられたのかなって考えるとね、目を閉じて、眠るのが怖くて……」

 タマは一時目を伏せたが、感情を保った。

「……。眠るのは、明日の為なんだよ。怖くなんてない。例えば今日がどんなに嫌な日だったとしても、寝てしまえばそれでパッとおしまい。また明日は別の日に生まれ変わって、きっと今日よりいい日になるんだ」

 彼女を通し、その言葉で自分をも励ます。

「……。……タマ」

「……ん?」

「……私が起きた時、ちゃんといてくれる?」

「いるよ。だから、おやすみ。また明日な」

「……ん……」

 程なくして二人分の寝息が耳に届き、タマは安堵した。


 真夜中の土砂降りが嘘のようだ。翌朝には、澄みきった虹色の空が果てしなく広がっていた。午前九時、イチハナは銀色の腕時計をカチッと装着する。

 ガレージのシャッターから数歩外へ出て、三人が振り返る。タマはマナリの目線に合うよう、腰を低くした。

「はい、じゃあ俺が言った事、もう一回言ってくださーい」

「そとにはでない! ごはんはのこさずたべること!」

「わかった人ー?」

「はーい!」

 元気一杯の小さな挙手。彼の笑顔が戻り、タマは嬉しかった。隣のヒスイへ顔を向ける。

「……じゃ、なるべく早く帰ってくるから。マナリの事よろしくな」

 彼女は無表情で、こくりと頷いた。

 コンビニエンスストアを過ぎて数メートル歩くうち、辺りは段々と暗くなっていく。紫色のビルに描かれた、緑色のペイズリー柄。黒褐色の平屋住宅の壁に、隙間なく並ぶ水色の渦巻き模様。快晴の朝だというのに気が重くなってしまうのは、この一帯を包む空気の淀みが原因だといえる。タマは前方のイチハナを見たり、隣のシーバを見たりして不安感を拭おうとした。

「っうわ」

 と、イチハナが急に立ち止まった事で、タマはその背中にぶつかった。彼の視線を追ってみれば、遠くに二人の男がいた。

「てめー、昨日俺がなんつったか忘れたのかよ! へらへらしやがってよ!」

「ああ? なにほざいてんだ! 頭おかしいんじゃねーか?」

 胸倉を掴み合い、今にも殴りだしそうな気配だ。駆け寄ったタマ達に、男の一人が怒りに歪んだ顔で威嚇する。

「あ? なんだてめぇら! 見てんじゃねぇよ!」

 怒鳴りざま、男は鋭く拳を振りかざした。しかしイチハナはそれを避け、素早く羽交い絞めにする。

「っ! くそ……サツか! 離せ、離せ!」

「警察ではないが、見過ごす事も出来ない」

 イチハナが睨むと、もう一人の男は怯んだように後ずさりした。拘束された男は両手をばたつかせるも、逃げる事は叶わないようだ。

「お前ら、サツじゃねぇんなら何者なんだよ! なんの権利があって……」

「俺達は〝ノア〟だ。地域の治安を保つ為に、街を巡回している。この地域に住む人間の権利で、この地域の秩序を維持する」

「…………」

「他に質問はあるか?」

 イチハナが淡々と言い切ったところで、観念したらしく男は騒ぐ事をやめた。

 反省した様子の男達を解放して、三人は歩みを再開した。タマはどこか、晴れやかな気分になった。〝ノア〟という鬱陶しい存在が広まる事で、世の中の悪の抑止に繋がればいいな、と前向きに思う。

「そういえば」

 そんな事を考えながらしばらく進んでいると、隣のシーバが顔を覗きこんできた。

「タマ達、武器は持ってるの?」

「武器ぃ? んなもんねーよ」

「ケーサツも、悪い奴らを取り締まる為に武器を振り回してるじゃないか。悪をやっつける存在には、特例が許可される」

「それは……」

 答えに困る。助けを求め、イチハナの背中へ視線を送った。彼は、振り返る事なく言った。

「俺達は警察じゃない。俺達にその特例はない」

「……あっそ」

 つまらなさそうに口を尖らせたシーバの肩を、タマはフォローするようにポンと叩く。

「心配しなくても大丈夫だって。国の偉い人達が、きっと守ってくれるよ。俺達皆の事」

「……」

 聞いているのか、いないのか。彼は返事もせず、空中をぼんやりと眺めるだけになった。


 午後六時。ガレージのシャッターを引き上げると、ヒスイとマナリが走り寄って出迎えた。食事にはまだ早いようだったので、タマは二人を連れまた外へ出た。

「――わーっ! すごーい!」

 工場裏手の傾斜をてっぺんまで上りきると、草むらを抜けた先、住宅街を見下ろせる広い空地に出る。熟れた大きな太陽が、ちぐはぐな色合いの小さな家々を照らしている。

「ここ、まだ誰にも教えてねーんだよ。巡視の帰りに見つけて……って、わかんねーか」

「タマ、すごい!」

 マナリに褒められ、タマも一層笑顔になった。

 三人で、斜めに伸びる影を踏んだ。草や大地が、生きている。夕日がその緑を流れ、一帯は水面のように煌めいていた。

「ほら」

 と、指へ止まった蝶をそっと二人に見せる。空へとかざしてみれば、虹色の光に透けた羽が、より美しく目に映った。タマにとってそれは、この今を象徴した希望の光のように感じられた。

「――ねえ、タマ。たいせつじゃないって、どういういみ?」

「えっ……?」

 それまでただ楽しく遊んでいたタマは、思いがけない言葉に固まった。見上げるマナリの瞳は、陽を閉じこめたように輝いている。

「パパにいわれたんだよ。ぼくのこと?」

「…………」

「パパとママ、いつかえってくるかなあ?」

「…………」

「こんなきれいなおひさま、パパとママにもみせてあげたいなあ」

「…………」

 言葉が見つからず、タマは顔を伏せる。

「私達……」

 隣に立っていたヒスイが、遠くを見つめたまま呟いた。

「私達、悲しいっていう感情がなかったら、もっと楽に生きられるのかな……」

「…………」

 胸が張り裂けそうで、タマはぐっと眉を寄せた。顔も知らない彼女達の両親に対して怒りが湧きそうになったが、寸前で押しこんだ。一度その感情を解き放ってしまうと、収拾がつかなくなるとわかっていたからだ。

「タマ、ちゃんとみてるの? おひさまいなくなっちゃうよ?」

 タマは一度ヒスイの頭を撫でてから、マナリの前へと膝を突いた。

「……大丈夫だからな。俺がお前もヒスイも守ってやる」

 少年は、理解出来ていない様子で首を傾げる。しかしその両肩に触れ、タマは真剣な眼差しで続けた。

「いいか、マナリ。忘れるな。これだけは、絶対に忘れるんじゃねーぞ」

「うん」

「この世界に、大切じゃない人なんて、一人もいない」

 マナリはしばらく、目をぱちぱちさせていた。が、すぐに笑顔になり、大きく頷いた。

「うんっ! わかった!」

「……」

 目頭が熱くなり、タマは慌てて空を仰いだ。大丈夫だ、大丈夫だと心の中で繰り返す。その言葉が二人に対してなのか、自分に対してなのか。タマ自身にもわからなかった。

「……マナリもヒスイも、すげー立派な奴だな」

「りっぱあ?」

 一呼吸置き、マナリに笑顔を作る。

「うん、立派な奴。すごいんだぞ」

「りっぱなやつ! ぼくは、りっぱなやつ! やったね!」

「あはは! あーもうくそ可愛い!」

 堪らなくなり、タマは思わずマナリをやんわりと抱きしめた。抵抗するでもなく小さな体は、おとなしく腕の中に収まっている。――と。

「くそかわいい!」

 突然、マナリがそう叫んだ。その様はどこか得意げで、タマは思わず吹き出してしまった。ヒスイも、くすくすと控えめに笑っている。彼女の笑顔を初めて見た事で、タマの心は温かくなった。

「マナリ~、それは真似しちゃだめ。汚い言葉使うんじゃない! って、イッチャンに言われちゃうよ。くそ可愛いじゃなくて、大変可愛い」

「たいへん、かわいい」

 素直な生徒に、タマはどうしても愛しさを抑えられない。

「あー、やっぱくっそ可愛い!」

「くそかわいい!」

「や、だからだめだって!」

 タマにとって、これ程気持ちのいい夕暮れは久しかった。二人のおかげだ、と心の中で感謝した。

 三人が手を繋いで工場へ帰ると、既に食卓は整っていた。配給物であるレトルト食品を、イチハナは毎食几帳面に皿へ盛りつける。これは以前タマに教えられてから、し始めた行為だ。

「ありがと、イッチャン」

「なにがだ」

「俺がお願いした通りにしてくれてさ。パックとか缶詰から直に食べんのとは、やっぱ違うから。ちゃんと家のごはんっぽいもん」

「そういうものか」

「うん、そういうもの」

「理解した」

 タマは頷いて、箸を握った。

 食事も中盤という頃、何気なく隣へ目が行った。マナリがフォークで、オレンジ色を皿の端へと追いやっている。

「こーら。にんじん避けてんじゃねーよ。ごはんは残さず食べるって約束しただろ?」

「だってー」

 もじもじと体をくねらせるマナリ。つい甘やかしたくなるものの、そういうわけにもいかないとタマは首を振る。

「……勿体ない……」

 ふと、ヒスイの声がテーブルへ落ちた。先程タマに見せた笑顔は消え、暗く俯いている。

「これからは……なにもかもが勿体なくなる……」

 その場がしんとして、全員が彼女から目をそらさなかった。やがてその静けさを埋めるように、ぽつりぽつりと雨音が聞こえてくる。数分と経たないうち、本降りになった。

「……タマぁ」

 すっかり元気をなくした様子で、マナリはタマのティーシャツの裾を握る。

「おー、どうした? ……あ、昨日言ってたあれか?」

「……」

「大丈夫だって。大体、なにが来るんだよ。俺達がいるから、だいじょーぶ……」

 笑いとばそうとしたタマだったが、ヒスイを見た瞬間、思わず顔が引きつった。彼女は青ざめ、ガタガタと震えている。タマだけでなくイチハナも、その様を異様だと思ったらしく眉をひそめた。

「く、来る……」

 と、ヒスイが消え入りそうな声で言った。タマも恐る恐る口を開く。

「…………なにが、来るんだよ……」

「……長い髪の……女の人……」

「…………」

「……わ、私達を……殺しにくる……長い刀を持って……」

「…………」

 イチハナとシーバは、黙っている。言いしれない今後の不安が、彼女に不吉な幻想を抱かせているのかもしれない――タマはそう考えた。

「……俺達が守ってやるから。な? 心配すんじゃねぇよ」

 あえてそう明るく振るまってみせたが、小さな二人はその夜、笑顔にならなかった。



【続】

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