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第5章

 日ごと、雪は少し降っては溶け、徐々に積もる。山に古くからそびえる木々の枝が雪を跳ね返し、歩いていた(りゅう)の顔に当たった。

「…雪女がいるのは、どのあたりだ」

 (りゅう)は苛立っているようだ。昨夜は藍が説得し、一度自分たちの住まいへ戻ったが、(りゅう)は結局眠れずに、日の出とともに藍を伴ってやってきた。

 雪は、ちらちらと舞っている。

 いつもは行かない山の北側は、道もない。しかし、山小屋にいないとなれば、かつて父が死んだという辺りへ向かうのが今は最善と思えた。

「私もはっきりとはわかりませんが…」

 羽が、と藍が足元より下に示したのは、既に白く雪で覆われた斜面である。草花はなく、山肌が剥き出しになったそこに、先代の羽だけがあったという。

 無言で軽く羽を広げて、(りゅう)はまばらな木の間を器用にすりぬけ斜面から所々飛び出る岩の間に、高下駄の歯を噛ませた。別の手頃な岩に手を伸ばして掴まり見渡したが、7年前の痕跡はすでにない。

「当たり前か…」

 あれから一度も寄り付かなかったのを後悔している訳ではないが、それでも多少の虚無感はある。(りゅう)がじっとその場で動かずにいると、先ほどまでいた木々のあたりから音がした。

 雪が落ちる音は、誰かが通ったことを表している。

「藍」

 眼下の斜面から(りゅう)に目で指示をされ無言で頷いた藍は、羽を畳んで一足先に音がした方に向かった。


 藍が枝を払い雪が落ちた音に気づいたのだろう、そこにいたのは、ひどく怯えた様子の、藁の雪避けと菅笠を着けた人間の男だった。

「え?…女の修験者様?」

 男は、虚をつかれたような顔をしている。そこに、いかにも修験者然とした体躯の(りゅう)が現れたので、男は驚き腰を抜かした。

「お前は、村の者か?雪深い季節に迂闊に山へ入れば、命を落とす恐れがあるのを知らない訳ではなかろう」

 男は30前後に見えたが、雪のように白い長髪の(りゅう)を年上の修験者と思ったのか、うっすら積もった雪の上で居ずまいを正した。

「いや、その…」

「早く帰るが良い。道が険しいなら、送り届けよう」

 (りゅう)はできるだけ威圧感を与えないよう話しかけたが、男が口ごもる理由はそれだけではないようだった。

「おれは…その、会いたい人がいて」

「会いたい人?」

 ああ、と、男はごくりと唾をのみ、大層なことだと言うように話し出す。(りゅう)はじっと耳を傾けた。

「…雪女に、会いたいと思って…」

 聞いた瞬間、(りゅう)は身を乗りだし、男に掴みかかるかと思われたが、藍がかろうじて止めた。男は、ひい、と狼狽しながらも続きを話す。

「小屋に…」

「山小屋か」

 男は震えながら頷く。

「俺は向こうの村から、行商のために山を越えてこの村に来たんだ。雪が止んでる間にできるだけ歩こうと思って。だけど、夜遅くなり、たまたま山小屋を見つけて夜明かしをしようとして…」

 (りゅう)は、息もしていないのではと思うほどに真剣に聞いている。

「囲炉裏の火も消え、暗くなり寝ようとしたら、戸から何か冷たいものが入ってきたんだ」

 次第に男は高揚したのか、饒舌になった。

「入ってきたのは黒い髪の女で、最初、死んだ女房の幽霊かと思った。でも違う。裸足で雪の中を歩くのは雪女しかいないと」

 男はすでに笑顔だ。

「にっこり笑ってな、先客でしたか、って言うから入れって手まねきすると、そのまま囲炉裏端に座って色々話した。いつの間にか寝入っちまって、朝起きたら誰もいないんだ」

 夢かと思い外に出ると、女のものと思われる足跡が続いていた。履き物ではない、裸足のあと。

「村に行って茶屋のだんなに話したら、それはやっぱり雪女だっていうんだよ。でもな、綺麗で優しくて、俺には怖い化け物とは思えなかった。それより、雪女ならなおさら、山にくればまた会えるかと思って…」

「それで…この寒い中を」

 藍は男が履いているかんじきを見た。まだ木々の下は雪があまり積もらないとはいえ、村に近くなり整えられた街道は、往来が減る今時期には、むしろ歩きづらくなるだろう。


 それでも、ただの人間の男が再会を切望し険しい道を越えてくるだけの何かが、雪女にはあるのだ。

「…私の父は」

 (りゅう)の口から自然と滑り出したのは、7年前の出来事だ。男は目の前の修験者の口調が、先ほどまでの威厳あるものから変わったことに気付き、黙って耳を傾けた。

「私がまだ少年の頃、雪山で命を落とした。そのとき大人たちは口々に話していたのだ」

 訥々と話す様は、独り言かと思えるほどだ。(りゅう)は視線は男ではなく、足元の雪に向けたまま話す。

「父は、雪女に惑わされたのだろう、と」

 事実は判然としないが、年齢を重ね妻をめとり、藍とめおとになった自分には、男女の情が引きおこす結果が、わかるようでわからぬことであった。

「お前が会った女…雪女は、かつて白髪の偉丈夫と逢瀬を重ねた話をしていなかっただろうか」

 (りゅう)はそこで言葉を切り、男の返事を待った。

 話の内容を反芻していたのか、しばらく微動だにしないまま(りゅう)を見ていた男だったが、日がさし、木に積もった雪がやや溶けて落ちる音で我に返った。

「いや…何も」

「…そうか」

 また、雪が落ちた。(りゅう)は足元の雪を軽く踏み、少しだけ表情を緩めた。

「お前が、かの女に会いたいと思う気持ちはわからいではない。だが、人ともののけは相容れぬもの。天寿を全うしたいなら自分の村へ帰るがよかろう」

「おれは、帰っても家族はいねえ」

 寂しそうな笑みを浮かべ、男は言った。

「女房も死んで、誰のために生きてるかわからなかった俺は、雪女に会って久しぶりに心が沸いたんだ。…だけど」

 男は、今度は自嘲気味に笑う。

「修験者様の言うとおりかもな。俺は雪女に会いたいと思っても、向こうはそうじゃないかもしれねえ…」





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