第四話 アカリ区コンビニエンスストア②
ガレージの鍵は、イチハナとタマそれぞれが所持している。工場へ着いてから、二人を焦げ茶色のソファに座らせた。彼女達の足元へ屈んだタマに、四つの瞳が向けられる。
「へへ~。ソファ、ふかふかだろ? 最近天気いいから、よく外に出して干してるんだ。お日様の匂いする?」
「……」
工場内は、しんとしていた。三人の他には誰もいない。
「よしゃ、ちょっと待っててな。救急箱持ってくる」
両膝を叩き、タマは立ち上がった。少年が不安そうな表情で、少女の袖を引っ張る。二人は一時顔を見合わせ、また揃ってこちらを見上げる。少しでも安心させようと、タマは微笑んでその頭を撫でた。
二人にチョコレートを与えてから、さて、と救急箱を開いた。そこで数日前の出来事を思い出し、しまったと苦い顔になる。
「……ああー……また同じ事やっちゃった。イッチャンに怒られる……」
「おこられる?」
少年がまた、眉をハの字にした。タマは慌てて笑顔を繕う。
「ううん、なんでもねーよ。チョコおいしい?」
「うん」
嬉しそうに頬張る姿に安堵して、少女の手当てを始める。ひどい傷だというのに、彼女は痛いとも言わず、おとなしく治療を受けた。むしろ見ているタマのほうが、顔を強張らせてしまう。
「痛かったろー。どこで転んだ? ちゃんと注意して遊ばねーとだめだぞ」
「……コンビニの中に入ろうとしてたら、女の人達に突き飛ばされた……」
「え?」
「……ごはん、ないから……コンビニに行けば、買えるから……」
そう言って少女がワンピースのポケットから取り出したのは、くしゃくしゃになった一枚の紙幣だった。タマはどうしても、ぎこちない表情になってしまった。
「え……っと。……あのさ、コンビニとかレストランとか……そういうの、全部もう閉まっちゃってるよ。食いもんは、運動公園とか……役所とか……決められた所に貰いにいかないといけねーんだ。つか、お前ら……どこで親とはぐれた?」
「…………」
「お前、こいつの姉ちゃんか?」
「違う……。コンビニのとこで会ったの……」
「ママはぁ?」
少年が、少女の服をくいくいと引っ張る。
「……お前、名前は?」
「……ヒスイ。この子は、マナリっていうんだって……」
ヒスイはタマを凝視して、そう答えた。年齢の割に落ち着いているというか、どこか不思議な雰囲気を持った子だ。早く二人を親元に帰してあげなければ、とタマは自分に頷く。
「よし! マナリ、俺がお前らのママとパパ捜してやっからな! 安心しろよ!」
口元についたチョコレートを指で拭ってやると、少年――マナリの顔が、ぱあっと明るくなった。
「どうした? 早く行こうぜ」
手当てを終え、マナリの手を取ったタマは、シャッターの前で振り返った。ヒスイはソファから動こうとせず、俯いたままでいる。
「……いい」
「や、でもさ」
「気まぐれで、優しくしないで……。どうして皆……」
「ママさがしにいこー!」
手を引っ張るマナリを「わかったわかった」と宥め、タマはまたヒスイの元へ屈んだ。
「俺は〝ノア〟っていうグループの一員なんだよ。〝ノア〟は、うーんと……パトロールして、困ってる人を助けるのが仕事なんだ。だから、別に気まぐれでこうしてるわけじゃねーんだよ。お前らを助けるのも、俺達〝ノア〟の仕事」
「のあ? のあって、えらいの?」
タマの真似をするように、マナリもぴょこんと隣へ屈む。
「あはは。偉いわけじゃねーけど……まあ、地味なヒーローみたいなもんか。マナリも入るか?」
「はいるー!」
その時、錆びた音を立ててガレージのシャッターが上昇した。イチハナだ。
「あ、おかえり」
「…………誰だ」
二人の子供を見つけるなり、彼はあからさまに眉を寄せる。タマは萎縮した。黒いマスクをつけていると尚更、冷血な印象を受ける。
「あ、えっと……ヒスイとマナリっていうんだ。コンビニのとこで会ってさ。怪我してて、親とはぐれたみたいで……だから……」
「はあ……タマ……」
イチハナはマスクを取り、スーツの上着を脱ぎながら重たい息を吐いた。
「まったくお前は……よくそんなに色んなものを拾ってくるな。コンビニで会ったのなら、その付近から動かず捜すべきだ」
「で、でも怪我してたから……」
「じゃあ最寄の配給所に連れていって、救護ロボットに手当てさせればいいだろう。なぜわざわざ、ここに連れてくるんだ。理解出来ない」
予想はしていたものの、こう理路整然と責められるとやはり凹んでしまう。タマに深い意味はない。自分が助けてあげなければという正義感に突き動かされ、つい考えるより先に行動してしまうのだ。
「あれ? 妖精が二人もいるね」
イチハナの後に続き、シーバもその場へ加わった。この刺々しい空気感を物ともしない、飄々とした態度だ。すたすたと輪の中心へ進み入り、子供達の前へ勢いよく屈んだ。
「僕はシーバ。タマのお友達だよ。君達は、どこから来たのかなあ?」
「…………」
ヒスイはすぐにマナリの手を引き、隠すように背後へやった。きっ、と正面の男を睨みつける。コンビニエンスストアでもタマに対し敵意を露にしていたが、その時とは比べものにならない。今にも噛みつきそうだ。
「……タマぁ? タマっていうの……?」
と、思いがけずマナリのか細い声。
「かわいいなまえ……」
空気がふっと緩和し、タマの肩の力が抜ける。
「へへ、俺の元の名前がさ……」
「もういい。さっさとその子供達の親を捜すぞ。どこのコンビニだ」
いよいよ苛立ちの色を濃くし、イチハナがタマへ視線を刺す。
「あ、えっと……こっからまっすぐ行って、二つに分かれた道の左行ったとこ……」
「相手も近くで捜しているかもしれない。二人を連れて一緒に来い」
「あ、うん」
と頷いたところで、不意に服がぴんと張った。ヒスイがタマのティーシャツの裾を、握りしめている。
「ん? どうした?」
「…………」
答えようとしない。彼女は、ちらちらとマナリのほうを見るだけだ。
「……シーバ、ちょっとマナリを外に連れてって」
なんとなくヒスイがそうしてほしいと言っている気がして、タマは促した。彼女はまだシーバの事を警戒しているようだったが、タマが「大丈夫だよ」と柔らかく諭すと、マナリに同行する事を承諾した。
二人が出ていった後、ソファに座った少女は重々しく話し始めた。
「……親……もう、いないの……」
「諦めんなよ。一緒に捜そ?」
彼女は俯いたまま、首を横に振る。
「……見たの。自分の両親が、こっそり外に行く手続きしてたのも。本当に出ていったのも。私は、置いていかれたの」
「…………」
「マナリと会った時、なんとなくわかった。多分、マナリもそう。あの痣は、最近出来たものじゃないと思う……」
「それって……」
タマとイチハナは、黙って彼女を見下ろした。
「……いいの。最初から、大人なんて信じてないから……」
ヒスイの口から漏れたのは、弱々しい声だった。これまで気丈に振るまってきただろう彼女を思うと胸が痛くなり、タマは反射的に、そのか細い体を抱き寄せた。
「俺がお前らの事、守ってやるよ。だから……な? そんな悲しい事言うなよ……」
「……」
両目の奥が、じんじんと痛い。涙が込み上げてくる。タマはしかし、大きく息を吸い込んで、それを零す事はしなかった。自分が泣けば、彼女になおさら我慢をさせるのではないかと思ったからだ。
「いただきます!」
ヒスイとマナリは配給のチケットを貰いそびれていたが、喫緊の問題でもなかった。イチハナが食べなかった為に残っていた前日までのストックに加え、本日の調達ぶん――工場には食糧が充分にある。温野菜と、パン、肉料理のレトルト食品。皿に盛りつけると、ダイニングテーブルは賑やかになった。
「……シーバ、そんな食べ方するな。教育上よくない」
シーバは箸を拳で握って、皿に口をつけるようにして食べる。今に始まった事ではなかったが、イチハナは今日、遂に注意した。
「箸が苦手ならフォークを使え。それに、皿から顔を離せ」
「はいはい」
二人の衝突は相変わらずではあるものの、タマはつい笑顔になってしまう。狭くなったテーブルから生まれる温もりが、心を包み込んでどうしようもない。
「あ……。イッチャン、また食べないの?」
「……」
イチハナは、今夜も皿に箸を伸ばそうとしない。いつもの事だが、いつもの事だからこそタマは心配になる。
「そのおかずも嫌いだった? ちょっとは食べなって」
「……お前達で食べればいい」
「いや俺達のぶんだって、ちゃんとあるし。体壊す前に……」
「それより、いつまでこうしている気だ」
「え?」
初め、なんの事を言われているのかわからなかった。イチハナが視線を置くように、ヒスイとマナリを見る。ああそういう事かと、タマは顔を強張らせた。
「え……っと……」
いつまでという明確な期限を設ける事自体、考えになかった。身よりがない二人だ。ここで一緒に生活するという選択では、だめなのだろうか。
「ま、まあ、今日はそういう話いいじゃん! 皆で楽しくメシ食おうぜ」
「曖昧な時間が、だらだら続くようでは困る。手立てを考えないと……」
そんな選択肢を提案をしてみたところで、イチハナは頷いてくれそうもない。まるで子供達が――そしてそれを通して、自分自身が邪魔者扱いされているような気がしてきて、タマは悲しくなった。自分の両親にもこんなふうに疎ましく思われていたのだろうか、と思考が暗いほうへ向きそうになる。
イチハナとタマが黙ると、部屋にはシーバとマナリの扱う食器の音しかなくなった。やがてヒスイが、箸を置いた。テーブルにあったナフキンに食べかけの料理を移し、巾着のように丸める。
「……私達、もう出ていく」
「えっ、待てよ。寝る場所もねーだろ」
タマを見る事もせず彼女はその袋を持ち、とんっと椅子から下りた。
「いい。大丈夫」
「大丈夫なわけねーだろ!」
それでも、彼女は止まらない。マナリの体に腕を回し、椅子から下ろそうとする。見かねたように、イチハナが口を開いた。
「君達は、まだ〝ノア〟の保護下にある。勝手に離れるな」
「…………」
「いいから座れ」
厳しい表情のイチハナを見つめ、小さな二人はぴたりと動くのをやめた。怯えている様子はない。彼の持つ説得力に、収められたようだ。
なにか解決策が見つかるまでは、ここにいていいという事なのだろう。タマはそう解釈し、とりあえずほっとする。
「よかったな、マナリ~。今日は皆一緒に寝るんだぞ」
隣に座る少年の頭を、わしゃわしゃと撫でる。彼も両足を揺らし、嬉しさを表した。
「やったあ! タマといっしょ!」
小さな子供達と寝食を共にしたり、こうしてじゃれ合う事がとても懐かしい。タマとしては、彼達の身の上を知った今。味わった悲しさを少しでも消してあげたい。替わりに、もっと楽しい気持ちを注いであげたい、と心から思った。
はしゃぐ二人の傍ら、しかし立ったままのヒスイが突然、すっと右腕を伸ばした。
「…………あなた…………」
小さな人差し指が、まっすぐにイチハナへ向けられている。
「……あなた、大変なものを背負っている……」
「…………」
「早く、消してあげて……」
皆がその姿に視線を奪われ、部屋は静寂に包まれた。
【続】